自然主義経済
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若者の投票率が低いのは、その若者の声を代弁する政治家がいないからだとよく言われる。 それで20代・30代の人間が地方議員などに立候補しようとする。 だいたいパターンとしては、 大学卒業後、企業に就職→社会について疑問を持つ→立候補を考える→政治や地方自治の勉強をする→知り合いの政治家や政党、市民運動家などのツテをたどって政治経験を積む→立候補 というのもの。 これが悪循環を作り出している。 政治を志した当初は、ものを知らないゆえに、「若者の意見が代弁されていない」と嘆く。だが、しかしその後の政治経験や、政治の先輩諸氏から物事を多く学ぶ事によって、当初の志とは違って、政治の現実を知るようになるために、今までの議会の慣行や、今までの政治的価値観、経済思想などに飲み込まれていく。 政治というものは学べば学ぶほど、ありきたりになっていくのである。政治経験のある人ほど、平和党の政策が理解できないポイントがここにあるといっていい。そういうものをみると知識ばかりで、人間性の質も落ちていると思う。この人たちの共通性は、教育についていろいろとこだわりがあり、それを他人に押し付けようとするものが多い。そして、大人たちによって、さらに教育が悪くなっていく。 たとえば船橋市議のやっているある政治家養成塾では、マニュアルを読み込ませる。選挙のやり方もそうであるし、公約の作り方もそうだ。 松下政経塾においては、どんどんマニュアル政治家を作り出している。 よって創造力がないために、ほとんどの改革方程式に盲信している。 ホームページでもチラシでも他候補や他党の政策をパクってコピーペーストしかできないような人間は、政治家の資格はない。自らの政治理念に掲げておきながら、その詳しいやり方について人に聞くなど論外である。 今、政治経済が行き詰まっているのは、既存の利権及び既存の改革方程式から抜け出せないために起きている。平和党の理念・政策は、これらの枠内に存在しない。存在しないからこそ、わざわざ別政党としてたちあげたのである。 だが、ちまたに存在する自称改革者は、すでに数十年前から言われている同じようなことを繰り返し言ってきており、またすでに自治体として試されているものがある。これらは単なる微調整程度にしかすぎないため、資本主義の限界・地球環境の限界・人心腐敗の限界になんら寄与するものではない。また、軍事政策、戦後の戦争史観、教育基本法、憲法9条等安全保障にまつわることなども、おきまりの立場のどちらかに立って延々と言い争われている。 彼らのアイデンティティは、つねに創造性に欠けている。だいたい決り文句があって、 「民間の会社だったらありえない」 「庶民の感覚で政治をやれ」 「税金の無駄遣いを許すな」 「私は市民だから権利がある」 だが、これらの言葉は、既存の利権政治の裏返しでもあり、単に同じ数直線上で、逆の立場の利権を主張しているだけに過ぎない。 平和党が提唱しているのは、この数直線からの脱却である。 問題なのは、お金という制度そのものにあり、これに皆がとらわれて生きており、政治の世界でも同じように、このお金なるものを引っ張り合っていることでしかない。 政府や自治体でやろうが、民間でやろうが、そんなところに問題解決策は存在しない。単なるお金の奪い合いである。 問題は、お金がモノよりも強いというところにある。平和党の自然主義経済は、通貨に減価するシステムを導入することで、全ての政策諸課題が解決できるとしている。 これは単に経済政策一つだけの問題ではない。治安・国際紛争・環境問題・教育・福祉・財政・商店街の活性化など全てにつながる。 今「改革」とされているものは、実は単に抵抗勢力と同じことを逆ベクトルからやっているだけであることにいつ気付くのだろうか。 自称改革者は、本当にそれが純粋に改革だと思っている人から、単に集票のために言っているだけの人間からいろいろいあるが、いずれにしてもこれらは平和党からしてみれば、何の改革でもない。むしろ、利権政治にあぐらをかいている人々のお手本としかいいようがないのである。 とにかく若者に政治に参加させなければいけないということはないのだ。 現代社会は目標を見失っており、若者に何も期待感を抱かせないところに問題がある。