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●今日はどうしたことか朝から歯が痛んだ。 熱いお茶でも飲むとしみることしみること。 痛みはずっとではないが、 途切れ途切れに来るものが段々酷くなって、我慢ができなくなった。 とうとう時間年休を取って夕方歯医者に行った。 1年ぶりの歯医者だ。 しばらくのご無沙汰だった。 レントゲンを撮ったり、あちこち調べてもらったが すぐには原因が特定できない。 体調の悪さも影響しているかもしれないと言う。 久しぶりなので少し歯の掃除もしてもらって 痛み止めや化膿止めなどの薬を貰って帰ったが、 今もまだ多少痛みが残る。 ●夜は職場の上司の通夜があったので出かけた。 入退院を繰り返してはいたが、47歳の若さだった。 たった3ヶ月ばかり一緒に仕事をしただけだが、 いい人柄のため皆一様に褒める。 朝報告があった時、皆が「え〜〜!!」と驚きの声を上げたほどだ。 現役なので通夜参列者も多かった。 近頃は珍しい自宅での通夜・葬儀だ。 家の中は一杯なので外の椅子に座った。 暖かくなったとはいえ、夜は寒かった。 喪服も薄地でコートが要るほどだったので、震えていた。 歯が一層と痛んだ。
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2008年03月21日
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昨日20日は母の月命日だ。 5年前の5月に亡くなったが、 月命日の20日には欠かさずお坊さんに来てもらっている。 それを父が一人でやっているのだ。 「大変だから、そろそろ区切りをつけたら・・・?」 と父に言うが、 「7回忌までは・・・・・」 と言っている。 そして今日3月21日は母の誕生日だ。
生きていれば85歳になる。 今年は違ったが、例年春分の日になることが多い。 気候的にもいい頃なのだ。 |
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3月20日(木)春分の日 場所は簡単に言えば有名な「錦帯橋」のすぐ近くである。 先日書いた岐阜県の「薄墨桜」が岩国の生家に植えてあることを知り、行ってみたくなったのだ。 明治30年生まれの宇野千代の生家は、昭和49年に千代によって昔のままに修復された。 NPO法人のボランティアさんによって世話がなされており、 親切で丁寧な説明をしてくださった。 自筆原稿や、使用していた机や鉛筆などが残っていた。 丸っこい独特な字体だ。 庭が広くて立派で、その中に自身が植えたという「淡墨桜」が2本あった。 その木には、たった1輪が今朝咲いたと言う。 春は桜、秋は紅葉の大変きれいな庭だと言う。 「桜も日本一、錦帯橋も日本一、こんな日本一の故郷を持っている幸せ者が二人とあるだろうか。私は、とても故郷に感謝している。人間をつくるのは、故郷なのです。」 「お国はどちらですかと、訊かれると、『岩国です、あの錦帯橋の』と答えるのが私の癖である。いつ帰って見ても錦川の水は澄んでいる。魚が泳いでいるのがよく見える。春夏秋冬の錦帯橋は、それぞれに美しいが、桜の頃の錦帯橋は、特に大好きである。この錦帯橋をわたる度に、私は何とも言えない気持ちになる。いくら自慢しても自慢しきれないほどの気持ちになるのである。」 と言い、故郷を愛してやまない人柄が出ている。 「おはん」は吉永小百合主演で映画化されたが、もう24年も前のことだそうだ。 先般書いた「淡墨桜」のことは、「生きて行く私」に載っている。 土産売り場には、桜模様のハンカチや風呂敷などがたくさんあった。 私は記念に「宇野千代のお線香・淡墨の桜」と「お香・しあわせの香り」を買った。 早速使ってみた。いい香りが部屋中に流れ、幸せな気分になった。 線香の入った箱にはこう説明があった。 「私はさくらが好きです。私にとってさくらは幸福の花、咲く姿も散る姿もさくらが一番」 「さくらは幸福の花。私はさくらが大好きです。岐阜県根尾村にある淡墨の桜との運命的な出会いは、昭和48年のことでした。その時、樹齢1200年という老樹は枯死寸前の運命にありました。もう一度、この桜に万だの花を咲かせたいと私は思いました。」 その後、淡墨の桜は根尾の山里に爛漫と春を告げています。 故郷を愛し、桜を愛した作家宇野千代は98歳で亡くなり、今年没後12年になるという。
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