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■昨日も雨がひどかった。
今回の大雨は、西日本の中で、九州、四国、中国地方は山口、広島などが特にひどかった。
広島県の福山市では5河川の氾濫で、住宅街が広範囲に浸水している。
我が地域も、土砂災害や川の氾濫の恐れありという避難勧告が何度も出た。
広島の土砂災害を教訓に、避難勧告を出すことを躊躇しなくなった。
何もないことに越したことはないが、あまりにひんぱんだと、感覚がマヒしてしまうこともある。
■イギリスのEU離脱のニュースも持ちきりだった。
日本の経済にも大きく影響するようで、その関係のニュースも多かった。
■見延典子さんの講演会へ(ひと・まちプラザ) 6・13(月)にブログの記事にしたが、
その見延さんが18日(土)の新聞記事に載っていた。
私が記事にした時この人の経歴なども調べたのでほぼわかっていたが、
この新聞記事からはもっと詳しいことが分かった。
「早稲田大学の卒論で書いた作品『もう頬づえはつかない』が単行本化され、
デビュー作が50万部超えのベストセラーになり、鮮烈な作家デビューを果たした。
結婚して広島へ移住。子育てと執筆活動のバランスで悩んでいた時期もあった。」
誰もが経験することだが、見延さんもやはりそうだったのだ。
「結婚して東京での生活が面倒くさくなったこともあって、
25歳の時、主人の故郷・広島に転居した」というのも面白い。
東京生活を経験した人が、広島の地でかくも長く地域に根を下ろしていることに
前々から不思議な驚きを持って見ていた私だったからだ。
「子供が3人生まれた後は、作家として今後やっていけるか悩んだ」が、
「誰も自分に書かせてくれるわけではない、自分が描かないと何も始まらない」
とたどり着いた。30歳後半の頃だ。
「江戸時代の歴史家・頼山陽の存在を知ったきっかけで、作品を発表し続けることが出来た。
まずは山陽の母を取り上げた。誰も山陽のことを小説にしていないので、
挑戦してみようという気持ちになったのが、40代の終わり頃。」
「出版社から、こんな長尺な本を出しても何の賞も取れないと言われていたので、
頼山陽で新田次郎文学賞を受賞した時は、泣きました。」
「先輩作家に『若くして成功した作家は後が続かない』と言われた。
その先輩作家・阿刀田高さんが『よく頑張りました』と言ってくれて嬉しかった」
「新聞連載は2004年10月から翌年4月まで、623回の連載だった」
ライフワークに出会い、家庭と書くことを両立させ今日に至る見延さんの姿から、
人間の生き方のヒントを学んだ気がした。
人はどこにいても、どんな境遇でも、やり続けるという意志さえあれば可能なのだ。
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2016年06月25日
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