チマチマとした、公用車の使用がどうのとか、議員が芸者をあげて許せないだとか、事務所費用がどうしただとか、政治本来の仕事とは無関係なところにやっかみを持つことを煽ることでしか物事がみられなくなつてきていることは確かだ。 それは現代社会に目標がないことの証明である。 戦前は日本は戦争に勝つことに、戦後は復興のために、高度成長時代は先進国と肩を並べるために、バブル時代はより豊かになるために目標があったが、今は全てが達成されてそれは存在しない。 モノが豊かになり、いらないようなものでも無理して売りつけなければ食べていけない=すなわちお金の優位性について、今世紀は社会目標を持つべきである。 そのために人類は、食料とエネルギーの自給をめざすべきであり、現在の日本銀行券に変わる、金融制度に変わる自然通貨を使ってこれをクリアにし、お金よりも人間の心に重視されるべき文化を創るものであると思う。また、地球的規模のものの考えも必要になってくる今世紀は、宇宙に視野を広げるべきであると思う。 |
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自然主義経済とは、「法律でプラス利子を禁じて、マイナス利子を促進させる」ものだと思っている人がどうにも多いようだが、それは全く違う。 シルビオ・ゲゼルの自然的経済秩序を信奉している方々の場合、プラス利子を禁じる傾向にもあるようだが、平和党の主張は、プラス利子経済はそのままにし、新たに地方レベルでマイナス利子の地域通貨経済を作り出すことである。 プラス利子とマイナス利子の通貨が同時に併存している場合、「そんなもんマイナス利子の経済が成り立たなくて、みんなプラス利子の通貨を使ってしまうではないか」と言う人もたくさんある。 プラス利子とマイナス利子が併存する場合、果たして本当にプラス利子通貨が有利なのか。これは絶対的に不利である。このことに無知であるためにかような意見がつねに出てしまうのだ。それほどまでに、我々は通貨というものに対して大きな勘違いと呪縛をかけられているのである。 歴史的にみても、今まで利子を禁じた法律というものは多々あれど、いずれもうまくいっていない。これは簡単な話だ。プラス利子とゼロ利子であるならば、プラス利子のほうが効率がよく、人を豊かにさせるからである。ゼロ利子は何の役にも立たない。 なぜならば、この世の中にはゼロなどというものは存在しないからである。存在するのは永遠の無限小と永遠の無限大によって構成されているからだ。人々はゼロというものの存在を認めたときに、必ず停滞・停止・衰退が始まる。 自然通貨というものは、自然の仕組みと同じように、分散して老朽していく。1万円が翌週には9800円になり、9800円が9600円になり、価値が減っていく。 これをインフレと同じだと言う人もたくさんある。 しかしインフレは、物の価値が上がっていく。将来のものが腐るという不自然な仕組みをやっている。だから流通速度は早まらない。 自然通貨は、通貨が減価する。だから流通速度は早まる。 もしもそうであるのならば、「価値が維持されるプラス利子の通貨なりマイナス利子の通貨」で富を保存しようとするじゃないか・・・という人も多い。 だが、お金とはそもそも何のためにあるのですか・・・・という、これだけの話です。 私はこれについて、今まで経済学的に説明してきたが、こういう説明をすると、いつも論理好きの学問馬鹿の方々がたくさん集まってくるため、どうにも彼らは納得できないのである。なぜならば、「お金が絶対」という盲信から話を始めているからだ。 だから、人間はなぜ生きているのか。生きるための生産物の調達のために我々はどのようにすべきかという、きわめて生活的な、主婦的な、日常的、生態系的なことから物事を始めなければ誰一人として理解できない。 プラス利子とマイナス利子の併存において、プラス利子を好もうとするのは、頭でっかちの人と財布でっかちの人だけである。しかし、彼らもプラス利子がいかに損するかについて、実際にやってみて初めてわかるだろう。 だが、最初から虚心坦懐であるならば、こんなことはいとも簡単に理解できるものだ。 これこそが地方経済の疲弊を取り除く決め手となる。なぜ東京の真似をしたがるのか、なぜ大企業の真似をしたがるのか。なぜ米国の真似をしたがるのか。 小さなところほど、力ないものほど、多く力を持てる原理が存在しているのに。 自治体の議会よ、職員よ、早く目覚めよ。
