|
東京観光で写した写真を中心に載せている。いつまでも続くがあと少しになった。
その8・・「新宿・中村屋のインドカリー」
前々から行ってみたかった新宿の中村屋のカレーを食べに行った。
行ってみると建物の建て替え中で、隣の高野ビルでの営業だった。
「新宿の街と共に百有余年歩んできた新宿中村屋本店は、再開発に伴う立て替えのために一時休業する。次の百年を目指し、一人でも多くのお客さんに喜んでもらえるように、生まれ変わる。平成26年秋オープン予定」とあった。
娘は「以前来た時と何か違う」と感じたはずだ。
150あるという客席がほとんどうまっていた。中の様子も写したかったが、躊躇する雰囲気だった。
接客の対応もきびきびとして素晴らしい。まるでホテルの様な感じがした。優雅な気分になれるのだ。
「伝統のインドカリー」だ。ラッキョウなどの添え物の漬物が美味しかった。お代わり出来た。
【純印度式カリーの誕生】大正末、百貨店の新宿進出に中村屋は少なからず脅威を感じていた。また、お客から「買い物の時一休みできる場所を設けてほしい」との要望があった。そこで愛蔵は喫茶の開設を検討。
しかし喫茶のような丁寧なお客扱いは容易には出来ないだろうと尻込みしてしまう。
それを聞いたボースは、祖国インドの味を日本に伝えるため、純印度式カリーを名物料理にした喫茶部をつくろうと提案する。そして昭和2年、喫茶部(レストラン)を開設。
同時に、純印度式カリーが発売された。
当時日本に広まっていたのは小麦粉を使った欧風タイプのカレー。
ボースが作ったのは本場インドのカリー。お米はインディカ米を使用し、スパイスの強烈な香りが漂う。またお肉も日本人が見慣れない骨付きのゴロっとした大きな鶏肉。
その異国の料理に日本人は初め戸惑いを隠せませなかった。そこで相馬夫妻はお米をインディカ米のようにソースが浸透し、なおかつジャポニカ米のようにモチモチ感がある白目米にする。
しばらくするとお客が骨付き肉やスパイスの香りにも慣れ、次第に売り上げが伸びていくようになった。
当時、町の洋食屋のカレーが10銭から12銭程度だったが、中村屋のカリーは80銭。
それにも関わらず飛ぶように売れた。こうして純印度式カリーは中村屋の名物料理になった。
そこにはボースの相馬家との出会いと、祖国に対する愛情があったのだ。
カレーはもちろん美味しい。中村屋のカレーというだけで満足感に浸れた。一度は食べてみるものだ。
ブログランキングアップにつながりますので、
投票ボタン↓を押してくだされば嬉しいです。
|
旅・東京・関東地方
[ リスト ]





