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●連合野外活動で訪れた<似島(にのしま)>について述べてみよう。 ◎場所=広島県広島市の南、湾内にあるー宇品(うじな)港から約3km、
フェリーで約20分のところにある、広島市最南端の島。 ◎大きさ=外周約16km、面積は4平方km ◎人口=1,200人弱 ◎島の名前の由来は=諸説あるが、富士山に似た島→「似島」となったらしい。 ▲日本サッカー発祥の地
1919年、第一次大戦時、 似島に収容されたドイツ人捕虜と広島師範学校の学生が親善試合を行なった。 結果はみごとに惨敗だったが、ドイツイレブンに驚き、 欧州サッカーの洗礼を受けることになった。 その後、似島のドイツ式サッカー術が西日本一円に広がっていった。 彼らとの交流が、日本サッカーのレベルアップにつながったといわれている。 ▲明治時代に捕虜収容所があり、日露戦争時にはロシア人が、
第一次世界大戦時にはドイツ人が収容されていた。 このとき収容されていたドイツ人の菓子職人のユーハイムさんが作って見せたバームクーヘンが好評で、 日本にドイツ菓子店を開店し、大成功した。 日本で最初に作られたものとして有名。 ●そして、何よりも忘れてはならないのが、原爆とのかかわりのある島だということ。 昭和20年8月6日に広島市に原爆が落とされ、 その年の12月までに15万人もの人が亡くなったといわれている。 この似島にも、1万人もの負傷者が収容され、死者はこの地で火葬された。 そのうち火葬が追いつかず、かなりの人が各所に埋められたといわれる。 旧陸軍運輸部馬匹検疫所の焼却炉
日露戦争や第二次世界大戦時に、帰還兵や武器の検疫や消毒を行なっていた所。 昭和20年の原爆投下後には、臨時の野戦病院救護所となり、負傷者が次々と収容された。 亡くなった人は、この地で火葬されたり、構内に埋められたりした。 平成2年、検疫所跡の発掘調査が始まり、スコップ300杯分の骨灰と骨片が発掘された。 現在は、焼却炉の一部が、似島臨海少年自然の家の敷地内に移設され、記念碑となっている。 今もなお、各所で遺骨が見つかっている。 去年の連合野外活動の時にも遺骨の発掘作業が行われていたことを思い出した。 今年は、<似島原爆慰霊碑>の移設工事が行なわれていた。 慰霊碑の敷地周辺が狭く、訪れた人への便宜を図るため、 道を隔てたすぐそばに移設をされることになり、敷地も少し広くなった。 工事は8月10日までの予定という。 ものいわぬ遺骨は、60年たった今も原爆の悲惨さを語りかけている。 亡くなった人々の思いを風化させることなく、 いつまでも「平和の尊さ」について考えていく必要があるのではないだろうか。 今年も、ヒロシマの8月6日が近づく。 |
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2006年07月13日
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