美しく歳を重ねるために

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ヒロシマ・平和公園など

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平和祈念式典に参加

昨日は73年目の「平和祈念式典」へ参加した。
2006年以来だ。⇒1年目の原爆の日、式典に参加  2006/8/6
 
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今年は特に遺族席に座っての参列だった。
義両親が亡くなったことで、式典参加の案内が来たのだ。
こういう機会はないので、夫と義妹と私の3人で出かけた。
 
朝は5時に起き、朝食もそこそこに出かけた。
遅くなると駐車場もなくなるし、各所で車両通行規制が行われるからだ。
 
椅子席への開場は6時半からだったが、その前からすでに長い列だ。朝からすでに暑い。
 
開始8時少し前に安倍首相が到着。白バイ数台に先導され物々しい警備だ。

「本日の参列者数約5万人」と知らされた。

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既に席はぎっしりの人で座れない人もいたようだ。
 
                     広島市長の平和宣言。
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                     安倍内閣総理大臣の挨拶。
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式は滞りなく進行した。
異常な高温の中なので、テントも設営されているし、冷水、おしぼりも用意されている。
ミストの設置もされていた。かなり配慮されていた。
 
それでも約1時間の式典中、少しだけだが、頭がふらふらした。
朝早く起きて、朝食もそこそこに家を出たりして、忙しかったこともある。
しかし、途中水を飲んだり、おしぼりで首筋を冷やしたりしてどうにか治った。

12年前に初めて参列した時は、席もなく1時間余り立ってみたのだが、
今は到底そのようなことは出来ない。
 
式典は、例年テレビで見るだけで終わっていたが、今年はかなり前の席で
しっかりと式典の様子を見ることが出来て、格別の年になった。
 
暑い中、市の職員をはじめ多くの関係者が、立ち働いていたのには気の毒なくらいだった。
首相が参列するようになってから、警備もかなり厳しくなっている。SPも多い。

式典最中に暴漢が首相に向って飛び出すという事件(1971年佐藤首相の時)があってからか、
かなり厳重な警戒になっているようだ。

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テレ朝「報道ステーション」の小川彩佳アナウンサーを見かけた。この日の夜の番組で早速流された。

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式終了後、慰霊碑に花を手向けてお参りをしたり、

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原爆死没者名簿の登載確認に出かけたりした。
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           ↑ミスト

原爆死没者慰霊碑にこの1年で死亡が確認された
広島での被爆者5393人の名前が新たに奉納され、
死没者は計31万4118人となる。
 
 
■奇しくもこの日は「豪雨災害1か月経過」の日で、この特集番組が多かった。
日テレの「ミヤネ屋」は、大阪のスタジオを広島テレビに移し、
宮根さんや池上彰さんもここから出演していた。

広島テレビの社屋は広島駅北口に移転したので、
新幹線を降りてすぐでもあり便利の良い場所になった。

池上さんは呉に、宮根さんは広島市内にかつて住んだことがあると言い、
思い入れのある場所でもあったようだ。

原爆の日と豪雨災害に見舞われた広島は、今年は特別の年となった。

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今日は原爆の日。原爆が投下されてから69年が経つ
広島の地は毎年この日は鎮魂の日となる。
 
今日は朝から大雨が降り、式典開始前からその影響が気になっていた。
広島県西部、山口県東部などには大雨が降り、道路や列車にも影響が出ていた。
各地で土砂崩れの恐れが懸念されるほど、雨がずっと降り続いたのだ。
 
私も夜中に何度も目が覚め、朝から寝不足気味だ。5時にはもう起きた。
 
ここ何年かは、式典はテレビでの参加。
式典参加はかつて一度だけある。
               ⇒「1年目の原爆の日、式典に参加 」 2006/8/6(日) 午後 3:13
                 http://blogs.yahoo.co.jp/fan123m/15838384.html
 
今年は何よりも雨の中の式典となり、これは43年振りだとか。
 
例年は朝から暑い日差しが照り、式典最中はかなりの暑さで、参列者の体調が心配なほど。
原爆投下当日を思わせる暑い気候が繰り返されたのだ。
今年は多くの人が雨合羽を着ての参列だ。傘をさすと邪魔になるからだろう。
 
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↑(ネット画像より拝借)
 
もう69年もたったかと思うが、何とも長い月日でもある。
被爆体験者もかなりの人が亡くなっており、現存者も高齢化している。
現存者は貴重な生き証人だ。「語り部」としての重要な任務がある。
 
どんな大きな出来事や震災などでも、月日とともに人々はそれを忘れて行く。
「風化」は世の常だ。
広島の地として出来ることを成し得なければならない。
毎年その思いを新たにするのである。
 
▼散歩途中で見つけた広島市の花夾竹桃」(きょうちくとう)」 戦後の広島を象徴する花だ。
広島市だけの花かと思ったが、全国には他にもあったのだ。
 
市町村の花・木
  • 千葉県:千葉市(市の花木)、夷隅郡御宿町(町の木)
  • 兵庫県:尼崎市(市の花)
  • 広島県:広島市(市の花)
  • 鹿児島県:鹿児島市(市の花)
このほか、長崎県佐世保市でも市の花に指定されていたが、
毒性を理由として指定を取り消されている。
 