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自然経済は貨幣価値が固定化せず、モノと同じように流動化することですよね。 そうすれば経済が動いて、活性化するし、好景気や不景気の変動もない。どうやって貨幣価値を固定させないようにするのですか?・・・唐突な質問ですし、記事を読んでと言われるでしょうけど、関心があるので。貨幣価値が固定化せずというか、価値が減っていくわけです。自然主義経済による自然通貨は、自治体あるいは民間による電子マネーのポイントサイトによって作られます。 そのポイント管理システムは、プログラムで週に2%ポイントが減価するように設定するのです。年間52週ですから、一年で104パーセントとなり完全消耗されます。だから、例えば毎週水曜日に減価するとするなら、火曜日には物がよく売れるでしょう。 これだと家のパソコンでしかできないことになりますから、携帯電話やカードでも使えるようにするわけです。そして、これらを売ったり買ったりするポイントサイトは、住んでいる地域に限定するのです。 基本的にはサイト単位は市町村。町一つでは足りない場合は郡。政令市は区ごとにわけたほうがいいでしょう。東京特別区もさらに分割したほうがいいところもあります。 でも山里では海産物はとれない。港町では山菜はとれない。こういったことがあります。だからどうしても欲しいモノは、地域に限定されずに取引されるでしょう。しかし、基本的には、より近いところ、そして地産地消にならざるを得ないようにできています。 お金を貯めて置けないので、人々はなるべくモノを直で入れようとするからです。 ある程度、これが軌道に乗るとマイナス利子のほうが効率が良いということがわかるわけです。今はみんな自然主義経済に対してマユツバですけどね。みんなフィルターがかかっていて、にわかには信じることができないわけです。 政治というものがなぜ生まれたかというその背景には富が蓄積できるということが大いに関係しています。 例えば縄文時代は狩猟・採集生活をしていたから、富を蓄積していない。だから人間同士で殺しあう事はなかった。しかし弥生時代に入って人々は農耕を始めた。コメを作って貯めておく事ができるようになったら、働かないで支配するだけの人が現れた。そこで縄張りを争って、人々は殺し合いを始めているわけです。ストック可能な経済が戦争を生むのです。 したがって憲法をどうしようと、軍隊を放棄しようと戦争は必ずついてまわります。だからここに問題解決の糸口はありません。 では、我々が縄文時代と同じように狩猟・採集生活ができるかといったら、まず不可能でしょう。だから我ら人類は、これから今の現代文明のままで、通貨に減価機能を加える事によって、狩猟・採集のごとく、フロー中心経済を作るのです。 フロー中心の経済は、虚妄の富たる利子や貨幣そのものを好まず、モノそのものを生産しようとします。したがって必然に食糧とエネルギーを直接自給しようと市場が動くようになります。 戦争の原因に、領土・資源の争奪というものがあります。 領海をどうしてたくさん広げたいかというと、魚がほしいわけではなくて、「魚をとってお金に変える」ストック制度があるから、より多く欲しいわけでしょう。食糧そのものは、どんどんみんな残飯にして捨てている傾向がありますね。食べものが粗末にされる世の中というのは、必ず拝金主義社会となっています。 自然主義経済は神道の原点に立ち返り、こうした自然万物の恵みに対して直接の敬意を表せるようにするわけです。 だからお魚は、食べられるだけ取れたらそれでいいんです。しかし、魚のままだと腐るけれども、お金にいったん変換すると保存できるし、投資や貯蓄によって増加すらできる。だから経済システムに無理がきて借金大国となるし、戦争の原因にもなっているわけです。 そして暴力をコントロールできる力というのは、言論によるものではなくて、人に対する愛であったり、倫理性であったりします。 現代はこういう武人魂の入っていない、ただ形だけの武力論が横行しています。血も知らずに吠えるだけの無責任な人が増えたからです。 軍事と経済の本質に切り込んだのが自然主義経済と言えるでしょう。平和党は、まずはこれを民間の企業として実践しようとしています。 電子マネーを利用して、そのポイントを2%ごとに減価していくということですね。