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■あの酷かった大雨の日、避難所に行ってからもう1週間が経つ。
11日(水)に散歩がてら近所を歩いてみた。あちこちに豪雨の爪痕が残る。
こうしてみると、私が暮らしている地はかなりの田舎だということが分かる。
それでも、一応広島市内なのだが、山あり川あり田んぼも多くある自然豊かな場所だ。
その自然が災害をもたらすと、美しさが脅威に変わる。
今回の豪雨では、わが地は川の護岸が崩れたことによる災害や、
山崩れや水が大量に流れたことによる被害などがあったようだ。
雨は川と山に被害を与えたのだ。
被害は大きなものから小さなものまで数多く、かなりの箇所に渡ったようだ。 人的被害がなかったのが幸いだった。我が家も何も被害はなかった。
■自然災害にはなすすべはないが、
少なくとも出来るだけのことはして防衛をしなければいけない。
「行政が何とかしなければ」とか「避難するよう指示してくれなければ」
などとのんきなことを言う人もいるが、他力本願ではいけないと思う。
あれだけテレビやラジオで知らされたし、携帯に緊急メールが入るように設定していないのだろうか。
我が地区の班は25軒程度だが、避難したのは結局3軒だけだったのだ。我が家が避難する直前に、
近隣の家に夫が声掛けをしたが、それで避難行動に移ることはなかった。
後日「声掛けをありがとうございました」と何人かに感謝の声を貰いはした。
「話を聞くに、認識が甘かったことに気付いた」と言った人もいた。
■西日本豪雨被害はいまだに留まることを知らない。
亡くなった人の数は増えるばかりだ。もう200人を超えている。
本当に酷い災害だったことを今さらながら思い知った。
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広島の話題
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■毎日のように豪雨災害のことばかりで、そろそろ終わりしたいが、またしても新しく被害が出てしまった。
昨日は用事があり午前中に出かけたが、帰りに牛乳やパンでも買おうと店に寄った。
土日に行った時には商品がどんどん減ってきており、買うものがほとんどなかった。
もうそろそろ回復しているだろうと思い寄ったのだ。
果物や野菜がまだほとんどなかった。それでも、牛乳やパンなどは少しずつではあるが出ていた。
これまで買い置きはあまりしない方だったが、少しは買いためることもいると考え出したのだ。
買い物を済ませて車に戻ると、ヘリコプターが見える。何だかかなり低い位置を飛んでいる。それも近い。
車内でテレビを観ていた夫が「府中町で川の氾濫が起きた」と言うではないか。
府中町は広島市とは隣接し、イオンやマツダなどがある馴染みの町だ。
「10日午前、広島県府中町を流れる榎川で、上流から流れてきた土砂や流木が
橋や橋脚にひっかかって堆積し、川の水がせきとめられてあふれ出した。
町では川の周辺の地域の住民に避難指示を出し、速やかに避難するよう呼びかけた。」
その後家に帰ってテレビを見たが、地元テレビ局がヘリコプターを飛ばし全国へ中継をやっていた。
ヘリコプターの音は夕方までずっと続いた。
単に土砂や樹木が橋に引っかかったのではなく、
川上の水分峡付近で発生した土石流が流れてきたのが原因のようだ。
付近の山肌が禿山のようになっている。
何度か出かけたことのある水分峡だが、大きく変化しているだろう。
梅雨が明けて一気に暑くなったが、それでもまだ豪雨の被害は続いているのだ。
■家の周りを歩いてみた。
我が家の近辺だけでも災害の爪痕が何か所もあるのには驚かされる。
6日(金)に写した時はそう感じなかったのだが、9日(月)に行ってみると
かなりひどい状況になっていた。
護岸がえぐれ、すぐそばに立つマンションのすぐそばまで来ていた。
反対側の細道をよく歩いていたが、途中で道がなくなり通行が出来ないようになっている。
さらにもう1か所は、思わず声も出ないほどの酷さだ。
川のすぐそばに立っている3階建ての建物だが、
これも護岸だけではなく、建物の基礎の下まで達している。
