光月への手紙

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3月5日 木曜日

今日は、また少し寒い日でした。
おとといの夜から、なぜか頭が痛くて昨日は1日中寝ていたから気分が落ち込んで。
食欲も無くって、だけど光月の為に少しでも何かを食べるようにしています。
光月は、今のお母さんの辛さをわかってくれているのかもしれないね。
だって、世間一般に言われるような、吐いたり、食べ物の匂いを嗅いで気分が悪くなったりという、いわゆる悪阻の症状が、お母さんには全く無いのです。
どうしてもコレが食べたい。と思うことがあるというけれどそれすら無くて、ふと浮かぶ食べ物はあるけれど、絶対食べなきゃ気がすまない、なんて事は全然なくって、体がダルイ時に買い物に行けなくても家にあるもので何とか食事をしています。
それでも、食欲自体は少し減退しているので妊娠前より2キロほど体重が減ってしまいました。
でも、年末に少し食べ過ぎて少し太り気味だったから丁度いいかな。
光月のために、毎日しっかりバランスよく栄養を摂らないとね。

今日ね。
アルバイトの面接に行ってきました。
次の日曜日から、家から近い場所でテレアポのお仕事をします。
産まれてくる光月に、たくさん欲しいものを買ってあげたいもの。動ける今の間に少しでも、お金を貯めておかないとね。

それに今、毎日ひとりで家にいるとね、やっぱり色々なことを考えて不安になったり辛くなったりしてしまうから。この2ヶ月の間に、私に起きた様々な出来事が廻り廻って悲しくなったり、悔しくなったり・・・。どうしようもなくなってしまいそうだから。


光月を産みたいと思った日以来、それでも、戸惑いと不安の日々が続きました。
私自身としての人生。生まれてくるこの子の人生。
この子には、『お父さん』と呼べる人が居ないと同時に『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼べる人さえ居ないという事実。

母子家庭で育った私の母は、4年前に他界。
そして、この子の『お父さん』も。
この子を授かったとわかった時、すでに彼はこの世には居なかった。
まるでドラマか小説のようで笑ってしまうのだけれど、彼は交通事故でこの世を去っていた。
この事を彼のご両親に伝えるべきか、何も言わずに居るべきか。それとも、やはり諦めて誰にも言わず独りですべて“処理”すべきなのか・・・。
悩んで、一度は中絶を考えて血液検査もした。
誰よりも早く、ただひとりこの事を相談していた友人が検査に同行してくれ、手術の手順を説明する院長先生を前に震える私の手を、握っていてくれた。

その日の夜、夢を見た。
小学生ぐらいの男の子が出てきて私に言った。
『死にたくないよ』

付き合い始めて僅かに2ヶ月ほどの彼のご両親とは、もちろんお会いしたことも無く・・・。
遠方にお住まいのため会いに行くことも叶わず、私は心を決めて彼に電話をかけた。まだ番号は生きていて、お母様がお出になられた。
私は、彼との事を話し今の自分の事、子どもの事を話した。
しばし、沈黙され、その後電話の向こうで何か話していらっしゃる声が聞こえた。
しばらくして、お父様が出てこられた。
要約して、最後に仰った言葉は、
『お会いした事の無い方にそう言われても困りますので・・・』
それは、私の言葉をあまり信じていただいていないような冷たい言い方にさえ思えた。
そうか・・・
ならば仕方が無い・・・。
以降、私はもう彼のご両親にお会いすることも今後何かの連絡を取る事も諦めた。

決断は私がしよう。
この子を生かすも殺すも、私が決めよう。私の中にある命なのだから。
そう、決心した。
翌日、私は大学に休学届けを提出した。
理由欄に『妊娠・出産の為』と記入して。

だって、この子はちゃんと生きているのだもの。
溯ること、1月11日金曜日の夜、出血があった。
着床出血といわれる、微量の出血ならそれまでにも何度かあった。しかし、その日はまるで生理中のような大量の出血が続いた。
泣きながら産婦人科に電話をして、そして強く思った『逝かないで。死なないで。』

『産まれてきたくないの?』光月に聞いた。
『産んではいけないの?』母に聞いた。
3連休の週末が明けた15日、エコーに見えたのは小さなダイヤのリングのような形。そのリングのダイヤの部分が、微かに小さく動いていた。
『これが心臓ですよ』
そう教えてくださった先生の言葉に、この子は生きようとしていると強く感じた。
この命を奪うことは、私には出来ない。誰にも出来ない。
私はこの命を守らなければ・・・。この命はすなわち、私の命そのものなのだから。

生まれてくる子どもを幸せに出来るかどうかなんて、両親揃った家庭だってわからないじゃないか。
私自身、小学校低学年までは『お父さん』と呼べる人がいた。
だけど、私の『お父さんだった人』は私を自分の子どもだとは思っていなかった事を、幼いながらに私は知っていた。
『お父さんだった人』に望まれずに産まれてきた私は、それでもこの子に言ってあげられる事がある。


