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5月4日(月) 朝起きてすぐ実家の父にその後の体調を尋ねたらどうにか治りつつあるということで 実家には行かなくていいようなので、出かけることにした。 出かけたのは先日行きかけて渋滞で諦めた山口県の温泉3箇所だ。(温泉記事は後日) その3箇所の周辺をあちこち見て回った。 ●まずは高速道路・中国道で一気に山口ICまで行く。(3800円を1000円で。) その手前で遠くに何やらパラボラアンテナの大きな物がちらりと見えた。 山口ICから普通道で北上して萩方向へ進む。 そこで<萩・阿武川温泉>へ入る。その後周辺を散策した。 阿武川ダムがあった。ダム湖のそばで弁当を広げていた2人連れに鳥が襲いかかった。 弁当を狙ったらしい。鷹か鷲か、鳶か何だったんだろう。恐ろしいほどだった。 ●2番目の<長門峡温泉・湯の瀬>へ行く途中に「重塀岩」というのを見つけた。 景観の素晴らしい所に奇岩が見られたのだ。 入浴後さらに進むと「長門(ちょうもんきょう)峡」にたどり着いた。 ここも美しい景観の地で名勝に指定されている。 秋に来ればもっと美しい光景が見られるだろう。 広島の三段峡のような感じだろうか。 先へ急ぐので、その景観を歩くことはしなかったのだが・・・。 高島北海という人がこの名付け親で、巨費を投じて10キロの遊歩道の整備をしたという。 ●3箇所目の温泉とその周辺見学は・・・さらに続く。
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旅・中国地方・山口県
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●ここ最近は朝の目覚めが早い。 花粉症によるものか、それとも風邪症状なのか、体調は良くはないのだが・・・。 3月8日(日) <回天発射訓練基地跡>を見た後は、<回天記念館>へ行ったのだ。 行く途中、今は小学校が建っているが、そこには昔は基地の兵舎があったのだ。 ▲さらに途中に<地獄の石段>があった。 訓練に用いた石段が残っているのだ。 そういえば、呉の<海猿>の訓練地にもこれと同じような物があったことを思い出した。 ▼記念館に到着だ。 エントランスには、全国から集まった亡くなった若者の名前が刻まれている。 建物の前には実物大の魚雷が置かれている。 中に入ると、様々な展示品があった。 ▼映画「出口のない海」で使われた回天の模型も展示してあった。 先日もNHKが放映したのに、今度は東京から来たNHKクルーがその模型の内部を撮影していた。 ▼遺書は読むとジーンとくるものだ。 確実に訪れる死を前にして、父母を思い国を思って逝く覚悟が書かれているが、 その心境はいかばかりか・・・。 広島県江田島の「海軍兵学校」にもこのような遺書が展示されているのを思い出した。 当時はこの基地の存在すら明らかにせず、秘密裏のうちに行われていたようだ。 回天のことは<○六兵器>と呼ばれたのだ。 終戦まで秘密のベールに包まれていた高性能魚雷であったが、 次第に敵に警戒されるようになったのだ。 肉親との面会への手紙にも公に出来ない内情が苦しく綴られ、 この地からかなり離れた私の実家のある駅前旅館で待つようにしたためた物があった。 「もし都合が悪くなったら電報など打たないように。連絡は駅の連絡板に書くように。」 とある文面が、時代を表していた。 今時のように携帯電話などない時代なのだ。 回天搭乗員は、ほとんどが20歳前後の若者であったのだ。 家族への手紙も、あからさまに書けない様子が見てとれる。 ▼戦没者は、整備員も入れると145名だ。 記念館にはなかったが、テレビでは「回天の戦果は撃沈3隻ほどだった」とあった。 その回天の持つ意味は何だったのだろう。 ▼「回天の母」と言われる「倉重アサ子さん」の写真と説明もあった。 知覧の「特攻の母・鳥浜トメさん」も有名だ。 ▼記念館の近くに「養浩館」という無料休憩所があった。 ここにも多少の展示品があった。関係する帽子や写真がさりげなく置かれていたのだ。 夫は記念のタオルを買った。 machiさんの縁の方ということなので、写真に撮って載せてみた。 大津島での2時間弱で2箇所の見学が出来た。 歴史に埋もれたその一端に触れた気がした。 ●帰りは「湯野温泉」へ寄った。続く・・・。 |
