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土日になると夫は出かけたがる。
平日よりも土日なら高速道の割引があるので遠出しやすいからだ。
もうすでにスタッドレスをはかせているので、それを使ってみたくて仕方がないようだ。
雪見と温泉入浴がしたいという。さてどこにするかでしばし迷うが、
結局、広島県を北上してさらに県境越えで島根県の温泉へ行くことにした。
12月11日(土)
▼まずは広島県の安芸太田町の深入山へ。先般の降雪がかなりのようだ。
山にはそう積もっていないようではある。
トイレも売店も閉鎖している。出入り口には板戸が張られている。
こうやってまた半年は閉まったままなのだ。
▼北広島町までいくと「八幡高原191スキー場」が見えたが、まだオープンしていないのか、リフトが動いていない。
一時期閉鎖の話もあったようだが、今年はオープンしないのだろうか?
途中で細道に入ったら、木が倒れていて前に進めないのでバックした。▲
雪か風の影響か、よく見ると周囲にはあちこち倒木を見かける。
厳しい自然が感じられる。こんなこともあるのだ。
▼広島県を過ぎ、島根県へ入った。益田市の「美都温泉・湯元館」へ到着だ。
ここでの温泉については、別途記事にする。
温泉場に付近の観光案内マップがあったので、そのうち2箇所を選んで行ってみることにした。
▲この看板の3番目と4番目に行くことにした。
■まずは「児島高徳(こじまたかのり)顕彰碑」だ。
「南朝の忠臣」とうたわれ、後醍醐天皇の隠岐配流の阻止をたくらんだが叶わなかった話があるという。
私はそのことを知らなかったが、夫はよく知っていた。
「桜ほろ散る院の庄〜♪♪」と忠義桜の歌詞を口ずさんでいた。院庄は岡山県中部の地名(津山市)だ。
昭和15年建立の顕彰碑と、そばに「十字の詩」碑が新しく建っている。
そばには大きな桜の木が立っていた。「備後桜」として春には綺麗に咲くそうだ。
■更に山奥深く細道を車で行く。途中、倒木もあり、山肌から石が転がっていてやや怖かった。
やっと「大鳥(おおとり)たたら跡」へ到着。
江戸時代1714年頃から明治9年まで160年間あった「たたら場」跡である。
当時は200人もの人々がここで生活をしていたという。
その後も一部の人達が昭和50年くらいまでこの地で生活をしていた。
仕事場の跡が残っている。少し離れた所には共同墓地もあるという。
今は何もない原っぱだが、往時を偲ぶよすがになった。
▼後は帰るのみ。南下してまた広島県に入ると雪が見える。県下でも有数の降雪地帯だ。
気温は3度まで下がった所があった。「かりお茶屋」も「冬季閉鎖」の札がかかっていた。
その付近も雪だらけだ。冬は過酷な自然の地域だ。
夏には避暑によく来ているが、冬はただただ過酷さを思うばかりだ。
次は「美都温泉」の記事へ・・・続く。
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