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■3月上旬からの週1回の歯科通院も、もうすでに6回になった。
あちらこちら治すところだらけで、長く放っていたつけが1度にやってきている。
しかし、この際だ。とことん治療に通おうと思う。
いったん止めるともう行きたくなくなるのが常だから。
今回の治療が済めば、半年に1回位は定期的な通院をしようと思う。
今後は治療ではなく、予防歯科として活用したい。
歯科の予約は出来るだけ朝一番にする。終了後には外出などの用事が出来るからだ。
帰宅後、今度はドラッグストアへ。「毎月7のつく日はポイント2倍」を利用する。
今回は、頼まれていた孫に関係するものを買った。おむつ、離乳食などだ。
アマゾンでもあれこれ必要なものを買った。いろんなものがどんどん増えてくる。
孫たちは客間の2部屋を使うが、その一部屋に荷物がかなりの量になってきている。
■朝から2つの用事を済ませた。雨も止みそうにない。
花見には行けそうにないので昼食を作らねばならないが、
その前に一息つき新聞を開いた。
ふと見ると、
何だか見覚えのある内容の投稿文が目に入った。
「私と同じようなことを書く人もいるものだな」と思い、
ふと名前を見ると何と私の文だった。
「父と戦争」という題がついている。
2月18日にメールで送ったものでもう2か月近く経っている。
掲載はもうないものだと思い、送ったことも忘れかけていた。
今頃になって掲載されるとは、こういうこともあるのだ。
字数制限があるので、
かなり短くなって多少の手直しもされている。
上手くまとめてくれたなと思うこともあるが、短すぎて意が伝わりにくい点もある。
だから、手直し前の文章を載せてみる。
(長くなるのでその文章はひとつ前に別記事として載せる。)
■今回の掲載は朝刊ではなくて「第2の朝刊・セレクト(以前の夕刊に相当するもの)」だ。
朝刊だと反応は大きくメールをくれる人もいたり、出会った時に話題になったりもするが、
このセレクトは取っていない家も多く、朝刊に比べて反応はやや少ない。
私の「タウンリポーター」記事もセレクトに載る。
父に電話をしてみた。
午前中に病院へ行くと言っていたので、読んでないだろうと思ったが読んでいた。
父は喜んでくれたのだろうか?今度行ったら聞いてみたい。
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「父と戦争」新聞掲載投稿記事(詳細は次の記事で)
新聞記事は字数制限のためかなり文章が変えられている。
以下は、原稿段階の元の文章。
◆◆1月20日こだま欄の「父の軍歴」という投稿記事で、
今「軍歴証明書」の発行申請が増えているとあった。
それなら私も知りたいものだと調べてみたら、
旧陸軍の広島県保管分は県庁で交付閲覧ができるが、
旧海軍の場合は厚生労働省で行うとあり、
一気に意欲が減退した。
そのことを父に話すと
「自分の軍歴なら本に載っている」と言い、
「郷土に薫る人々」という本を出してきた。
地方行政調査会が監修、国政情報センターが
昭和56年9月に発行しているもの。
かなり分厚い本で何万円もしたとか。
発行の数年前に関係者が来て、話を聞いて帰ったという。
父の頁を読むと知らないことばかり。時折断片的な話は聞いていたが、
じっくりと聞くこともなく、正直なところあまり関心もなかった。
父は「誰も興味を持ってくれないので話すこともなかった」と寂しげに言う。
昭和16年呉海兵団入団、海軍通信学校で学ぶ。潜水軍艦「長鯨」で南方作戦参加のため
佐世保港を出港。大東亜戦争開戦を迎え、マレー作戦に参加。フィリピン、ミンダナオ島、
ダバオ湾などに出撃、ジャワ作戦、セレベス作戦参加、17年4月呉に帰還。瀬戸内海の警備。
その後シンガポール、スマトラ島に配属、終戦を迎える。
20年12月まで捕虜として在留、マレー半島に移り、21年8月に浦賀に上陸、復員。
この時26歳。5年の軍歴である。10月に勲8等瑞宝章受章。
この瑞宝章はタンスの奥に保管していた。父は「大したものではないから」と言うが、
私は応接間の壁に貼り出した。人の目に触れてこそ価値がある。
子供の自分ですらなかなか関心が持てない戦争は今ではもう遠い過去のものになっている。
父は現在96歳。現存中にその話にたどり着いただけでも良かった。
戦争体験者は減る一方。同じ海軍出身者で同世代でもあった阿川弘之さんも鬼籍に入った。
これからも父に折に触れ話を聞こうと思う。◆◆
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