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■月刊「茶の間」と言う雑誌がある。その中に知っている人が掲載されていた。
母校の小学校の先生だった人だ。担任の先生ではないのでお話したことはないが
去年行われた同窓会にも来られておリ顔は馴染みだ。
学校退職後もう20年も栗園をされている。
新聞の投稿などもされており時々名前を目にしていた。
お元気でご活躍のようだ。
広島県大竹市の奥には「栗谷」と言う地名があるが、まさに栗の産地なのだ。
その昔、丹波の国から来た僧が丹波栗を村人にもたらしたといわれている。
栗園では長径が約6センチほどの、大粒のものが収穫できるという。
近くには「マロンの里」という産直市施設もある。
■話は変わって、新聞記事で見つけたもの。
木村功と言う名前の俳優を知っている人は今ではもう少ないであろうが
その新聞記事を読んでいると「大竹海兵団」の文字が見えた。
本や雑誌などでこの「大竹海兵団」に入団した著名人は結構いるのだ。
「大竹海兵団」については以前記事に書いた。
それももう現存者のほうが少なくなりつつある現状だ。
■海兵団について・資料追記
海兵団(かいへいだん)は、大日本帝国海軍において、軍港の警備防衛、
下士官、新兵の補欠員の艦船部隊への補充、
また海兵団教育と称するその教育訓練のために練習部を設け、
海軍四等兵たる新兵、海軍特修兵たるべき下士官などに教育を施すために、
鎮守府に設置されていた陸上部隊である。
呉鎮守府管轄
・呉海兵団
呉鎮守府設置と同時に鎮守府用地内に設置。戦後は海自呉教育隊に転用。
・大竹海兵団
昭和16年11月20日広島県佐伯郡大竹町に「呉第二海兵団」設置、昭和19年1月4日改称。
戦後は引揚援護局を経て大竹港の港湾施設に転用。
・安浦海兵団
昭和19年9月1日広島県賀茂郡安浦町に設置。戦後は安浦中学校や住宅地・農地に転用。
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広島県大竹市(山口県岩国市も)
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栗のシーズンですね。先日もドライブに行った時栗拾いの文字をみて栗が食べたくなりました。
その土地でとれる産物が地名になっているんですね。知り合いの人が載っているとなんだか嬉しくなりますよね。
木村功さん、名前も知っていますし顔も分かりますよ〜
2011/9/28(水) 午後 3:32
westさん、大竹市の奥の栗谷はまさに栗の産地です。
栗園もこれから盛況になるでしょう。
知っている人がこれだけ大きな記事になって載っているとビックリします。
でも、何だか嬉しいですね。
木村功さんを知っていましたか。もうかなり前になくなられましたが。
私ももう微かな記憶です。
2011/9/28(水) 午後 6:41
FANさん。小説や映画にも大竹海兵団って、偶に出てきますよね。あと、戦争の後、大竹に引き揚げた、という話も、何かで読んだような気がします。そんな人達の心の中に、大竹という土地が良い思いでの一部であれば良いですね。
2011/9/28(水) 午後 7:43 [ wes*ban** ]
wes*ban**さん、これまで出てきたものをしっかりと記録をしておけばよかったほどです。
当事者たちは良い思いでとして残っていると思いますよ。
その子どもや孫たちが懐かしがって訪ねて来るほどですから。
卒論のテーマにした孫世代の女子学生もいたそうです。
2011/9/28(水) 午後 8:50
海兵団で鍛えて 他方面で活躍してる人多いんですね!
2011/9/29(木) 午前 6:23 [ かずよし ]
ふ〜ん…というぐらい無知ですが、きっと主人に話したら
分かることなのでしょう。海上自衛隊だったし、いつも戦争物
の本を抱え込んで読んでいますから。
私が子供のころ、父はいつも戦争時代の話をしていましたから
耳たこぎみだったのですが、戦争体験者が少なくなって「戦友」と
いう言葉さえ今では聞こえてこない時代になってしまいましたね!
今晩さっそく主人に聞いてみようっと!
2011/9/29(木) 午前 8:35
かずよしさん、昔はかなりの人数がこの海兵団に入団したので
勢いかかわりのある人がいるのです。
2011/9/29(木) 午前 9:43
よっちろさん、ご主人でももうご存じない世界でしょう。
私の父の世代です。
戦争体験者ももう少なくなりましたからね。
それでも、身近にあるので興味関心を持っています。
2011/9/29(木) 午前 9:46
fanさん、やはり主人の反応はいまいちでした。
でも、広島の…呉の…新兵などを教育していた部隊で…
昔の話で…今はもうないよ…と思い出しながら言っていましたね。
2011/9/29(木) 午後 11:13
よっちろさん、無理もないです。
今時海兵団を知っているのは80〜90歳代の人か
その子ども世代くらいなものです。
それも私のように幼い頃にゆかりがあったからで、
親世代から聞かない限り知る人はいないでしょう。
2011/9/30(金) 午前 8:28
平成21年8月6日広島の平和公園で、一緒に入団した人に会いました。もちろん初めはお互い知らない者同士でした。いろいろ話し合って分かったことでした。そして「落日燃ゆ」など伝記や経済小説で知られる城山三郎氏と一緒だったことも分かりました。彼の著書「指揮官たちの特攻」に、終戦の夜のことなど、われわれの事を書いてくれていました。彼は平成19年3月22日79歳で亡くなりました。
2012/9/7(金) 午後 7:34 [ min*mi7*ma*374 ]
min*mi7*ma*374さん、まさに体験者ですね。
戦争体験者も少なくなっていますから、体験を何かの形で残されると良いと思いますね。
2012/9/7(金) 午後 9:11
栗谷にはこういう経緯があったんですね^m^
良く行くのですが全然知りませんでした(^^ゞ
木村功さん知ってますよ(@_@。
いつの間にか亡くなられてたんですね(-_-;)
お茶の間の俳優も出なくなれば
もう世間から見放されるもんですね(^^ゞ☆
2012/9/10(月) 午前 8:52
DIANAさん、栗谷にはよく行かれますか。
木村功さんを知っている人ももう多くはないでしょうね。
2012/9/10(月) 午前 10:37