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■暑い。予想はしていたが、それ以上だ。
これから2か月、いや3か月は続くであろう暑さに、今からげんなりしている。
■「本で床は抜けるのか」西牟田 靖、本の雑誌社、2015年3月第1刷、4月第3刷発行
「本の重みでアパートの床が抜けてしまうのでは?」そんな素朴な疑問から始まった
「本」と「床」をめぐるルポルタージュは、取材を重ねるうちに「人」と「本」との
のっぴきならない関係を詳らかにすることに。足かけ3年にわたり連載され、
2015年には本の雑誌社より単行本化された人気連載。
WEBマガジン「マガジン航」で連載開始するや驚異的なアクセス数を獲得、読書家の間で大きな話題を呼んだ連載『本で床は抜けるのか』が単行本に!
......どの方法で切り抜ける? 西牟田靖
1970年大阪府生まれ。ノンフィクション作家。
日本の旧領土や国境の島々を取材した一連の作品で知られる。
「マガジン航」の連載をまとめた『本で床は抜けるのか』をはじめ、著書に『僕の見た「大日本帝国」』、『誰も国境を知らない』、『ニッポンの穴紀行〜近代史を彩る光と影』『ニッポンの国境』、『〈日本國〉から来た日本人』などがある。
目次
1・本で床が埋まる
最後に「別離」とあるのは、離婚によるもの。妻子との別れを指すのだ。それを機に、かなりの本を整理処分し、床抜けアパートから風呂なしの古いマンションへ移った。
「妻の気持ちを顧みず、本をためまくった自分勝手さのせいだ。僕は自分を責め、家に残っていた酒を手当たり次第に、昼も夜も飲んで過ごした。」
新しい家は「床が鉄筋コンクリートだということからくる安心感があった。」
「物書きとしての収入は心許ない。しかし他人に邪魔されない<自分だけの部屋>を得たという満足感で心が満たされていた。妻子と別れた寂しさと引き替えに得た自由をかみしめながら、部屋の片隅で再出発を誓っていた。」
最後は悲しいが、それでも前に向かって歩こうとする筆者の姿が見られる。
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読書
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今日から7月。もう下半期に入る。何とも早い。
雨は本当によく降ったが、さすがにもう終盤だろうか。今年は嫌というほど雨に降られた。
私は最近カレーへの興味関心が
以前より一層大きくなってきている。
そんな時に読んだ本。
■「カレーライスと日本人」森枝卓士、
講談社学術文庫、2015年8月第1刷発行
原本は、1989年講談社現代新書として刊行された。
著者は1955年生まれの写真家、ジャーナリスト。
国際基督教大学で文化人類学を学ぶ。
大正大学客員教授。
早稲田大学などでも食文化を講じる。
カレーといえばインドなので、著者は早速出かけて行って調査している。
インドカレーの特徴はスパイス。野菜炒めにカレー粉をまぶした感じで、
小麦粉でとろみをつけるようなものはなかったのだ。とろみは大量の玉ねぎを油で炒めたもの。
日本のように辛さが強調されるのではなく、香りを強調したものだった。
そして日本の物とは全く別物だという結論に達したのだ。
次にイギリスに向かう。カレー粉はイギリスから来たのだ。C&B社のものなのだ。
しかしその会社はカレー粉専門店ではなく、食品会社のほんの一部門で、国内向けは撤退していた。
歴史をたどって行けばインドがイギリスの植民地になった時代がある。
イギリスがインドにかかわるようになって、カレーもイギリスに入っていったのだ。
イギリスのカレーの主役はカレーでなく肉であり、日本のような人気の料理ではなかった。
フランスでもカレー粉を使った料理は少なく、カレーはあまり受け入れられていない。
ドイツにもカレー粉はあったが、探してみてやっとあるという程度だった。
著者はさらに突き進めて、インドやイギリス式でもない日本のカレーについて考察する。
日本最古のカレー調理法は、カエルを使ったものだった。
現在のように、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎは、明治時代に日本に入ってきたもの。
本格的な「日本式カレー」の登場は大正時代から。軍隊食から国民食へとなっていく。
国民食2大横綱、ラーメンとカレーは、関東大震災により価値観の転換がきっかけだ。