アイデアは素晴らしいと思います。ただ、現実問題その体制に移行するには抜本的な大改革が必要ですし、平和党の規模を考えると難しいですね。 あと、自然主義経済の発想は、余剰生産と私有財産を否定したマルキシズムに通じる部分があると思います。2%減るということは、それを行う組織がある訳で、下手すると相当な抑圧組織になりかねません。腐敗する可能性もあります。「税」で取っていく形との違い、税方式では出来ないものでしょうか。減価導入によって、生産意欲が減り、経済が活性化しなくなるという可能性もあり、ソ連邦崩壊のようにはならないでしょうか。 期待を込めて、あえて否定的な質問をしました旨、ご了承ください。 あと、その体制には世界同時に移行しないと、資本が海外に流出する可能性があります。それ自体に、世界同時革命の発想が思い浮かんでしまいます。
マルクス主義は私有財産を否定していますが、余剰財産は政府に貯めておく事を想定しています。したがって一社独占の資本主義経済と同じ事をしています。つまり政府型資本主義が社会主義経済です。 減価を管理する組織とは抑圧的な組織であるとのイメージですが、これは実際にやってみるとそのようなことにはなっていないことがわかります。つまりこれには前例があります。19世紀のドイツとオーストリアで。さらには現在バイエルンの一部地域でも行われています。
例えばソ連では生産意欲が減退しましたね。なぜだと思いますか。それは彼らが資本主義だからです。民間型資本主義も政府型資本主義も、余計な労働を生み出さないとみんなが食っていけないのです。だから大量生産・大量消費・大量廃棄型社会になります。環境に悪くても、経済効率がいいものが採用されるようになり、ひいては己の首を締めることになるのです。
なぜ抑圧的な組織とイメージしてしまうかというと、「減価する通貨なんて個人としては誰もやらないだろうから政治権力を使ってやるのだろう」という考えがあるからだと思います。しかし、この自然主義経済は実際にやってみると、むしろお金を使うほう、つまり生産者・消費者のほうから積極的にこの方法でやりたくなるのです。それだけの大きな流通効果があるからです。そして通貨を管理している権力者たちより、現場で生産・消費している人たちのほうが強くなれるからです。
今までの例をみるとよくわかりますが、減価通貨が導入されると、どんどん流通が動くので生産と消費も動いています。
つまり、お金というストックを作らなければ成り立たないだから、どんどんモノを作らなければならない。しかし社会主義経済だといくら働いても給料はいっしょですから働かなくなる。しかし、自然主義経済は、働いた分しかお金はもらえません。しかも、雇用拡大のための余計な資本はいらなくなるわけです。 お金よりもモノのほうが大事になっていきます。
次に、資本が海外に流出するという問題ですが、これも今までの経済学の常識が頭を支配しているから生まれる問題です。人間とはなぜ生きていられるのか。人間は自然の恵みで生きています。だが、現代人はどうしてもお金によって生きているとマインドコントロールされているのです。実はお金とは交換手段でしかなかったはずです。お金が一人歩きしているのです。
したがって平和党の提唱している食糧・エネルギー・住宅が完全供給される政策を同時並行して行うと、日本銀行券が海外に流出していようと、「それがどうした」で終わるわけです。
具体例を挙げましょう。自然主義経済の導入によって自然通貨が流通しているとします。しかし、資本主義の癖が抜けきれない人は、これを使わないで日本円として所持するか、あるいはドルや株に交換するでしょう。ギャンブルをやりたい人は今までどおりやってもいいです。しかし、自然主義経済は衣食住を満たしますから、そのようなこととは全く無関係です。
気分の問題でお金を増やしたい人は投資してもいいでしょう。自然主義経済を平和党は提唱していますが、プラス利子や輸出入に対して禁じることはしないのです。つまり、投資信託して増えたお金で、どうするのか、自然主義経済が実現されていると資本は必要なく事業ができることになっていますから、あまり意味がないのです。いままでの金融市場ゲームをしたい人はすればいいのです。 それから平和党の規模とは、これからこれをみんなに地道に理解してもらって大きくなるものだと思っています。できないと思っている場合においてはできないかもしれませんが、できると思ったことは多少時間がかかってもできるでしょう。そして、この方法をとらないと日本も世界ももうすぐ破滅への道を突き進んでいるから、必然的に選ばれるだろうと私は見ています。