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●先週の金曜日だったかNHK広島の放送で、「人間魚雷・回天」のことをやっていた。 「回天」は話には聞いていたが、いまだに行ったことはなかったので、 早速8日(日)に出かけた。 広島から高速で山口県の徳山東まで行き、徳山港から船に乗る。 港の待合室に回天のポスターが貼ってあった。 そういえば映画「出口のない海」もこの話だったのだ。 ●船で「大津(おおず)島」に渡る。 徳山港から出航したが、この周辺の住所は「山口県周南市」だ。 合併によって「徳山市」という地名はなくなったのだ。 徳山は臨海工業地帯で、コンビナート群が見渡せる地だ。 20分もすれば島に到着する。 ●まずは「回天発射訓練基地跡」を目指して海岸沿いを歩く。 トンネルがあった。 基地からトロッコで訓練場まで魚雷を運んだのだ。 トロッコの線路跡も微かに残っていた。 多くの若者は兵舎からこのトンネルを抜けて訓練場まで歩いて行ったのであろう。 トンネル内には写真が貼られていた。 ●訓練基地跡だ。 全国からの若者がこの地に集まり、日々厳しい訓練をしていたのだ。 戦争の記録として残る貴重なものだ。 戦争の証として残そうという関係者の熱意が伝わってくる。 歴史の一つとして、風化させてはならないものだろう。 ■次は「回天記念館」へと続く・・・。
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ここのところ温暖な日が続いている。 1月の寒さを思えば嘘のように暖かくなった。 昼間も暖房をつけると暖かすぎるくらいで、 もうこのまま春が来るのではないかと思われるほどだ。 しかし、そうはいかないだろう・・・。 ▼1月25日(日)の島根県木部谷温泉行きの途中で写したもの。 わずか1週間前とは思えないほどの雪降りだ。 広島県から山口県、そして島根県と北上するにつれ寒さも増し、雪も深くなる。 ▼中国自動車道で帰る途中のPAで見つけた看板。 「宇佐五橋」とある。 中国自動車道の岩国市錦町町内に架かる15の橋のうち、日本有数の規模を誇り、
しかも架橋地点の地形景観にマッチするよう設計施工されたそれぞれ工法の違う5つの橋だ。 山口県の深谷PAだったか、この付近は渓谷が多く橋が多いのだ。 そのうちの一つ <深谷峡>は以前訪れたことがあるが(この高速道路ではない別の場所のもの)、 橋の上から下を見下ろすとなんとも足がすくみそうだったのだ。 |
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1月25日(日)「大竹カキ祭り」に行った後、山口県に入り北上した。 その途中に「錦川清流(にしきがわせいりゅうせん)線」の終着駅「錦町駅」に立ち寄ってみた。 何年か前に一度来たことがあるが、久々の再訪だ。 この路線は以前はJRの「岩日線」(岩国・日原間)といっていたが、今は第3セクター経営になっている。 駅舎に横断幕が張ってあるのを読むと、 <2008年12月23日からきらめき号スタート>とある。 駅構内に入らせてくれたので、あちこち観察すると 赤(ひだまり号)、青(せせらぎ号)、黄(じゃくち・きらめき号)、緑(せいりゅう・こもれび号)の列車が停車していた。 車体が見事な4つの色彩である。 駅は終点なので、線路はここで終わっている。 実はここから「とことことレイン」が出ているのだ。 これはトレインといってもトロッコ列車のような、 それも線路のない路面をタイヤの車輪の車に引かれた列車が走るのだ。 以前、この錦町からこの先のそう津峡駅まで鉄道が出来る予定で線路用地まで確保していたのだ。 それは実現しなかったが、せっかくの用地を活用しようとこのようなものになったのだ。 今は冬季のため休業しており、トンネル入り口は封鎖されていた。 運行は3月から11月ということである。 このトンネル内はきれいに壁画が描かれており、見事な光景が広がるのだ。 列車好きの人や幼い子供にとってはたまらない光景が繰り広げられるのだ。 |