その後即席カレーの誕生(ハウスバーモンドカレーは昭和38年発売)により、
今ではインド人から「日本のカレーはうまい」と言われるほどだ。
東京新宿の中村屋は「本物のインド式カレー」ということで大好評を博し、カレーの世界が広がる。
イギリスではもともとカレーをよく食べていたが、生活パターンの変化に追いつけなかった。
日本では生活様式がどう変わろうと、それに合致するだけの顔の広さ、多様性を
カレーは持ち増殖することが出来た。まさに国民食だ。まさに日本料理なのだ。
著者は「カレー大王」と呼ばれていて、子供は「カレーの王子さま」と言われる。
2人の息子の一人は料理人となり、もう1人は父である著者と同じ大学を出た。
まさにカレーに食べさせてもらってきたと言う。
たかがカレー、されどカレー。
この一つだけを極めるだけで何冊もの本が書けるのだから、カレーとは何とも奥が深い。
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何とも「不思議な」内容の本を見つけて読んだ。
「20代で隠居・週休5日の快適生活」
大原扁理・K&Bパブリッシャーズ
2015年4月初版第1刷発行
筆者は愛知県生まれ。東京都在住。
高校卒業後、3年間引きこもり、
海外1人旅を経て現在隠居5年目。
<「隠居」と言うと、仕事を退職して悠々自適に
暮らしているお年寄りを想像するのが一般的だろうが、
大原扁理(へんり)さんは、
20代の頃から「隠居生活」を送っている。
最低限の稼ぎでのんびりと暮らす
究極のライフワークバランスを実現しているのだ。>
探してみると、筆者のブログがあった。
みなさまいつもお立ち寄りいただきありがとうございます。
とつぜんですが私は本を買うとき、だいたいもくじを見てから買うかどうか決めます。
ところがネット書店だとそれができないじゃん!と気がつき、
自分の本のもくじのとこだけ公開することにしました。
(←なんでいままで気付かなかったのか…)
ネット書店をご利用の際は、どうぞ参考になさってください。
『20代で隠居 週休5日の快適生活』もくじ
能書き
●隠居ってこんな感じ・一日のようす・隠居って何?・1ヶ月の生活費は7万円台
自分を使えば、お金は使わなくてOK・隠居流趣味の見つけ方・
気楽なお付き合い〜ファッション編・気楽なお付き合い〜人間関係編・前世はお坊さん!?
●隠居食のこと
忙しいとないがしろになるもの・ヒマになると、食に興味がわく・粗食は意外にラクだった
粗食のいいとこわるいとこ・健康が一番の節約・おいしい野草生活・ある週の献立
●隠居に至るまで
3年間ひきこもってみて感じたこと・口が退化しはじめる・ハタチ過ぎたら人生引き算
旅とひきこもりの共通点とは・とくに目的もなく上京・隠居への手探り
隠居を決意させたもの・晴れて20代で隠居になりました
●隠居あれこれ
何でお金がないと生きていけないの?・ホームレスに会いに行ってみた・生活レベルを
ぐんぐん落とす・週2日だけ働けば、生活には困らない・隠居とフリーターは何が違うのか
虎の子貯金は必要です・隠居はタカらない・次世代型の隠居・隠居のひとりごと
昨年4月に本を出版してから、出版社の意向もあったのか、その後アメーバーブログを開始している。
1年間は毎日ずっと書き続けているのだ。それにしても、文章が短い。1日数行だ。
しかし、長々と書くだけが能ではない。短い中に思いが凝縮している。
自分自身のブログの体裁をやや反省させられた。
それにしても、こんな生活が出来るのだという驚きは大きかった。
若いのに隠居、とはいえニートでもない。週に2日ほど働き最低限の収入を得る。
住居費の高さに思い余って、多摩に引っ越すことにより、月の生活費は7万円台に収まる。
早寝早起きを旨とし、ほぼ自炊、粗食、野草生活、健康のための努力(ラジオ体操、ヨガ)。
自堕落な生活とは程遠い、結構規則正しい、かつきわめて人間的な生活の日々だ。
高卒後3年間引きこもり、その後外国旅行もした。帰国後、地元にいることに
生き辛さを感じて上京、コンビニと本屋の掛け持ちバイトで忙しさは半端でなかった。
働いても働いても余裕がない生活に疑問を感じ・・・隠居に至った。
生活のレベルをどんどん落とし、週に2日働くだけで生活には困らず時間はたっぷりある。
著者の言う「21世紀版都市型隠居」とは・・・
「郊外の小さなアパ−トを借り、週に2日だけ働き、人に迷惑をかけず、
友人は厳選した人が少しおり、携帯は持たず、テレビも持たず、社交をせず、
たまには都会に出て行って贅沢もするが、基本的には欲はなく、こだわらない。
