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●ブログの交流の中で出てきた「八甲田山死の彷徨」の本を読んだ。 家の本棚をたまたま見ていたら、この本があったのだ。本の後には夫のサインがある。 新田次郎がこの本を出したのが昭和46年であり、映画になったのが昭和52年である。 当時この本を読んだか、映画を見たか定かな記憶はないが、 映画は後々のテレビ放映で見たような気がする。 ●作者の「取材ノート」によれば、 この作品は20年来のテーマで、小説ではあるが実際にあった大事件が元になった話であるという。 作者の新田次郎は気象技術者として気象庁に勤務しながら、山岳小説などを書いた人で、富士山レーダー完成を置き土産に34年間勤めた気象庁を退職している。 それまでは、仕事と作家業の二足のわらじを履いていたのである。 夫人は同じく作家の藤原ていで、今をときめくベストセラー「国家の品格」を書いた藤原正彦は二人の次男である。 ●書きながら、今やっとはっきりしてきたのだが、私が見た映画は「聖職の碑」だったようだ。 何かよく似ていると思ったのは、新田次郎原作、東宝映画、森谷司郎監督が同じであったためだ。 場所は信州、学校登山での殉職という点が違っていた。 「八甲田山」の映画の翌年に封切られている。混乱したのもむべなるかな・・。 ●さて、話はかなり脱線してきたが、本筋に戻そう。 「八甲田山」の話は、明治35年1月、陸軍部隊の青森歩兵第5連隊の210名が、八甲田山へ雪中行軍に出かけて吹雪に遭い、197名の死者を出した大事件をテーマにしたものである。 日露戦争という時代背景からして、第二次世界大戦後生まれの自分たちですらわかりにくいものがある。 瀬戸内海の温暖な気候の中でのんびりと暮らしている私は、青森の、それも真冬の厳しい寒さがどれほどのものかは想像だにできない。 ただ言えるのは、経験から北海道の寒さはなんとなく理解できるし、登山の厳しさも少しはわかるつもりではいる。比較にもならないたとえかもしれないが・・・・・。 明治時代の軍隊生活がどんなものかは想像すらできないが、遭難後、死の直前には発狂した者もいるというから過酷な状況であったのだろう。 また、連隊を率いる上官は、責任をとって自決をしている。またこの上官とて、さらに上の者へ、自身の思いはあっても逆らえなかった犠牲者でもある。 ●そう考えていくと、すべては戦争へと行き着くのである。
8月6日が近づいた。 戦争と平和について今一度考えてみたいと思う。 |
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おうちの本棚にあるのが凄いですね。旦那さまの蔵書でも。私は小説は読んだことはないんです。テレビ放映された映画だけですね。作者のこととか全然知りませんでしたし。
2006/8/3(木) 午後 9:11
いつも色々と有難うございます。「国家の品格」などを読むと、息子から見た父親が描かれていて面白いですよ。八甲田山には田代という近くに<雪中行軍遭難者銅像>があるんですね。
2006/8/3(木) 午後 9:53
「国家の品格」ではありませんでした。藤原正彦著「この国のけじめ」でした。
2006/8/3(木) 午後 9:56
はい、田代平と呼ばれる高原にあります。http://www.asahi-net.or.jp/~vv4f-knrk/hakkodagotozo.htm
2006/8/4(金) 午後 10:44
早速見てみました。小説ではみな本名ではないのですが、江藤伍長こと後藤房之助の立ち往生した場所のようですね。江藤伍長はかろうじて生きていたのですが、その後亡くなります。壮絶な行軍でした。
2006/8/4(金) 午後 11:12