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原爆の日関連のテレビ番組を見た。
アニメ「ジュノー〜広島で人道救援したスイス人医師」だ。
 
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この人の名前は知ってはいたが、詳細は知らなかった。
広島市の袋町小学校横にある記念碑も見たことがあり、その時は写真まで撮ったのに、記事に使わなかったために写真は削除してしまったのが今では残念な思いだ。また行ってみたい。
平和公園にも記念碑があるようだし、「ジュノー祭」も催されていると聞く。
 
スイスの医師。ジュネーヴ大学で麻酔科学を専攻。赤十字国際委員会の派遣員を第二次エチオピア戦争・スペイン内戦・第二次世界大戦の期間に渡って務めた人物である。第二次世界大戦後、赤十字国際委員会副委員長も務めた。
 
「ヒロシマの恩人」とは?
赤十字国際委員会 のスイス人ジュノー博士は、連合軍の捕虜調査のため日本に向かう途中だった。到着後、原爆投下後の惨状に驚愕し、マッカーサー総司令官に15トンの医薬品提供を交渉、自らも広島に入った。原爆投下後に医療活動を行った「最初でただ1人の外国人医師」を、広島では「ヒロシマの恩人」と呼ぶ。
15トンの救急医薬品にはペニシリン,サルファ剤,DDT,乾燥血漿など大量の医薬品や医療材料が含まれており,極限の苦しみにあった広島市民数万人の命を救った。
 
この人については、まだまだあまり知られていないのだ。「広島の恩人」を忘れてはならない。
忘れるどころか、まだあまり知られていないのだからもっともっと周知徹底をして
その労に報いるべきだ。
 
◆話は少し変わるが、トルコは明治時代に日本から受けた救難支援に対して今もその恩を忘れていないと聞く。
 
エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、
オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertuğrul Fırkateyni)が
現在の和歌山県串本沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。
この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。
現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばにはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。◆
 
 
博士は1904年生まれで1961年に亡くなっている。もう死後50年以上が経過しているのだ。
戦争という状況の中にあって、常に人間を一番に考えた人だと言える。
そこには「愛と勇気」があり、それは「善意の連鎖」につながると考えていたという。
 
恩には報いなければならないのだ。それには何をすべきか。
まずはその生きざまを知ることから始めたい。
 
 
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◆ドイツから帰国したのが7月5日だから、もう1ヶ月が経った。早いものだ。
孫は元気にやっているようだが、もう完全に私のことなど忘れているだろう・・・。
私はもうすっかり日本の生活に戻った。ドイツ生活の記憶も遥か彼方へ行ってしまった。
 
◆昨日は広島市内中心部で講演会があったので出かけたが、
少し早く家を出て、始まるまであちこちを歩いてみた。
 
毎日暑いのでどうなるかとも思ったが、歩けば風も吹くし木陰もあるので案外暑くない。
家の中にいて外の暑さを想像するほどではなかったのは、予想外だった。
 
8月6日が近付くのでどんな様子かと思い、原爆ドーム近くまで行ってみた。
 
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やはり訪れる人が多くなっている。旅行用のカートを引いた人がやけに目に付く。
遠路はるばるやってきたのだろう。重い荷物は持つだけでも大変なのだろう。
ユニホームのような同じ服を着た集団も見られる。
組織ぐるみの参加だろうか、横断幕を付けたマイクロバスも見えた。
外国人も平素より多いようだ。テレビ局の取材も行われていた。
 
これまで碑も色々と見たが、この「ヒロシマの碑」は初めて見た(気がする)。
元安川に残された原爆瓦の収集活動を高校生が行ったのは知っている。
募金は2000万円も集まったという。その間の経緯が書いてあった。
 
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平和祈念式典会場までは行かなかったが、もう準備も着々と進んでいることだろう。
年々暑さが厳しくなってきているので、式典会場では今ではテントが欠かせなくなっている。
 
明日は8月6日だ。
 
 
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公民館の読書室で本を借りて帰る時に、ロビーの展示品に気付いた。
近くに寄って見てみると「平和ポスター展」だった。〜市民が描いた原爆の絵〜とある。
 
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かつて同じようなものを見たことはあった。
しかしあまりにたくさん展示されていたので、じっくりと観賞することが出来なかった。
 
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今回は約30点ほどの作品だけが展示されているので、じっくりと観賞できる。
1枚1枚を丁寧に見ていくと、原爆投下後の悲惨さが絵に描かれているのだ。
文章や写真以上にその臨場感が伝わる。まさに実体験を伝えたものなのだ。
 
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折り重なった亡くなった人々を描いたものが多かった。
写真などでは見ることができないものだ。
まさに地獄絵だ。実際は絵以上に悲惨なものだっただろう。
 
今年も8月6日が近付く。
式典へ向けてもうすでにテントの設営などが始まっているというニュースが伝わって来る。
 
原爆投下後もう67年になる。体験者も少なくなってきているのだ。
原爆の「風化」が言われる中、様々な取り組みも行われている。
「ヒロシマの責務」としてなさねばならないこともあるのだ。
 
 
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