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1月2月は牡蠣祭りがあちこちで催される。 広島県も西部で言えば、広島、宮島、大野、大竹などあちこちであるのだ。 今日は「第8回大竹カキ水産まつり」へ出かけた。 カキまつりはどれも人気で、あまり人出が多いとそれだけで気後れする。 その中でもこの「おおたけ」のものは比較的規模がこじんまりしている。 父はここの催しが楽しみらしく私に2回も電話をしてきたので、行かない訳にはいかない。 現在は「ゆめタウン」の隣で行われているが、 以前はもう少し先の「玖波漁港」で行われていた。 その頃はまだまだ規模が小さく、人出も少なくて無料のカキをたくさん食べることが出来ていたものだ。 今の場所に移ってから年々人出が多くなり、 今日など、無料の焼きカキ先着3000名の列は開始の10時に着いたらもうすでにかなりの人数が並んでいた。 しかし、どうにか一皿2個のカキにありつけたのだ。 「ハマチの刺し身」先着1500名無料というのもあったが、 あまりの人の多さでどこでやっているのかもわからないので、諦めた。 「カキ飯・カキ雑炊・カキフライ・カキ入り具だくさん味噌汁」などが有料だが、 これとて並ぶようなのだ。 比較的並ばなくていい物を選んで「カキのベーコン巻き」と「カキ入りうどん」を食べた。 無料のお酒を頂くことは出来た。 舞台で太鼓演奏や神楽などもやっていたが、ゆっくり鑑賞することも出来ないほどだ。 広島東洋カープの前田健太郎投手と岩本隆裕外野手も来場とチラシにはあった。 昼時にかかり程よくお腹を満たしたので、 改めてお昼を食べるには間がいるようなので、父を家まで送り先を急いだ。 ●さきほど舅から電話があった。夫がこのカキ祭りのニュースに写っていたということだ。 ビックリだ。 翌日の新聞によれば、人出は2万人にも上ったということだ。 ■■この後、またしても山口県へ行き
途中、「錦川清流線」の終点「錦町駅」に立ち寄った。 その後さらに北上して島根県に入り「木部谷温泉・松乃湯」へ行ったのだ。 |
広島県大竹市(山口県岩国市も)
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●「とんど」の催しはもうほとんどが先週の日曜日に済んだのだろうが、 地域によっては同じ日に重なるので、1週間ずらせたところもあったようだ。 我が町内会もそうで、昨日の土曜日に行われたのだ。 しかし、昨日は実家の父の誘いもあり、実家のとんどへ出かけた。 ここ何年かはこの地のとんどへ出かけており、お馴染みのものではある。 人出も多いし、催しに結構なお金をかけているのが分かる。 何臼もお餅をついて、ぜんざいを食べさせてくれる。 子供たちにはミカンとお餅入りのお土産まである。 行き着くまでに家から1時間半近くはかかるので、10時半の点火ぎりぎりに到着したため、 写真撮影をするために走りこんでやっとセーフという具合だ。 ぜんざいはお代わりも自由なようなので2杯も頂いた。 つきたてのお餅が入り、甘いぜんざいは大変美味しかった。 父と昼食を一緒に食べにでも行こうと思ったが、 さすがにぜんざいでお腹がいっぱいで、お昼はすぐには食べられないので 昼前に実家を後にした。 ●この後は山口県に温泉ドライブへと出かけた。 山口県の柚木慈生温泉と石船温泉に出かけた。(詳細後日) 山口県を奥深くまで行くと、あちこちに雪が降り積もっていた。 帰りは高速の中国道を通って帰った。 途中、吉和SAで休憩をして食事をした。 夕方だったが、利用の車が数台しかいなかったのだ。 その閑散振りに驚いた。 ■■昨日はでかけたものの、 このところ気力と体力がやや低下気味だ。 今日はあちこちで色々な催しをやっている。 「島根ふるさとフェア」は<なべちゃん>ブログでも見て行ってみたいなと思わせるものだ。 「ひろしま男子駅伝」「廿日市フードフェスティバル」など目白押しだ。 しかし天候もいまいちはっきりしないし、今日は一日休息日としよう。
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●朝起きて見ると、我が家から見える遠くの山には雪が積もっていた。 車で走る途中、あちこちに見える山々にも雪が降り積もっていた。 昨夜はさぞや寒かったのだろう。 幸い今日は穏やかないい日和だったが、やはり気温は低かった。 ●今日は実家行き。 今年は父も元気に新年を迎えられた。 弟家族5人を入れて7人の集まりになった。 夫は地元の行事の関係で行かれなかったのだが。 実家の集まりも次第に人数が減ってくるのは致し方ないか・・・。 多い時は12・3人も集まったこともあったのに。 甥っ子や姪っ子もどんどん大きくなる。 我が家の子供たちだってそうなのだから、当然のことではある。 いつのまにか子供たちが社会人になるなんて、月日の経つのは早いものだと痛感する。 今では元旦からお店も開いているのでご馳走の予約もせず、 揃ったら買い出しに行く予定だったが、 弟がほとんどを買ってきてくれたので、すぐ食べられたのだ。 ●食後はドライブ。 父は元気でありさえすればドライブに出かけるのが好きなのだ。 ドライブ途中で面白いものを見つけた。 いつかテレビニュースでやっていたように微かな記憶があるのだが、 「海軍潜水学校(広島県大竹市)」の建物の一部が残されているものを見つけたのだ。 