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桜の花見記事の第3弾。 ●昨日の午後から、今度は車で1時間かけて実家へ。 広島県は西の端、県境を越えればもう山口県の所だ。 父を連れて、まずは近所の花見へ。 歩いていけるほど近くに、岡山の倉敷を真似たお堀状の川がある。 鯉が住める川ということで、島根県の津和野を真似たとも言われる。 市がかなりのお金をかけて、補修改修をしたのだ。 その時に植えた桜がそろそろ見頃になってきた。 昔はなかったものだが、新名所になりつつあるのだ。 その後、地元の神社にも行ってみた。 花見の宴が見られた。 地元の亀井城跡にも行ってみた。 ここは今日6日に桜祭りが行われるということで、桜の名所だ。 昨日も多くの人が出かけており、 駐車場も車で一杯だった。 車を停めることも出来ず、車から降りて写真も撮ることなく 通過だけして後にした。 ●県を越えて岩国の錦帯橋に行ってみようということになった。 かなり走り、あと2.5キロの所で渋滞に巻き込まれた。 花見客の影響だろう。 この調子では、たどり着くのはいつになるかわからず、 諦めることにしてUターンをした。 その代わり、途中和木(わき)と言う所の<蜂が峰>と言う所に寄ってみた。
公園があり、家族づれがたくさん来ており、のんびりしていた。 ここにも桜並木が見られた。 |
広島県大竹市(山口県岩国市も)
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3月20日(木)春分の日に出かけた「錦帯橋」だ。 宇野千代の生家を訪れた帰りに行ってみた。 小学校時代は山越えまでして毎年この錦帯橋に遠足に行ったものだ。 馴染みすぎて、今では橋を渡ることはあまりない。 ここ何年も渡っていない。 身近な観光地と言うものはこんなものなのだ。 錦川にかかるこの橋だが、両岸は桜の名所でもある。 子供時代は、ここの花見にも毎年よく出かけたものだ。 写真は遠くからなのでよくわからないが、 もうしばらくしたら、見事な桜が咲くだろう。 宇野千代の愛した岩国の桜だ。 遠くの山の上には岩国城も見える。 最後の写真は、錦帯橋のすぐ近くで見かけたもの。
「橋の駅」と言う看板があったので写した。 「道の駅」にちなんだものだろうか? 面白いものがあるものだ。 |
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3月2日(日)に訪れた岩国市の「第六潜水艇記念碑」 前々から看板があるのは気づいていたのだが、初めて訪れた。 その記念碑のある小高い公園に上がってみたのだが、 記念碑以外には佐久間艇長の遺書のみしかなく、 詳しい説明板もなく、詳しいことがわかりにくい。 一緒に行った父は、 「昔は皆が知っていたが、今時はこのようなことを学校では教えないからなあ・・」 と淋しそうに話すのだ。 私は「佐久間艇長」と言う名前だけはなんとなく聞いた感じがしていた。 それ以外はほとんど知らなかったのだ。 ネットで調べてみた。 明治43年(1910年)4月15日、第六潜水艇はガソリン潜航実験の訓練などを行うため岩国を出航し、広島湾へ向かった。この訓練は、ガソリンエンジンの煙突を海面上に突き出して潜航運転するもので、原理としては現代のシュノーケルと同様であった。午前10時ごろから訓練を開始、監視に当たっていた潜水母船歴山丸が一瞬見失った間に沈没。長時間たっても浮上しないことに気づいた歴山丸は、ただちに呉在泊の艦船に遭難を報告。救難作業の結果、16日(17日)に引き揚げられ、内部調査が行われた。艇長佐久間勉大尉以下、乗組員14人のうち12人が配置を守って死んでいた。残り2人は本来の部署にはいなかったが、2人がいたところはガソリンパイプの破損場所であり、最後まで破損の修理に尽力していたことがわかった。この事故より先にイタリア海軍で似たような事故があった際、乗員が脱出用のハッチに折り重なったり、他人より先に脱出しようとして乱闘をしたまま死んでいる醜態を晒していたため、帝国海軍関係者も最初は醜態を晒していることを心配していた。ところが、実際にはほとんどの乗員は配置についたまま殉職、さらに佐久間艇長は事故原因や潜水艦の将来、乗員遺族への配慮に関する遺書を認めていたため、これが「潜水艦乗組員かくあるべし」「沈勇」ということで、修身の教科書や軍歌として広く取り上げられたのみならず、海外などでも大いに喧伝された。特にイギリス海軍では教本になり、アメリカ国会議事堂には遺書の写しが陳列された
