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父母のこと
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今年もまた、桜の季節がやってきて、母の命日(4月1日)が来た。昨年の父に続いて、今年は母の七回忌。亡くなってから丸6年。なんだかすごい昔のことのような気もするし、ついこの間のことのような気もするが、確実に月日は移り、子供たちも、もう新3年生に新1年生だ。そばにいないことは今でもいつもさみしいけれども、あの、怖かった地震のとき、怖がりの母が生きていてこの地震を体験しなくて本当によかったなあ、、、ともちょっと思う。 7回忌には一緒にお墓参りをしようね、と言っていた伯母(母の姉)は、その1ヶ月前に同じくガンで亡くなってしまった。亡くなる5日前にSAYAを連れて病院にお見舞いに行った。久しぶりに会う伯母はすっかり痩せてしまっていて、母の病院での毎日を思い出した。体を拭いてもらったり少し動くだけで、もう息があがり苦しそうで、そんな姿を見るのは辛かった。 1年前、昨年の2月には、私のフラメンコの発表会を観に来てくれた。すでにガン闘病中ではあったけど、その頃はまだ元気で、私のことを、お母さんに似ているね、懐かしい、と言ってくれた。 でも、目の前の伯母はもう動くことが出来ず、目をつぶったまま、話すことも出来なかった、意識はあるのでこちらの話は聞こえている、という。それならば、とこちらから手をさすりながらいろいろと話しかける。あらためて見る伯母の手は、やっぱり母の手にそっくりで驚いた。手指の形、爪の形、懐かしくてせつなくなった。子供たちが描いた絵を持ってきたよ、というと、辛いのに一生懸命目を開いて見てくれて、うん、うん、とうなづいた。伯母も伯父と同じく画家で、墨絵の先生だ。病室でも絵を描けるように、と持ち込んでいたスケッチブックには、残念ながら絵が描かれることはなかった。 http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/009/572/13/N000/000/006/130241254784516229900_DSCN5526_20110410141547.JPG
一生懸命、そばに寄って絵を見せるSAYAを見て、声にならない小さい声で「かわいい」と言ってくれた。それが私が聞いた、伯母の最後の言葉。会えてよかった。 私は母が亡くなってから、なんとなく、伯母に会うと母を重ねていた。身内、血縁という気持ちがあるからなのか、なんとなく、伯母がいるという安心感があった。子供たちにとっても、おばあちゃん代わりになってくれていた。 相当痛いだろうに、痛み止めを拒絶してがんばってきた伯母。その芯の強さはやっぱり母に似ている。存在そのものが、人生の師である人をまた一人失った。 痛みから解放された伯母の顔は、おだやかで優しい。「お母さんによろしく伝えてね、私はがんばっているからと」 震災のようなどんなひどいことがあっても、 どんな辛いときでも、やっぱり季節は巡り、桜は咲く。見事なまでの強さと潔さ。 http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/009/572/13/N000/000/006/130241215983916229606_DSCN5454_20110410140919.JPG
お母さんの桜。今年も、私たちがどう生きているか、見ていてね 桜の命日 http://60304219.at.webry.info/200704/article_5.html (2007年) http://60304219.at.webry.info/200803/article_8.html (2008年) http://60304219.at.webry.info/200904/article_8.html (2009年) |
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PC直って戻ってくるまで画像も取り出せないし、楽しかった思い出の記事は年明けまで書けないから、ちょっと思いついたことを書いておこうかな。
2010年ももう終わりに近づいて、この一年どうだったかしら、と振り返ると、まあいろいろな面で新しいチャレンジもあったりで相変わらず忙しかったなあと思う。特にフラメンコは充実していて本当によくステージチャンスをいただき踊らせていただいた。
年初に何を思っていたかしら、と日記を振り返ると、
「今年も想いの向くままにたくさんのチャレンジをしていきたい。本業(母)では今年も子供たちを精神面のサポートしながら、一緒になって体験したり感動したりを通して、しつこく関わり続けてたい」と書いている。いろいろ反省点はあるものの、おおむね、希望に近い1年だったんじゃないかしら。新しいチャレンジではやはり視野が広がったり、その立場になってみないとわからなかったことを知り、たくさんの人に感謝するとともに自分も人の役に立てる人になりたいという気持ちが強まったりした。
暑すぎた夏に、珍しく体調を崩していろいろ考えさせられたりもした。
チャレンジが多すぎて、忙し過ぎでは?とか、生き急いでる、早死にするよとか言われたりもした(爆!!いや全然私なんて努力不足。働くママなんかもっと忙しい。すごい人は本当にいくらでもいるもんね〜〜)
でもさ
人間動けるうちが花なんですよ
人間死んだらおしまい、っていう言葉あるけどね、「動けなくなったら」が正解じゃないかしらと思う。元気なままである日ポックリ、ってのは理想だけど現実にはなかなかない。
両親の闘病中の日々。あの、病院の白い壁の内と外では、空気も景色も色でさえも何もかもが違う、その生と死のコントラストが私には鮮明に残っている。
いつ家に帰れるかしら、と最後まで希望を捨てなかった母、本当はもう病院を出ることはない、とどこかでわかっていたのかもしれない。ある日見た不思議な夢をとても嬉しそうに話してくれた。「病院のベッドで眠っていたら、突然体が宙に浮いて空を飛べるようになったのよ、そのままどこへでも行きたいところへ行けるのよ、気がついたらずっと行ってみたいと思っていたゴルゴダの丘まで行ってきたわ」
贅沢な望みなんて何もない、ただひとつ、元気だった頃のように自分の足で、行きたいところへ!!
