先般「爆心地復元に取り組んで」〜そこに、どんな暮らしがあったのか〜 という講演を聴いた。 講師は、<爆心地復元映像制作委員会代表>の記録映画監督・田邊雅章さんだ。 話を聴く前に映画「爆心地」〜ヒロシマの記録〜(64分)を視聴した。 爆心地付近の被爆前の町の様子を再現したものだ。 今はない<猿楽町><細工町>をCGで再現している。 その中にあった生活もよみがえらせていた。 見事なまでに上手く作り上げた作品だった。 これまで原爆投下後の悲惨さを扱ったものは数多く観たが、 このような静かな中で、その平凡な生活を描く手法は初めて観るものだ。 この田邊さんの自宅はまさに原爆ドームの敷地内にあったのだ。 両親と弟を原爆で亡くしたのだが、長く原爆のことを語る思いになれなかった。 それが還暦を機に、爆心地における生き残った者の宿命と考え出して 復元事業に取り組むようになったという。 それは<自分に与えられた使命と責任>と考えるようになったのだ。 被爆以前の爆心地には、どんな町があり、どんな家があり、どんな人々が どんな生活をしていたのか、そしてあの瞬間には・・・・。 多くの人々の協力により、爆心地復元シリーズを完成できたのだ。 10年かけて4作品を完成した。 情報収集には大変なエネルギーを費やした。 それをCGで描いていったのだ。 カラーによる復元にも苦労し、音の再現もしたのだ。 被爆生存者の証言の収録もした。 原爆で亡くなった人々の悲惨な犠牲の上に今の平和がある。
原爆は地域の伝統文化までもすべて破壊し尽くした。 それらを支える大切な人々までも葬った。 「あの日の出来事を忘れた時、再びあの日が繰り返される、繰り返される。」 田邊さんのメッセージである。 |
ヒロシマ・平和公園など
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8月6日の新聞全面広告だ。 一見しただけでは何だろうかとよくわからない。 <言葉の代わりに緑色で綴った「160本からの手紙」>とある。 160本とは「被爆樹木」のことなのだ。 63年前の原爆投下後、被爆しつつも残った樹木のことだ。 <「緑」の伝言。もっと知ってください。「被爆樹木」のこと。> 被爆樹木については、前にも書いたことがあるのだ。 2年前の夏は、平和についてあれこれ自己研修をしたものだ。 緑の伝言にも詳しく載っています。
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インドの「パール判事」といっても知っている人は少ないだろう。 「東京裁判」でA級戦犯とされた日本人被告全員の無罪を主張し、
長文の意見書を出した判事だ。 しかし、裁判では朗読すら拒否され、占領下の日本では翻訳も出版もされなかった。 昭和27年11月に広島を訪れ原爆慰霊碑に参り、碑文を見て驚きかつ怒ったという。 「過ちは繰り返しませぬ」の文章である。 パール判事は、先の戦争の意義を記す詩をベンガル語で書いた。 それを、英文と日本語に翻訳して、 原爆慰霊碑から1キロも離れていない<本照寺>に建立する有志がいたのだ。 お寺は広島市中区小町にある。日蓮宗のお寺だ。 「先代が知人のインド人を介して来広中のパール判事と会う機会を得て、 その際、ベンガル語で書いてもらった。」 と境内にいたお孫さんが言っておられた。 このような碑が広島の地にあるのを初めて知った。 8月6日の新聞記事で、「原爆・平和関連本この1年」というのがあった。 その中に、このパール博士に関する本が紹介されていた。 中島岳志著「パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義」(白水社)だ。機会あれば読んでみたい。 |
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中国新聞 1月18日(木)より 要約 大合併経て宣言相次ぐ ●平成の大合併に伴って減少していた「非核宣言」をする市町村の数が、 4年ぶりに増加に転じた。 平和に向けた自治体の取り組みのマンネリ化が目立ち、 「宣言だけで中身がない」との指摘もある中、 戦争協力への拒否を自治体に働きかける、より踏み込んだ宣言を求める働きが 住民レベルで生まれつつある。 ●日本非核宣言自治体協議会(事務局・長崎市)によると、 非核宣言をしている市町村は1月1日現在、1363。 2006年3月より95増えた。市町村総数に占める割合は72.2%となり、 約5ポイント上回った。 非核宣言をする自治体は東西冷戦下の1980年代に急増した。 平成の大合併が本格化する前の2002年度末に過去最高の2654 (宣言率80.9%)を数えたが、合併による自治体再編で失効が相次いだ。 4年ぶりの反転について、同協議会は「合併が一段落し、 改めて宣言しなおそうという動きが徐々に広がっている。」とみる。 ●中国地方の非核宣言実施状況 広島 自治体数23(宣言自治体23)、山口22(12)、岡山29(19) 島根21(10)、鳥取19(19)・・・中国5県114(83) 最近5年間の非核自治体数の推移 2002年2654(80.9%)、2003年2629(82.1%) 2004年2006(77.4%)、2005年1268(67.1%) 2006年1363(72、2%) ●1958年、愛知県半田市が日本で初めて非核宣言を行ってから 半世紀近くが経過し、活動の形骸化も目立つ。 こうした中、平和運動に取り組む人々の間で注目を集めているのが 市町村による「無防備地域宣言」。 核兵器廃絶や平和実現の意思表示から一歩進めて、 戦闘員・兵器の撤去や軍用施設の敵対的目的での不使用などを宣言する。 無防備宣言の条例化を求める直接請求は、首都圏や関西を中心に活発化している。 ただ、市民団体「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」によると、 全国約20の市町村会議が条例案を審議し、いずれも否決されたという。 ●国の安全保障にからむ問題だけに、政府は市町村が宣言主体となることに 否定的な見解を示しており、実現に向けてハードルは高い。 しかし、「非核宣言」に魂を吹き込む草の根レベルの取り組みが 各自治体に問われている。 ◎「非核宣言」のポスターなどでこの文字を見たことはあったのだが、 このような経過や歴史があったとは知らなかった。 平成の大合併との絡みで、新しい動きになりつつ、 また少し別の方向性も出ているようだ。 平和はいつの時代にも求められるものとはいえ、
戦後60年以上を経過し、どうしても形骸化する傾向があるのは否めない。 世界中では常にどこかで紛争がおきており、 原爆被爆国としての果たす役割は大きいものがあろう。 ヒロシマに住む者として、これからも考えていきたいものだ。 |





