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いつだったか遥か昔のこと、仕事関係の講演会で広島に来たことがある。
それも大講堂の1000人級のものではなくて、
100人〜200人単位の小さな講演会だった気がする。
その時の記録が残っていないかと色々探したのだが、見つからなかった。
微かな記憶では、「NHKの広島県呉市や松江市に勤務していた」というような話を覚えている。
「とにかく暇な部署を希望して、好きなことをしていた」と言ったような話だった。
そんな中でしっかりと学んでいたのだろうか?今でも本屋巡りをよくするといい、読書が好きという。
現在はテレビや雑誌などで大活躍だが、東京工業大学でも教えている。
ウィキペディアで経歴を調べてみたら、呉や松江のことが出て来た。
◆◆1950年長野県松本市生まれ、東京都練馬区で育つ。高校在学中に、
広島抗争に於いて暴力団と対決した中国新聞記者がモデルのドラマ『ある勇気の記録』を
観たことがきっかけで、記者を志すようになる。
慶應義塾大学経済学部へ進学後、当時は学園紛争の真っ只中であったが、
自身が目の当たりにした紛争と、報道される内容とのギャップに違和感を覚え、
正しい報道をすべく朝日新聞社と、日本放送協会(NHK)への就職を希望した。
しかし、「これからは、テレビの時代」と日本放送協会への入社を決めた。
NHK時代 1973年、日本放送協会(NHK)に記者として入局。
同期にはアナウンサーの宮本隆治、大塚範一がいる。
松江放送局、広島放送局呉通信部などで勤務した。呉通信部勤務では
取材中に暴力団に囲まれるという『ある勇気の記録』さながらの体験もしたという。
1979年8月より東京放送局報道局社会部に異動し、1994年から退職する2005年まで
『週刊こどもニュース』で、ニュースに詳しい「お父さん」役として編集長兼キャスターを担当する。
ニュースの解説本『これが「週刊こどもニュース」だ!』(2000年集英社文庫)も注目を集めた。
2005年3月、定年前にNHKを退職しフリーランスのジャーナリストに転身した。
フリーランス転身後 退職後は活動の場を広げ、2005年日本テレビ『世界一受けたい授業』で
民放初出演を果たす。以降、報道・情報系の番組に多数登場している。
2008年からは、『学べる!!ニュースショー!』(テレビ朝日)に、ニュース解説者としてレギュラー出演
分かり易く丁寧な語り口が幅広い世代から好評を得て、徐々に人気を集める事となる。◆◆
■今回のことをきっかけに、これまで話を聞いた講演会の記録を抜き出す作業をしてみた。
結構な人数になった。講演会への参加は昔から好きだったのだ。
そのことはまた次回にでも。
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