ただただ四角い、空調のきいた病院の白い部屋の中。長い長い一日。母の思いは翼となってせめても夢の中で外へ飛び出したのか。私は、その日、暑い寒いを感じたり、風やにおい、季節のうつろいを感じながらどこへでも自分の足で自由に歩けることが、どれだけ素晴らしくてかけがえのないものなのかということを知った。
。。。。。
秋以降には、身近な同年代の知人の死が2つもあって。
一人は音大時代のとても仲の良かった友達。突然の訃報をすぐには信じられなかった。一緒に学んだり、遊んだりした楽しかった記憶は鮮やかに残っているけど、彼女が直近2年も闘病していたなんて、全然知らなかったし想像も出来ない。お互い結婚して子供が出来てからは賀状のやり取りだけになってしまったが、海外など旅行先で撮ったらしき彼女の子供たちの楽しそうな顔からは、闘病中だったなんて微塵も感じ取れなかった。下の子はまだ幼稚園。上の子も小学生。。。これからは、彼女のお母さんが子供たちを面倒みていくそうだ。。
もう一人は、会社時代の先輩。上司であったこともある人だ。交通事故だったようでこちらも突然の訃報。直前まで元気だった人が、突然帰らぬ人となる。。。パパっ子だという娘さんはまだ中学生。その気持ちを考えるといたたまれない。
人生、いつなにが起こるか、本当にわからないものだ。
私は、明日万が一不慮の事故で死んでしまっても、後悔しない一日を送ったかしら??いつもいつもそんな風に考えて生きていたら疲れてしまうかもしれないけど。
でも少なくとも、やりたいことややるべきことをやらずに我慢したり怠けたりして、それを何かのせいにして愚痴を言ったりするような生き方はしたくないなあ、と思う。「やらない・出来ない」という選択肢はなくて、「やるために、出来るためにはどうするか」を考える人でいたい。
いつかお母さんに会えたとき、がんばったね、って言ってもらえるように
ああ、やっぱり「お母さん」てすごいんだな。私もそんな影響力あるお母さんになりたいものだわ
来年は、もう少し「やりたいこと」よりも「やるべきこと」を抽出していろいろと行動に移してみようと思います。
ちなみに私はしっかり寝ないと体がもたない人なので超早寝(子供と一緒に寝る)で睡眠時間は9時間をキープしているので、多分早死にはしません(ん、すでにおばさんだし) あはは♪
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11日は父の七回忌だった。昨日、12日が命日、亡くなってから丸6年、ということ。そういえば、父が亡くなったとき1歳になりたてくらいだったSOUが、もう7歳、1年生。年月のたつのはなんと早いこと、と改めて気づかされる。 墓前での読経を聞きながら、さーーーっとこれまでのことを振り返る。お父さんのこと、亡くなった頃のこと、そしてこの6年間のこと。生まれてなかったSAYAはもう5歳だし、子どもたちはずいぶん成長した。それに比べて私は母として少しでも成長したのかしら??? お坊さんが、父、そしてご先祖さまに対して、これまで守っていただいたことに感謝しましょう、そして今もみなの後ろで見守ってくださっている、とおっしゃった。亡くなってからのほうがむしろ、私の中で父の存在感は大きく、生きていたらなんと言うかな、と思い出すことは多い。ということはやっぱり背後についているからなのかしら??いや、性格的には、寅さんみたいに、ひとつどころには落ち着かず、マイペースにどっかに行っちゃうタイプだから背中にいるわけもないかもだけど。。。(笑)日ごろから父や母の話を聞かせているから、記憶のない子どもたちも、まるでよく知ってるみたいに「じいちゃんは●●が好きだったよね、ばあちゃんはこうだったよね」なあんて言っている。SOUやSAYAの性格やしぐさに、父母のDNAを感じることもある。こうやって、いつか私のことも、生きていたって証を、子どもたちが紡いでいってくれるのかなあ。そう考えると、人生ってとてもいとおしい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 今年も、いつも母と一緒に飾ったお雛様を、子どもたちと飾る。年々しっかりしてきて、SOUが土台の段を手早く作り上げてくれ、SAYAがお人形を大事に取り出し、二人とも手際よく、上手に飾りつけてくれた。 早速、お雛さまのお道具で遊ぶSAYA。懐かしいな。私もよく遊んだな♪ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 さて表題の件、昨年から、衣装リフォームなどでお世話になったアトリエエナさんのところにお願いしていた、発表会のグアヒーラ用の衣装が出来上がってきた。赤地に白水玉の生地を持ちこんでデザインからお願いしたところ、イメージ以上の仕上がりで素敵なファルダがついに完成!!(ブラウスはアトリエグラシアさんのものをあわせています) キャー♪このフリルぅ(薔薇柄の裏フリル、白い生地と、白いレースが効いてリッチな仕上がりに!)エナマジック! シルエットもとても素敵♪やばいやばい、完全に衣装負けしてる・・・私。。。。これから練習ラストスパート、死ぬ気でやらないとマズイよーー(泣) エナさんと遊んじゃいましたー!同時に作っていただいたストライプのIN用ブラウスに、いろいろ小物をあわせて、ガロティン風!おしゃれです♪(このブラウスも袖の独特なフリルが素敵!) 他にもアレグリアス風とか、小物でいろんなコーディネイトを楽しんでいろんな使い方の発見がありました。アトリエエナさん、うわさどおり素敵な衣装屋さんです、リフォームもアイデア満載で、マジシャンのようだ、と思いました、おすすめ!!
→ http://www.ne.jp/asahi/atelier/ena/home.html |
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伯父ちゃんが亡くなった。 |




