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●中国新聞社の西本雅実編集委員の話を聞いた。 <ニュースの窓>−被爆から61年の今夏の「原爆・平和報道」を検証し、そのあり方を話した。 報道現場の様々な裏側を披露してもらった。(中国新聞文化センター興銀ビル教室で) ■記事の中の一つの言葉にも、深い意味がある。 ・「被団協50年の歩み」・・1955年8月6日、第1回原水禁世界大会・・5000人の聴衆を前に・・ →当時5000人の聴衆を収容する会場があったのだろうか? 当時の公会堂の収容人数は、1800人であった。 話した人の思い込みか、その裏を取らない記者の姿勢。被爆者の話はすべてそのまま信じる姿勢があるのでは。 ・「忘却のヒバクシャ」・・広島市の広島機械製作所ー爆心地から3.5キロの食堂で、・・突風に吹き飛ばされた。気がつくと皮膚のただれた死体が周囲にあふれていた。・・ →爆心地から3.5キロも離れていれば、周囲に死体があふれていたというのはありえないのでは。 ・「子に孫に世界へ語る・禎子さんの思い祈る・級友川野さん」・・生あるうちは「伝える責任」を果たし続けるつもりだ。・・ →「伝える責任」ストーリーのイメージにより記者が作文した部分で、実際の川野さんの思いではない?本人は表に出ることを嫌う人。 ■今年の「平和宣言」・・被爆61年でなければならない文になっていない。今年独自の文ではない。 世界情勢などが盛り込まれてない。市民や市などの行動に触れた部分がない。 ・読売の社説は、「<北>の核の脅威を見ない平和宣言」ということで、国際情勢に触れている。 ・被爆61年式典ー報道も風化する傾向に、マンネリ化の傾向も。「61年」の部分を隠したら、いつのものか分からない。<61年>の意味はどこにあるのだろうか? ・式典参加は原水禁や原水協の参加者などの人々がほとんどで、全国からやってきた人々で、広島市民の参加は全体の10%もいない。 ・テレビの全国放送も、以前はかなりの民放がやっていたが、今ではNHKのみとなった。 マスコミも風化してきているのではないだろうか。 ●報道の現場からの伝える難しさなどについての話があった。 記者も若い人たちが多い中で、様々な困難さを抱えているようだ。 しかし、1945年8月6日に何が起きたのかを正確に伝えていきたいということであった。 ヒロシマの地元紙として、担うべきものや全国からの注目も大きいことを意見として言わせてもらった。 ●終了後、 ・企画展「ヒロシマを伝えた外国人たち」(市立中央図書館) ・宮武甫・松本栄一写真展・被爆直後のヒロシマを撮る(平和記念資料館) の2つの企画展にも行った。 今年は平和学習をする機会が多く持てた。今日も平和記念資料館に行ったので、平和公園も覗いてみた。
この暑さの中で、修学旅行生らしき人たちが大勢来ていた。 いつまでも平和学習が続き、多くの人々が平和について考えていくことを願うものだ。 |
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2006年08月30日
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