付近が埋め立てられたため、その学校の建物の一部が記念に残されているのだ。 それは海軍の潜水艦乗組員の養成のための学校だったのだ。 呉市から移転されたのが1942年だから、まさに戦争中だ。 海の中に建てられていたその建物は、今では陸に揚げられて記念に残されるようだ。 そして、この付近は記念の公園になるようだ。 この「潜水学校」などを知っている人は、 若くてももう50代以上の人くらいしかいないかもしれない。 地元の人間でなくても、全国には戦時中ここにゆかりのある人もいるのだ。 そんな人はもう80代以上の人になるだろう。 父などは戦争体験者だから、この建物は感慨深い物があるのだ。 そういえば、地元テレビ局がこの建物のことを特集で扱い放送したことがある。 その時、父が当時のことを知っているということで、 インタビューに応じてテレビに出たことがある。 今ではもう高齢になった関係者の方々が今でもやってきたり、 問い合わせがあるそうである。 wikipedia からの引用 1905年に日本海軍は潜水艇を初めて導入し、横須賀水雷団で運用を開始したが、 小型のために洋上訓練もままならなかった。 導入から1年で横須賀での運用を断念し、所属艇すべてを呉軍港に移転したことから、 潜水艦の実習教育は呉で実施されることが慣例となった。 当初は附属の潜水艦母艇を繋留校舎として使用していたが、 潜水艦従事者の増員に対応すべく、1920年に校舎を建設して開校した。 他の術科学校と同様に、普通科・高等科・特修科・専攻科の4コースが設定されたが、 のちに潜水艦長養成コースとして甲種が特設された。 また、すべてのコースが兵科と機関科の二本立てで実施された。 機関科では、水上艦にはないディーゼルエンジンとバッテリーの取扱いが重視された。 とはいえ、その頂点に立つ機関長の養成コースは設定されず、高等科をもって修了となった。 太平洋戦争後半に、環境が大きく変化している。 まず校舎を大竹市に移転し、老朽潜水艦を実習船として活用する「呉潜水戦隊」が編制されている。 呉潜戦司令官は潜水学校長が兼任した。 潜水艦作戦が行き詰まり、特攻作戦が本格的に計画されるようになると、 柳井市に「特殊潜航艇」訓練を主目的とした柳井分校を設置。 さらに1945年春より、爆撃機による瀬戸内海の機雷封鎖作戦が開始されるようになり、 大竹での実習が困難になったことから穴水町に七尾分校を立ち上げ、 七尾湾での実習を試みた。閉校は1945年9月15日である。 |
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ドライブ途中に見つけたもの。 広島県と山口県は小瀬川で県境になっている。 広島県の大竹市には「木野(この)」という地名があるので 広島県側では「木野川」とも呼んでいる。 その県境・川のそばにあった記念碑と説明板だ。 1枚目は、「旧山陽道」の説明板。 歴史的には古く、始まりは奈良時代というからとてつもなく昔のことだ。 2枚目は江戸安政の「吉田松陰の句」だ。 3枚目はその説明板だ。 「夢路にもかへらぬ関を打ち越えて 今をかぎりと渡る小瀬川」とある。 安政といえば5年に家定の死、7年に桜田門外の変があった時代だ。 吉田松陰は安政6年に亡くなっている。 山口県との別れに際して作った句だ。 この句を山口県出身の首相・岸信介が書いている。 4枚目は当時の「小瀬川渡り場跡」
こちらが山口県だ。 広島県側にはその説明板があるらしいが、今回は見逃してしまった。 |
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●以前のことだが、実家に行く途中に大竹市の「亀居城」に立ち寄った。 前に思いたったらやっちゃおう!!! のshimaさんが 広島県のハワイ移民のことを調べたということを聞いていたのでふと思い出して、ここに立ち寄ったのだ。 なぜ城とハワイが関係あるかというと、広島県大竹市出身の作詞家<石本美由起>さんの記念碑があるからだ。 大竹市の小高い山の上にあるこの亀居城は、広島城の支城として1608年に建てられた。
国道を隔てて海が眺められる城で、亀が伏した形をしていることから名前がついたという。 ただし、幕府の弾圧が強く1611年には取り壊されたのだ。 この亀居城城址公園には、大竹市出身の作詞家・石本美由起を記念した碑がある。
石本美由起は「矢切りの渡し」「柿の木坂の家」「長良川艶歌」「悲しい酒」など 数々の作品を作詞した演歌界の大御所である。 以前、山口県周防大島の「星野哲郎記念館」を訪れたことがあるが、 その星野哲郎を世に出したのも、この石本美由起なのだ。 ●そして「憧れのハワイ航路」の作者でもある。一昔前の歌で今では知らない人も多いであろう。 石本美由起が自宅の庭から瀬戸内海を眺めながら、遠くハワイを思い作ったという。 石本の実家は、JR大竹駅から少し歩いた山の中腹にある。家の庭から遠く海が眺められるのだ。 亀居城から眺める情景とよく似ているのだ。 「柿の木坂の家」の歌も自宅の柿の木をヒントに書いたという。 「矢切りの渡し」も、東京葛飾柴又を訪れた時にあったが、 実は大竹市の奥に行けば、「渡しの跡」が残っているので、 案外これをヒントにしたのではなかろうかと私は思っている。 実家の父は石本美由起と同世代で、直接の親交はないが
何かと色々なことを知っており、私は幼い頃からよく話を聞いたものだ。 |