ただひとつだけ、現代社会と距離を置くことに、どん欲にこだわる。
そして自分の生活をこよなく愛し、楽しんでいる。こんな感じです。ザ・人畜無害!」
自由時間には図書館の本を読む。かなりの読書家だ。ブログ記事にも読書のことが
たくさん出てくる。そこで蓄積された知識は、著書の中にも多く出てくるのだ。
出版された本は売れ行きも良く、重版もされ、
その後、テレビ、ラジオ、雑誌、トークイベント出演と続き忙しい。
今の隠居生活が変化するかと思えば、そうでもなく相変わらず同じらしい。
人間はここまで徹底してやればできるのだ。しかし、そこまでやる人はそうはいない。
拘らないとはいえ、ある意味で相当のこだわりの人だ。
今をしっかりと楽しんで生きること。これだけ徹底すれば人生後悔することはないだろう。
人間の憧れの究極の姿だ。そうは出来ないのが浮世の常なのだが。
ほぼすべての人はそれが出来ずに日々あくせく働く。
そうすることが老後を実りあるものと信じて。考えさせられた。
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昨日は実家行きの日。前回は16日(月)だったので、10日振りだ。
1日中雨が降った。私が行く日に限ってよく雨が降る。
雨でも無視してシーツなどの大ものを洗濯して、軒下に干した。
後はいつも通り。野菜と厚揚げの煮もの、大根なます、即席バラ寿司、ソーセージ入りスクランブルエッグ・・・などを作った。
父は相変わらずだが、自転車に乗ることをいまだに諦めていないらしく、先日乗ってみたらしい。
結構な運動量になって、帰りは疲れきったという。
おまけに、片目にクマが出来たという。慌てて病院へ行ったら「血液をサラサラにする薬を飲んでいるので、それが影響しているのではなかろうか」と言われたとか。
とにかく、無理は禁物だ。「自転車はもう諦めなくては。」と言ったのだが・・・。
■前回、実家に行った時に父に読んでもうために持参した本。
阪上史子著「大竹から戦争が見える」ひろしま女性学研究所発行・2016年2月初版
地元・中国新聞の「読書」欄に紹介があった本だ。
著者は1946年広島県西の端・大竹市で生まれ育ち、地元大学卒業後、
兵庫県の公立高校教諭を定年まで勤めあげ、2007年に退職。宝塚市在住。
2001年中国の海南島戦跡フィールドワークに参加時に、思いがけず大竹との深い関係を知った。
その「2つの土地の接点に自分がいるという実感から、調査の原動力となった。」
その後ひんぱんに大竹に暮らす母を訪ね、市役所や図書館に通い歩き回った。
人口3万人弱の大竹市は、今では石油コンビナートで知られる町だが、
歴史遺産たっぷりな町でもある。1608年に出来た亀居城は今は城跡が残っている。
玖波本陣もあった。
1866年の第2次長州戦争の最前線地(芸州口の戦)。
島倉千代子の歌った「あゝ征長隊」には<大竹口に陣を布く>とある。
その作詞の石本美由紀さんは大竹の人。ヒット曲「憧れのハワイ航路」は大竹港のことだ。
明治以降は海の埋め立てにより新開が出来た。終戦前後の激動の時代。
大竹海兵団では15万人もの人がここで軍事訓練を受け潜水学校もあった。1945年4月に
沖合で訓練中の潜水艦が沈没して115人が死ぬという事故があったことはあまり知られていない。
広大な軍用地。軍人用住宅は200戸もあり、海軍都市だったのだ。
それらは戦後、国立病院、中学校、高等学校、警察学校、民間企業に転用や払い下げされる。
農地改革により耕作者への売却もされた。
戦後の進駐軍は、米軍、英国軍、ニュージーランド軍が担当した。
全面返還は1961年までかかり、その後は工場誘致が進み、大工場地帯となる。
今では夜景観賞スポットとして西日本第4位にランク付けされている。
日本全体では660万人もの引揚者がいた。大竹港への復員引き上げ者は41万人。
そのうち300人が第2の故郷として住み着いた。
税関や検疫病院などもあり、業務従事者が約1000人もいたという。
大竹市の2005年のメモリアルイベントのために、
映像「大竹港引き上げの記録」をアメリカ公文書館から入手をしている。
企業城下町大竹だが、著者は三菱レーヨンに住んでいた「社宅住まい族」だったのだ。
そこでの生活も描かれている。工場建設と拡張のために多くの人が移り住んだ。
飯場、朝鮮人(400人)、中国人のことも出てくる。
逆に、明治以来大竹市は、ハワイ、ブラジル、ペルーへの移住もあった。
前述の「憧れのハワイ航路」がそうだ。
