美しく歳を重ねるために

13年間は長いようであっという間だった。交流のあった方々有難うございました。新ブログfc2をよろしく。

ヒロシマ・平和公園など

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

先般「爆心地復元に取り組んで」〜そこに、どんな暮らしがあったのか〜
という講演を聴いた。

講師は、<爆心地復元映像制作委員会代表>の記録映画監督・田邊雅章さんだ。

話を聴く前に映画「爆心地」〜ヒロシマの記録〜(64分)を視聴した。


爆心地付近の被爆前の町の様子を再現したものだ。
今はない<猿楽町><細工町>をCGで再現している。
その中にあった生活もよみがえらせていた。
見事なまでに上手く作り上げた作品だった。

これまで原爆投下後の悲惨さを扱ったものは数多く観たが、
このような静かな中で、その平凡な生活を描く手法は初めて観るものだ。

この田邊さんの自宅はまさに原爆ドームの敷地内にあったのだ。
両親と弟を原爆で亡くしたのだが、長く原爆のことを語る思いになれなかった。
それが還暦を機に、爆心地における生き残った者の宿命と考え出して
復元事業に取り組むようになったという。

それは<自分に与えられた使命と責任>と考えるようになったのだ。

被爆以前の爆心地には、どんな町があり、どんな家があり、どんな人々が
どんな生活をしていたのか、そしてあの瞬間には・・・・。
多くの人々の協力により、爆心地復元シリーズを完成できたのだ。

10年かけて4作品を完成した。
情報収集には大変なエネルギーを費やした。
それをCGで描いていったのだ。
カラーによる復元にも苦労し、音の再現もしたのだ。
被爆生存者の証言の収録もした。

原爆で亡くなった人々の悲惨な犠牲の上に今の平和がある。
原爆は地域の伝統文化までもすべて破壊し尽くした。
それらを支える大切な人々までも葬った。

「あの日の出来事を忘れた時、再びあの日が繰り返される、繰り返される。」

田邊さんのメッセージである。


   

被爆樹木

イメージ 1

イメージ 2

8月6日の新聞全面広告だ。
一見しただけでは何だろうかとよくわからない。

<言葉の代わりに緑色で綴った「160本からの手紙」>とある。
160本とは「被爆樹木」のことなのだ。
63年前の原爆投下後、被爆しつつも残った樹木のことだ。

<「緑」の伝言。もっと知ってください。「被爆樹木」のこと。>

被爆樹木については、前にも書いたことがあるのだ。
2年前の夏は、平和についてあれこれ自己研修をしたものだ。

2年前の被爆樹木の記事だ。
今年はすっかりご無沙汰をしてしまった。

■追加しました。
被爆アオギリの記事と写真です。携帯写真で小さくて写りも悪いのですが。

緑の伝言にも詳しく載っています。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

インドの「パール判事」といっても知っている人は少ないだろう。

「東京裁判」でA級戦犯とされた日本人被告全員の無罪を主張し、
長文の意見書を出した判事だ。
しかし、裁判では朗読すら拒否され、占領下の日本では翻訳も出版もされなかった。

昭和27年11月に広島を訪れ原爆慰霊碑に参り、碑文を見て驚きかつ怒ったという。
「過ちは繰り返しませぬ」の文章である。

パール判事は、先の戦争の意義を記す詩をベンガル語で書いた。
それを、英文と日本語に翻訳して、
原爆慰霊碑から1キロも離れていない<本照寺>に建立する有志がいたのだ。

お寺は広島市中区小町にある。日蓮宗のお寺だ。
「先代が知人のインド人を介して来広中のパール判事と会う機会を得て、
その際、ベンガル語で書いてもらった。」
と境内にいたお孫さんが言っておられた。

このような碑が広島の地にあるのを初めて知った。

8月6日の新聞記事で、「原爆・平和関連本この1年」というのがあった。
その中に、このパール博士に関する本が紹介されていた。
中島岳志著「パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義」(白水社)だ。
機会あれば読んでみたい。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

原爆にかかわる碑を巡った。


戦時中の「防空壕」も残っていた。
今でこそ事故防止に入り口を閉じているが
戦後何年かは、市内でもこのような防空壕はあちこちにあったものだ。

イメージ 1

「非核」自治体 4年ぶり増


中国新聞 1月18日(木)より 要約
大合併経て宣言相次ぐ
●平成の大合併に伴って減少していた「非核宣言」をする市町村の数が、
4年ぶりに増加に転じた。
平和に向けた自治体の取り組みのマンネリ化が目立ち、
「宣言だけで中身がない」との指摘もある中、
戦争協力への拒否を自治体に働きかける、より踏み込んだ宣言を求める働きが
住民レベルで生まれつつある。

●日本非核宣言自治体協議会(事務局・長崎市)によると、
非核宣言をしている市町村は1月1日現在、1363。
2006年3月より95増えた。市町村総数に占める割合は72.2%となり、
約5ポイント上回った。

非核宣言をする自治体は東西冷戦下の1980年代に急増した。
平成の大合併が本格化する前の2002年度末に過去最高の2654
(宣言率80.9%)を数えたが、合併による自治体再編で失効が相次いだ。

4年ぶりの反転について、同協議会は「合併が一段落し、
改めて宣言しなおそうという動きが徐々に広がっている。」とみる。

●中国地方の非核宣言実施状況
広島 自治体数23(宣言自治体23)、山口22(12)、岡山29(19)
島根21(10)、鳥取19(19)・・・中国5県114(83)

最近5年間の非核自治体数の推移
2002年2654(80.9%)、2003年2629(82.1%)
2004年2006(77.4%)、2005年1268(67.1%)
2006年1363(72、2%)

●1958年、愛知県半田市が日本で初めて非核宣言を行ってから
半世紀近くが経過し、活動の形骸化も目立つ。
こうした中、平和運動に取り組む人々の間で注目を集めているのが
市町村による「無防備地域宣言」。
核兵器廃絶や平和実現の意思表示から一歩進めて、
戦闘員・兵器の撤去や軍用施設の敵対的目的での不使用などを宣言する。

無防備宣言の条例化を求める直接請求は、首都圏や関西を中心に活発化している。
ただ、市民団体「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」によると、
全国約20の市町村会議が条例案を審議し、いずれも否決されたという。

●国の安全保障にからむ問題だけに、政府は市町村が宣言主体となることに
否定的な見解を示しており、実現に向けてハードルは高い。

しかし、「非核宣言」に魂を吹き込む草の根レベルの取り組みが
各自治体に問われている。

◎「非核宣言」のポスターなどでこの文字を見たことはあったのだが、
このような経過や歴史があったとは知らなかった。
平成の大合併との絡みで、新しい動きになりつつ、
また少し別の方向性も出ているようだ。

平和はいつの時代にも求められるものとはいえ、
戦後60年以上を経過し、どうしても形骸化する傾向があるのは否めない。
世界中では常にどこかで紛争がおきており、
原爆被爆国としての果たす役割は大きいものがあろう。
ヒロシマに住む者として、これからも考えていきたいものだ。

開く トラックバック(1)

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
fan
fan
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

最新の画像つき記事一覧

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

過去の記事一覧

友だち(20)
  • ブブnoばば
  • キリン
  • 茂作
  • yabusuke1
  • なべちゃん2
  • ヘラクレス30
友だち一覧
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事