建物は持ちこたえるのだろうか。住人は生きた心地がしないだろう。
ここも以前はよくしていた私の散歩コースだった場所だ。ここの家のそばの道はもう跡形もない。
■こうしてみると、川の氾濫による被害が各所に見られた。
それだけ豪雨が酷かったこともあるが、よく見れば護岸が頑丈に出来ていないし、
高さがない。増水すればすぐにあふれそうだ。
大正時代の大災害で碑まで出来ているのに、その後大きな災害がなかったから
油断があったのかもしれない。早急な護岸工事が必要だ。
幸いなことに山からの土砂崩れはなかったが、これとて油断は禁物だ。
災害はいつやって来るかわからないものだから。
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■毎日のように豪雨の記事ばかりで恐縮している。
この度の大雨では金曜日と土曜日が一番ひどく、私は金曜日の夜は避難所で過ごした。
日曜日の朝、災害の酷かった場所に行ってみた。
前日夫が行ってみたところ、かなりの酷さで、是非一度見ておいた方が良いと言う。
娘からは「やじ馬根性で危険な場所に行かないように」とくぎを刺されてはいたのだが。
私よりもむしろ夫の方がこういうことにはかなり関心が高い。
金曜日に避難所へ行く直前、19時のNHKの全国ニュースでトップに出た場所だ。
広島市東区馬木で家が土砂で埋まり、1人が行方不明になっていた。
思わずローカルニュースかと思ったほどだ。
全国的には被害がまだ多く出ていない時だったので、ここはかなり大きく報道された。
家が土砂で埋まっており、自動車も動けない状態だった。
どこまでが川なのかわからない。テレビではこちら側は写っておらず、
道を隔てた反対側の下った住宅街を写していた。
不明者を探すために消防団は朝7時に集合がかかったといい、消防車とともに来ていた。▲
広島市の森林公園へ行く道を上がり、途中で左折した場所で、近くには変電所が広がる。
これまで森林公園へは何度か行ったが、ここの場所には行ったことはなかった。
■少し下ったところに広島高速1号線の入り口馬木料金所があり、閉鎖されている。
料金所より下流部分にも被害が拡がっている。
■我が家の身近にも、坂になった道は山側からの水が川のように流れ、道路には土砂が溜まっていた。
少々ならスコップで運べるだろうが、それも叶わないほどだ。
大量の水は排水が追い付かず、葉や土砂で排水溝も詰まって付近は水浸しになるのだ。
こういうことも大雨の最中では、作業をしようにもどうしようもないものだ。
さらに近くには、ほかにもまだ爪痕が残っていることが分かった。
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■この度経験した避難所体験だが、あまり暑くも寒くもない季節で良かった。
教室には扇風機はあったが、夜中には寒いくらいになったので、止めた。
念のために長袖シャツを持参したのが役立った。うちわもたくさん準備されていた。
タオルケット1枚で寝ても風邪もひくことのない気候だ。
これが寒い時期だったらと思うとぞっとする。また暑すぎても困る。
慣れぬことで眠れなかったが、たった1泊だけのことだから楽なものだ。
これが長期に続けば本当に大変だろう。
体育館などの広い場所ではプライバシーもなく、段ボールで仕切るのをテレビで見たが、
今回の自分たちは教室に分かれており、各教室は人数も少なかった。
トイレや手洗いにも不自由することもなかった。たくさんある手洗い場で歯磨きも出来た。
■避難所開設に当たっては、広島市の職員は全員に召集がかかったという。
今回の避難所だけでも、5人の職員が配置され、あれこれ世話をしていた。
小学校の近くに住む連合町内会長さんが学校の鍵を持っており、
金曜日の14時からずっと避難所に待機していたという。
防災士である知人もやって来ており、ボランティアとして活動していた。
「大丈夫ですか?」と声かけをする人もいた。
聞けば、近所の大きな病院の看護師さんだった。自宅が近所なので来てみたという。
「気分の悪い人がおれば何か役に立てるだろう」とボランティア活動をしていたのだ。
1つの避難所だけでも、色々な人が動いてくれているということを知った。
