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皇室典範(抄)(昭和二十二年一月十六日法律第三号)
第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。 一 皇長子 二 皇長孫 三 その他の皇長子の子孫 四 皇次子及びその子孫 五 その他の皇子孫 六 皇兄弟及びその子孫 七 皇伯叔父及びその子孫 ○2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。 ○3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。 第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。 第十六条 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。 ○2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。 国事行為の臨時代行に関する法律(昭和三十九年五月二十日法律第八十三号)
(趣旨) 第一条 日本国憲法第四条第二項 の規定に基づく天皇の国事に関する行為の委任による臨時代行については、この法律の定めるところによる。 (委任による臨時代行) 第二条 天皇は、精神若しくは身体の疾患又は事故があるときは、摂政を置くべき場合を除き、内閣の助言と承認により、国事に関する行為を皇室典範 (昭和二十二年法律第三号)第十七条 の規定により摂政となる順位にあたる皇族に委任して臨時に代行させることができる。 まずはなぜ現行法で生前退位ができないのか。 現行の皇室典範の定めは天皇が交代するパターンとして「天皇が崩じたとき」しか想定してない。 しかも皇位が伝えられる順序は法定されているから天皇が皇嗣を選定することも想定してない。 さらに天皇が「精神若しくは身体の重患又は重大な事故」により国事行為を自らすることができないときは摂政を置くことを想定している。また「精神若しくは身体の疾患又は事故があるとき」は国事行為の臨時代行もできる。 そして当然ながら天皇を生前退位した存在(太上天皇)を想定していない。 旧皇室典範(抄)(明治二十二年二月十一日)
第一章 皇位継承 第二条 皇位ハ皇長子ニ伝フ 第三条 皇長子在ラサルトキハ皇長孫ニ伝フ皇長子及其ノ子孫皆在ラサルトキハ皇次子及其ノ子孫ニ 伝フ以下皆之ニ例ス 第四条 皇子孫ノ皇位ヲ繼承スルハ嫡出ヲ先ニス皇庶子孫ノ皇位ヲ継承スルハ皇嫡子孫皆在ラサルトキ ニ限ル 第五条 皇子孫皆在ラサルトキハ皇兄弟及其ノ子孫ニ伝フ 第六条 皇兄弟及其ノ子孫皆在ラサルトキハ皇伯叔父及其ノ子孫ニ傳フ 第七条 皇伯叔父及其ノ子孫皆在ラサルトキハ其ノ以上ニ於テ最近親ノ皇族ニ伝フ 第八条 皇兄弟以上ハ同等内ニ於テ嫡ヲ先ニシ庶ヲ後ニシ長ヲ先ニシ幼ヲ後ニス 第九条 皇嗣精神若ハ身体ノ不治ノ重患アリ又ハ重大ノ事故アルトキハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シ前 数条ニ依り継承ノ順序ヲ換フルコトヲ得 第二章 踐祚即位 第一〇条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク 第五章 摂政 第一九条 天皇未タ成年ニ達セサルトキハ摂政ヲ置ク 天皇久キニ亘ルノ故障ニ由リ大政ヲ親ラスルコト能ハサルトキハ皇族会議及枢密顧問ノ議ヲ 経テ摂政ヲ置ク ではいつから生前退位ができなくなったのか。 明治22年2月11日裁定の旧皇室典範においても天皇が交代するパターンとして「天皇崩スルトキ」しか想定してない。 しかも皇位が伝えられる順序は法定されているから天皇が皇嗣を選定することも想定してない。 さらに天皇が「久キニ亘ルノ故障ニ由リ大政ヲ親ラスルコト能ハサルトキ」は摂政を置くことを想定している。 つまり法制史としてみたとき天皇の生前退位ができない法制となったことと日本国憲法の制定により象徴天皇制になったこととは全く関係がない。 ではなぜ大日本帝国憲法下において天皇の生前退位を認めない皇室典範が裁定されたのか。 伊藤博文著『皇室典範義解』における第一〇条の注釈によれば 「神武天皇より舒明天皇に至るまで三十四世総て譲位された事はなかった。譲位の例は皇極天皇に始まるのは、蓋し、女帝の仮摂より来たものである。[継体天皇が安閑天皇に譲位されたのは、同日に崩御されたため、未だに譲位の始としてはいけない]聖武天皇・光仁天皇に至って遂に定例となった。これを世変の一つとする。その後、権臣の脅迫によって両統互立を例とすることがあるに至る。そして南北朝の乱は、ここに原因がある、本条に践祚を以て先帝崩御の後にすぐに行われるものと定めたのは、条大の恒典により中古以来の譲位の慣例を改めるものである。」 との理由である。 これは「中古以来の譲位の慣例」があったことは認めながら「権臣の脅迫によって両統互立を例とすることがあるに至る」といった問題を生じるから「神武天皇より舒明天皇に至るまで三十四世総て譲位された事はなかった」との上古のように改めるという考えである。 つまり天皇の地位が譲位(生前退位)されうるとした場合にこれを政治的に利用する者が現れることを問題としているのである。 ところで歴史的にみるとこの旧皇室典範は薩長土が天皇を政治的に利用してなした明治維新により成立した明治政府が作ったものである。伊藤博文は「南北朝の乱」を引いているがそこまで遡る必要はなく天皇の政治利用は当時における最大の問題であったといえる。 見方によってはこの皇室典範は薩長土が作った明治政府による天皇の政治利用の独占を完成させるものといえる。 日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)
第一章 天皇 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。 第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。 第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。 ○2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。 第五条 皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。 第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。 ○2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。 第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。 二 国会を召集すること。 三 衆議院を解散すること。 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。 五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。 六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。 七 栄典を授与すること。 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。 九 外国の大使及び公使を接受すること。 十 儀式を行ふこと。 第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない それはさておき現在においては日本国憲法の下で天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である。 日本国憲法は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」として天皇の政治的権能を皆無にした。 したがって旧皇室典範の制定時における問題であった天皇の政治利用の議論がかかる日本国憲法の下でそのまま通用することはありえない。 では日本国憲法の下での天皇の生前退位とは何か。 天皇に事故があっても国事行為について現行法制は対応を可能としている。すなわち国事行為と天皇の生前退位を認めるべきか否かは関係がない。国事行為との関係では摂政や臨時代行を置くか生前退位をするかの選択ができるようにすることに意味はない。 残るは「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であることと天皇の生前退位との関係である。 ここで初めて天皇の生前退位を認めることの問題が生まれる。 「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であった天皇が生前退位をした後にはいかなる地位となるのであろうか。 天皇の生前退位を肯定する者はこの問いに対する答えを用意しなければならない。 日本国憲法によれば天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるのは「主権の存する日本国民の総意に基く」からであってけっして天皇個人の行いや想いによるものではない。 今上天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であることを全うしてこられた行いや想いは尊いものであって日本国民の総意にかなうものであることは明らかである。 そして今上天皇が加齢により「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であることを全うできないと思っていらっしゃることも一個の人間として当然の心情である。 しかしながら天皇の地位は一個の人間の心情ではなく日本国民の総意に基くことから天皇の生前退位が認められることはない。 法形式的にも実際的にも「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であった今上天皇が生前退位をされた後の地位はいかなるものであるのか。
そして生前退位をされた後の今上天皇がいらっしゃる下での「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である新たに即位する天皇というものが成り立つのか。 天皇の生前退位を肯定する者はこの問いに対する答えを用意しなければならない。 |
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