光月は間違いなく『お父さん』と『お母さん』が愛し合って産まれた子どもだ、と。
これだけは、偽りの無い真実だと。

2008年 3月4日 火曜日 7.52センチの光月へ


今日、もぞもぞと顔を動かしていました。
腕も足もシッカリ形になってきて、背骨もくっきり。よく見ると、脳みそも透けて見えて。すっかり人間らしくなってきていて、そろそろ、お母さんの声も聞こえていますか?
今度から病院に行くのは4週間ごとだって。光月の姿が見られないのはちょっと寂しい感じもしますが、光月はいつでもちゃんとお母さんと一緒にいます。
9月、中秋の名月の頃、光月に逢えることを心待ちにしています。
きっと光月は、月より光り輝いているでしょう。

今日から、こうやって光月にお手紙を書こうと思っています。
毎日ではないかもしれないけれど、光月がお腹にいてくれている間お母さんがどんな気持ちでいたか文字で残して、いつか光月が大きくなった時にお母さんの本当の気持ちをわかってくれたらいいなぁと思います。

光月には、寂しい思いやつらい思いをさせることが他のお家の子たちに比べて、多いかもしれない。だけど、その分お母さんは誰よりも、誰にも負けないぐらい光月を愛しています。

光月が、お腹の中に宿っているとわかったのは丁度2ヶ月前の、1月4日。



年末から少し熱っぽい日が続き、風邪のような症状と咳が続いていた事と、生理の予定が1週間遅れていたので、前日、近所のドラックストアに行ったとき風邪薬と一緒に妊娠検査薬を買っていました。
生まれてはじめて使うので、説明書を何度も何度も繰り返し読んでトイレに入って検査をしました。
『約1分で結果が出ます』と書いてあったのに、僅か数秒で『陽性』のしるしが現れました。
正直、その時私は戸惑いました。
薄暗い夕方の部屋でひとり、へたり込んで動けませんでした。
『どうしよう・・・』そう思いました。

昨年9月。
それまで8年6ヶ月働いていた会社を辞めて、現在無職。もちろん無収入。
それは、1年前に一念発起して大学に行って勉強をしようと思っていたから。
同じく昨年の4月に、通信制の大学に入学して、仕事を辞めた秋から順調に授業を受けられるようになっていました。失業手当の受給が終わる4月からは、大学で学んでいる写真に関する職を探して、写真スタジオなどで働き、行く行くはカメラマンになりたいと思っていました。
収入が無い現在。子どもを産めばもちろん大学にも行けなくなる。目標に掲げていた人生プランが達成できない。
でも、そんなことはどうでもいい。
『どうしよう・・・』と私が悩んだ理由はただひとつ。

この子には『お父さん』と呼べる人が居ない・・・。

それは、私自身『お父さん』と呼べる人が居ない家庭で育ったから、その辛さや寂しさ、そして何より私を女手1つで育ててくれた母の苦労を、この目に見て知っているから。
その私と同じ寂しさ辛さを、この子にも強いることになる。
苦労に苦労を重ねた末、54歳の若さで他界した母と同じだけの苦労を、もしくはそれ以上の努力を私は耐えうることが本当に出来るだろうか。
それでも今私が、生きていることの喜びと、産み育ててくれた母への大いなる感謝の気持ちをこの子にも味あわせてやれるだけの力が私にあるのだろうか。
この子を、私の手1つで幸せに育ててやることが出来るのだろうか。


その日からしばらく、眠れない日が続きました。
体は熱っぽく食欲もなくなった。

浅い眠りの中で何度も、夢に母が出てきました。
それは、元気だった頃の母だったり、病床の母だったり、臨終の瞬間だったり時には、一度亡くなって甦ってきたという不思議な設定だったり。
だけどいつも、夢の中の私は生前の母に対してそうだったように、素直じゃなくてあまり優しく母に接することが出来ず、目が覚めるたびに『お母さん、私どうしたらいい?』そう尋くのを忘れていることに気づいては後悔する。

1月7日
2年前から、子宮ガンの検診を年に一度受けに行っている近くの産婦人科に行きました。
すでに勝手の知った病院、見知った院長先生がエコー検査のモノクロ画面を見て仰いました。
『妊娠ですね。おめでとうございます。』
画面には、小さな丸い袋のようなものが映っていて、これがこれから赤ちゃんになっていく袋ですよ、と仰ってくださいました。
その言葉を聴いたとき、不安と迷いでいっぱいだった心の中に一筋、それでも確かに強く『産みたい』という思いが、心の一番深い場所に突き刺さったのです。
未婚であることをご存知の院長先生が、ふと最後に尋ねられました。
『産む、、んですよね?』
『・・・私は、そのつもりです。』

暗くなった病院からの帰り道、歩いて5分ほどの道のりを歩きながら私はある日の夜を思い出した。
12月の終わり。陽が落ちたばかりの川沿いの道で、南中していた眩しいほどに輝く月。
そういえば、彼と逢う日は、いつも月が綺麗だった・・・。

『光月』・・・ミヅキ

この子が無事、産まれてきてくれたらそう名付けよう。

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