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・・・・前の記事の続きです。 ▼家に戻ってから、父の夕食でも作ろうということになり、 父が食べたいという「てんぷら」を作った。 今頃は我が家でもてんぷらを作ることはほとんどない。 亡き母は、どうしたことかてんぷらをよく作っていたものだ。 材料はある野菜で。さつま芋、なす、じゃがいも、玉葱でかき揚げも。 そして買ってきた「小いわし」を揚げた。 小いわしはたくさんできたのでマリネにした。これならしばらく持つ。 ▲それに、揚げ半入りきんぴらごぼうも作った。 父は何でも食べてくれるし 「美味しい、美味しい。」と言ってくれるので作り甲斐がある。 平素は質素なもので済ませているらしい・・・。 ▼材料は少なかったと思ったが、出来てみると結構多かったので、 我が家用に半分貰って帰った。 結局何だかんだと言いながら、貰い物の方が多くなった。 ▲「岩まん」と言うまことに固いまんじゅうも貰った。 岩のように固いからか、店の名前の岩味屋だからか、岩国産だからか・・・ とにかく外が固いのだ。 中味は餡入りで柔らかいのだが・・・。面白いおまんじゅうだった。 |
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2010年01月22日
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昨日は久しぶりに実家の父のところに行った。 年末に大掃除に行ってから、年始にはとうとう行かずじまいで気になっていたのだ。 行ける時に行かなければと意を決して出かけた。 娘を送って、その後車で出かけた。 まずは一番に母の仏壇へ。 その後、灯油や食料品の買い物と、墓参りにも出かけた。 去年は母の7回忌もすませたというのに、 いまだに思い出すと目に涙が滲む・・・・。 身近な存在の死は、いつまでも忘れることは出来ないものだ。 用事が済んだらその後少しドライブをする。 車がない父は、こうして車でちょっと走るのが好きだ。 広島県と山口県境まで行った。 ここには「旧山陽道跡」の看板と、「吉田松陰」にまつわる碑がある。 吉田松陰は、県境のこの地で山口県との別れを歌に詠んでいる。 県境は「小瀬川」で分かれているのだ。 安政6年(1859年)のことである。 あの<安政の大獄>で処罰されるために江戸送りになった途中でここを通過したのだ。 安政の大獄では、100人以上の処罰者が出たが、 この吉田松陰は最後の処刑者になったといいわれる人物だ。 話の内容が変わるので、ここで一旦中断して次へ続く・・・。 |
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