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陸奥記念館
戦艦「陸奥」は昭和18年6月8日に謎の爆発で、 山口県大島旧東和町の沖合いに沈んだ。 犠牲者は1121人にも上り、昭和24年から一部引き上げをしたが、 水深40メートルを超える海底作業は困難を極め、間もなく中止された。 昭和45年から53年までの間に、深田サルベージによって引き揚げられた。 遺骨や遺品、主砲など艦体の75%が引き揚げられたという。 昭和47年に、陸奥の沈没地点を望む丘に陸奥記念館を建設した。 21年間で75万人もの入館者があったが、 そばを走る国道の改修工事のために、 現在の場所に新築移転し、平成6年にオープンしたもの。 ▲陸奥記念館は、周防大島の一番東の端にあるので、かなり車を走らせた。 前々から話にはよく聞いていたが、初めて訪れたのだ。 こういった遺品は、江田島の術科学校で見たものと似通っていた。 留守宅の娘に宛てた手紙は、子を思う父の姿であった。 ▼外の丘に行ってみた。 引き揚げられた艦首などが置かれていた。 この沖合い3キロで沈没したという標識があった。 前にハワイを訪れた時、 宇和島水産高校の練習船がアメリカの原潜にぶつけられ沈没した事故の慰霊碑を見た。 それとよく似ていたのを思い出した。 ともに予期せぬ事故による沈没で、亡くなられた方々の無念さを思う。 陸奥記念館は、将校らの冥福を祈り、恒久平和を願って作られたということだ。 ●原爆ドームのような直接的なものではないが、 これも戦争の悲惨さを後世に伝えるものでもあるのだ。 実家の父は、戦争中に海軍の経験がある。
土産に陸奥が描かれたお菓子を買った。 帰りに実家に寄ったら、陸奥記念館には一度行ったということだったが、喜んでくれた。 |
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2007年11月19日
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夕べはもう寝ようと思ったのに 何故だかブログの「書庫」が気になり作業を始めた。 「広島県外ドライブ・温泉」の書庫が多くなり、 何かの折に見るとき不自由になったのが気になっていたのだ。 このところ出かけることが多くなり、 この書庫は増加の一途を辿るばかりだ。 結構な量になっている。 15ページにもなっていたから、75記事になる。 それを5地方別に分け直した。 中部・北陸・東北・北海道は今の所ないのだ。 中部・北陸・北海道へは以前行ったことがあるので、 行っていないのは東北だけということになる。 でも、なんだか旅行記ブログになってしまいそうで
少々恥ずかしくなっている。 |

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