ただし、腕章でも付けていないと何の役割の人なのか分かりにくいと感じた。
■避難をしてきた人は、大雨による濁流を見て不安になりやって来た人が多かった。 私の住んでいる地区は洪水よりむしろ土石流の心配なのだが、
これは目で見てすぐにわからず突然くるものなので、案外避難行動に出ないものなのだ。
「あなたの地区の避難所への避難が少ない」と指摘をされたと夫は言っていた。
「地区の人たちはどうも危機意識がなさすぎる」と夫はやや憤慨し飽きれているのだ。
■昨日は午後から用事があったのだが、大雨の関係で中止になりはしないかと
気になったが、そうはならなかった。
帰りに食品を買いにスーパーに寄ったが、品薄状態だった。配送に支障が出ているのだろう。
実家の父が毎日利用しているコンビニの配達弁当も、弁当が来ないので配達が出来ないとの連絡があった。
様々な所に影響を与えた今回の大雨被害だった。自然の脅威はすごいものがある。怖い。
せめて意識をもって出来ることをしなければいけない。
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■昨日は、結局「避難所」で一夜を明かした。避難所生活を初めて体験したのだ。
避難しようかどうしようか悩んだが、防災意識が高い夫がぜひ行くと言うので従った。
近所を十数軒見たが、平素は早々と暗くなる夜なのに、みなこうこうと灯りがついており、
どこもみな家にいるようだ。すぐ裏が山の家も避難する気配がなかった。
校区内の避難所の小学校に着いたのは22時過ぎていた。
■小学校へは車で行く。歩いて行くほど近くもないし、雨の中を歩くのは大変そうなので車にしたのだ。
幸い学校なので駐車場は広いので、助かった。
すぐに受付を済ませ、教室に移動。
体育館ではなく、2階や3階の教室なのだ。川があふれた時には洪水の恐れがあるからだ。
2階の畳の部屋に落ち着いた。わざわざ畳を敷いたのかと思ったが、図書館とかでもともと畳部屋だったのだ。
▲この写真では分かりにくいが、明かりがついているのは2階と3階なのだ。
避難所に行った人はそう多くはないと思ったが、何と最高時には135人もいたとか。
この小学校では、過去に時々は避難所開設もあったそうだが、毎度数人程度。
今回のような大掛かりなことはかつてなかったとか。
それでも23時ごろになると雨がやや小ぶりになり、部屋にいた人々が何人かが帰ったようだ。
今日の朝方3時後頃にはまた雨がかなり降り出したが、6時ごろになるとその雨も止み、
それに安心したかのようにどんどん家に帰ったようだ。朝の調査では85人までに減っていた。
あれだけ頻繁に入っていた緊急メールも、21時44分以降はぱたりと止んでいた。
■こんなものがあった。何だろうと思ったが、毛布だった。
圧縮袋のようなもので、薄く収められているので、箱にたくさん入る優れものだ。
タオルケットは持参した。お茶とバナナも持って出た。夜と朝はパンが準備された。
避難所ではすることもなく、時間を持て余した。ラジオを持っていけば良かった。
出がけに持参した小冊子を読むことくらいしかなかったが、
普段はじっくり読むこともないのに実感を持って読めたのだ。
こんな時はスマホがあればと思った日だった。
夫はガラケーでテレビを観ていたが、「かけ放題」ではあって「見放題」ではないのですぐに止めた。
近所の知り合いがいたので、スマホでニュースを見せてもらった。
■夜は12時ごろまで眠れず、朝3時ごろには目が覚めて、その後うとうとしたが5時にはまた起きた。
あまりに暇なので、外を歩いてみた。
予想通り、近くの川は酷い濁流だった。途中で道は通行禁止になっていた。
護岸がえぐられていたのだ。川のそばの家は浸水と護岸の決壊の心配もあったのだ。
朝に出されたパンを食べ、その後自宅へ帰った。
幸いなことに、我が家付近は被害もなく無事だった。
避難所にまで避難したことは、杞憂だったことになるのだが、何か起こってからでは遅い。
避難せずに自宅待機をしたことが正解だったかどうか、結果論で判断するのは早計かもしれない。
「避難所で人生初の体験」をして、災害の恐怖と備えを意識する日となった。
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