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■今日は「大寒」。一年のうちで最も寒い時期。まさに暦どおりだ。
しかし、気のせいか・・・春はかすかに来つつあるのを感じる。
■話は変わって、広島県は西の端、山口県との境にある「大竹市」は今では臨海工業都市だが、
その昔は「海軍の町」として知られていた。
今はコンビナート群の立ち並ぶ場所となったが、
昔そこには「海兵団」があり多くの人が関わった施設だった。
小説や随筆などにも「大竹海兵団」という文字がよく出てくる。
しかし、それを知る人ももうかなり少なくなった。
戦後生まれですらもう66歳になるのだ。この事実を知っている人は80歳代以上だろう。
貴重な歴史の一こまをしっかりと残したいものだ。
先般父とドライブをしてその記念碑を見た。工場の中にひっそりと立っていた。
父は海軍出身者でもあり、この地のことを「生涯学習」でまとめたりもしている。
何年か前に記念のイベントがあった時には、
懐かしがって参加した方々を案内したり、説明役をしたりしている。
そのことがテレビのニュースに取り上げられたこともあるのだ。
しかし、このマスコミの世界とてこの事実を知らない世代ばかり。
これからは、取り上げられることすらなくなるだろう。
「海兵団」について調べてみた。
昭和15年、主に海軍の新兵に基礎教育をする機関として「海兵団」が作られた。
当初は3000人規模だったが、ピーク時には7000人から8000人となり、
隣の潜水学校も合わせると2万人近い人がおり、大竹は「海軍の町」という様子だった。
「海兵団」に入団したのは延べ約15万人といわれ、多くの人がここから戦地に向かって行った。
戦後、海外からの日本人引き上げ者を受け入れるため、大竹港が上陸港に指定された。
大竹港から引き上げた日本人の数は41万人にものぼり、多くの人が大竹で日本の地を踏んだ。
引き上げ港としての役割は昭和22年を持って終わり、その後埋め立てが行われ工業地帯となった。
このブログ記事を読んでも、ほとんどの人はぴんと来ないものだろう。
かろうじて存命する人がいても、ネットの記事など見る機会はないだろうし。
戦争の歴史は遠くなりにけり・・・。
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2011年01月20日
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