「ソ連の生産意欲の低下」を話したところで、少しわかりにくかったかもしれないので補足します。 ようするにソ連のような政府型資本主義でも、民間型資本主義であってもそうですが、生産しなくてもいいものを無理に作ってでもお金を増やしていかねばならないという法則がここに存在するからです。 つまりそのために、本来以上の生産、それに伴う労働が必要になってきます。しかもいずれも画一的な工場による単純労働になるでしょう。
自然主義経済であるとなるべく産直のものを求めます。これはなぜかというと流通経路の途中に仲介が入ることは自然主義経済の特徴上ありえないからです。それは非効率だからです。つまりお金そのものよりもモノを直接仕入れることが効率が良くなります。したがって手作りのものが多くなるので、人は好んでやるわけです。もちろん何もやらない人には所得はありません。つまりは余計な労働が減るわけです。ソ連の場合は、無駄な労働を増やさざるを得なくなります。
民間型資本主義であっても、その経済構造をよくみてみると、雇用を増やすために余計なサービスを作り出さざるを得なくなります。環境負荷がかかっても、所得効果のあるもの、経済的波及効果のあるものを求めますね。電話のセールスでも、とにかく人がいらないと思っているものでも売りつけなくては、その人たちが食っていけないからです。ここに根本問題があるのですが、全ての政治家・官僚はここに気づいていないのです。
いずれにせよ、自然主義経済は、現代の楽市・楽座に相当し、個人事業主だけで成り立たせる市場を作ることができます。これによって「雇わない、雇われない、搾取されない」三拍子が成り立ちます。 |
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平和党公式サイト http://heiwatou.web.fc2.com 平和党を結党した理由は、自然主義経済実現のためである。なぜわざわざ政党として作ったのかというと、これまで減価する通貨制度というものはドイツ語圏で主に試みられたが、いずれも中央政府によってつぶされている経緯がある。だから政治団体として発言力を持ち、国会に議席を得て、政府の圧力に屈しないために結党された。 ところがこの五年前の結党時に考えていたことと、今違うのは、「国会に議席を持っても野党であるならば意味がない」ということである。 自然主義経済の実現は国政よりも地方レベルで、あるいは貧しきレベルでその恩恵を得やすい。 したがって今後、衆参両院での候補者擁立は見送る方針を示したい。地方レベルで志あるものたちが立ち上がればそれでいとも簡単に実現できるものなのだ。 平和党は単に、政治を批評する団体にあらず。自然主義経済を実現するための政党としたいからであり、議席獲得よりも、貧しき民をなくし、戦争の要因を取り除くための作業を地道にするのがその本望とした。 現在の「お金に対する利権」は、必ずや自然主義経済をうざいものとするだろう。 だから自然主義経済実現のため、我が党は政治力を必要とする。しかし、この政治力は、既存の政治力の尺度にあってはならない。 力比べでは、お金を多く持つ政党、お金を多く受け取れる政党が有利だからである。私の人生経験上、モータースポーツと選挙ほど、金がかかって技術性が重視されない競技はないと思っている。もしも強きものに対抗しようと思ったならば、我が党は魂を守銭奴に売らねばならない。今までも何度も金銭力に買い取られそうになったことがある。でも、それはすべて突っぱねてきて正解だった。 なぜ我々は金を欲するか。実は金が欲しいのではなくてモノが欲しいのである。人件費・事務所費・印刷費その他もろもろ。 ところが金を操る人々は、そういう人の心を操ってしまう。だから我々は彼らに屈せねばならない。 屈しない性格を持つ人というのは、武人性質をもった人である。彼らは、自分でモノを作る。人間がモノを作るために必要なエネルギー即ち飯・・・これをも作り出す。武農一如が資本主義崩壊後の切り札だ。 |

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