1945年9月の巨大台風「枕崎台風」は、死者が3000人にも達したものだが、
広島県呉市では山津波で2000人の死者が出た。京都大学の原爆被害者調査と治療のための
大野陸軍病院では、山津波で176人もの死者が出ている。
救出に大竹海兵団、潜水学校生徒が対岸から船で駆けつけた。
1947年12月に天皇陛下の大竹訪問(天皇行幸)があった。36分の滞在後宮島に向かっている。
・・・・・・
読めば読むほど歴史の歩みを感じる本だ。父もこの本にいたく感動していた。
「本当によく調べている。自分もあらゆることを知っているつもりだったが、
知らないことが多かったほどだ。」と言っていた。
単なる調査結果だけでなく、自分の育ってきた思い出話などもたくさん盛り込み、
身近な話として読みごたえがあり、完成された本になっているのだ。
それでも、関係者以外にはあまり関心がないかもしれない。
戦争関係者ももう数えるほどになった現在だ。「戦後は遠くなりにけり」ではある。
■「藤原家のたからもの」藤原美子
集英社・2016年1月第1刷発行
著者は心理学者、エッセイスト、翻訳家。
夫は、数学者でエッセイにも定評があり、
ベストセラーになった「国家の品格」の藤原正彦さん。
夫のエッセイにも妻はしょちゅう顔を出す。
アメリカプリンストン生まれ。お茶の水女子大修士
(発達心理学)修了。男の子3人の母。
心理学の教鞭をとり、執筆活動を続けている。
題名が示すように、藤原家の宝物についての話だ。
義父母の作家の新田次郎と藤原ていさん夫婦も登場する。
生まれた子が3人すべて男の子だった時の、出産時の夫の態度が出てくる。
京都の出町ふたばの「黒豆大福」「豆餅」のことも出てきた。
昔過ごしたイギリスのケンブリッジを訪ねた後から、隣家の住人から熱烈なラブレターが
届いたという話。そのラブレターの文面を載せているのにはびっくりするやら笑えるやら。
そしてそれは今、著者の大切な宝物になっているのだ。
夫も大した人物だが、妻もそれにも増してスケールの大きな女性なのだ。
ユーモアセンスも負けてはいない。
ある雑誌の書評欄には、この人を称して「只者ではない」とあった。
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予約していた本が4月末にやっと来た。実に半年もかかった。
本の名は「土佐堀川」(女性実業家・広岡浅子の生涯)。
NHK前回朝ドラ「あさが来た」の原作本だ。
予約したのは昨年10月上旬。12人待ちなのですぐに順番が来ると思っていたが、
いつまでたっても来ない。1人最長2週間、12人で24週、計算上は6か月待ちになる。
それにしても待たされた。1冊読むのに2週間もかかるはずはなく、私は2日で読んだ。
また貸しでもしたか?早くしないとドラマは終わってしまうと懸念したが、案の定そうなった。
今さら…とは思ったが、せっかくなので一応読んだ。
作者は古川智映子さん。現在83歳。初版は1988年なので何と30年も前。
作者自身が「びっくりぽんや」と驚いている。この本は第9刷。潮出版社。
読み進めていくうちに、本の内容はテレビドラマとはかなり違うことに気づく。
鉱山の取り組みがかなりのスペースを占めている。
その他、加島銀行、日本女子大学、大同生命の誕生などが書かれている。
少ない資料を探し求めて、三井文庫に通い、大阪と京都にも行き
加島屋本家の子孫や孫の存在を突き止め、聞き書きをした。
西宮市雲井町の広岡家にも行って、写真を見たり話を聞き小説の肉付けをした。
浅子は、肺結核、刃物で刺される事件、乳がんと3度も死にかけた。
それでも奇跡的に快復し、69歳で亡くなった。62歳でキリスト教を受洗している。
ここしばらく朝ドラの主人公はキリスト教の洗礼を受けた人が多いが、ドラマでは描かれない。
▼これは新聞の連載記事。
「花子とアン」の村岡花子とも親交があったので、朝ドラに登場するかと思ったが、それはなかった。
テレビドラマはドラマなりにかなりの面白さを加えて、まさに楽しめるものになっていた。
脚本もしっかりしていたし、脇役にも豪華な俳優陣を使い、予算も贅沢に使ったのだろう。
翌日が待ち遠しいほどのドラマになっていた。原作あってのドラマ化だが、原作とはかなり別物だ。
映像を先に見るか、原作を先に読むか…それぞれに良さはあるが、
今回は全く別物を2つ体験した感じで、ともに得した気分になった。
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