長いので簡単にまとめるとこうなる。 時は明治43年4月15日。
山口県新湊沖で潜航訓練中に海水が浸入し、浮上することはなかった。 佐久間艇長以下14名が第六潜水艇と共に亡くなったのだ。 14名の乗組員はみな部署を離れることなく、最後まで修復に全力を果たしていたという。 佐久間艇長の遺書も残されていた。 天皇陛下への侘びと共に、残された遺族を思う気持ちが書かれていたのだ。 この公園の記念碑の雰囲気は、山口県の大島で見た「陸奥記念碑」とよく似ていた。 広島県の呉市にも記念碑があるらしい。 また、佐久間艇長の生誕地の福井県に銅像などがあるようだ。 かなり昔のことではあるが、このような出来事は現代ではあまり語り継がれることはない。 現在、この話を知っている人がどれほどいるのだろう。 最後まで自らの任務を遂行してその勤めを果たすという果敢な態度は賞賛に値する。 死を目前にして最後までしっかりと仕事に努めたのだ。 そして残された者への配慮までしていたのだ。 身を挺して最期を迎えたその冷静な行動。 考えさせられる出来事である。 毎年4月14日にはこの地で例祭が行われるという。
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●今日は久しぶりに実家の父のところへ行った。 長いこと行っていなかったので、たまには顔を出さなくてはと気になっていたのだ。 春の陽気に誘われて、ドライブに出かけた。 家の中は結構寒く、外もまだ寒くはあるが、 車内は暖かすぎるほどなので、気持ちがいい。 ▲広島県を越え山口県へ入った。 JR岩国駅の手前に新駅が出来るという。 「和木(わき)駅」だ。 まだ工事中だったが、この15日にはオープンだとか。 駅舎の建築中などは初めて見たので、物珍しかった。 ▼「第六潜水艇記念碑」があったので覗いてみた。 これには色々ないわれもあるようなので、いつか調べてみたい。 ▼岩国駅近くまで行き、昼食を取った。<岩国ごはんや・今津食堂>だ。 釜で炊いたご飯が売りの店だった。 おかずを自由に選べるもので、かなりの人気店のようだった。 古くからある店のようで、昔の写真が店内に貼ってあった。 その後新しく建て直しをしてはいるようだが。 今では現代風のしゃれた店になっているのだ。 ▼岩国駅前には面白いバスが走っていた。 「いちすけ号」「おはんバス」「島耕作バス」「錦帯橋バス」だ。 「おはん」の作者・宇野千代、「島耕作」の作者・弘兼憲史はともに岩国の人だ。 ▼その後、岩国市役所を通って帰った。 アメリカ軍基地問題で全国的に有名になったあの「岩国市役所」だ。 現在新庁舎を新築中で、例の「あめとむち」によるお金をあてにしての建築らしい。 選挙結果いかんではお金が入らないと建築が続行しないということで 現在は建築途中で止まったままになっていたのだ。 基地容認派の新市長が選出されたので、新市役所建設も続行されるのだろう。 基地の町の新市庁舎・・・なんとも様々な問題を含んだものだ。 ■ちょっとした近辺のドライブだが、岩国も見れば色々ある。錦帯橋は有名だが、もう何度も行った。 このブログにも登場している。今回は別の所に行ってみたのだ。 広島への帰りに、宮島近くの宮浜温泉に寄り「かんざき温泉」に入った。
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行楽の秋は行事も多く、出かけるのが忙しい。 今日は「大竹祭り」を見に行った。実家の父に誘われて出かけたのだ。 これは大竹市の「大瀧神社」のお祭りで、大竹市指定重要無形文化財になっている。 これまでかなりの回数見たものだが、 かつてこのようなお祭りは、他都市では見ないような気がする。 大名行列の「奴」、「神輿」、「各地区の山車」、「御所車」などが市内の中心街を練り歩くのだ。 各地区の山車は、「西遊記」「安珍清姫」「風林火山」「文福茶釜」などで、 以前はこのような時代物が多かったが、「ムーミン」「ナルト」など現代風のものもあって、 今の子供たちでも充分楽しめるのだ。 このお祭りは子供時代に飽きるほど見たが、大人になってから見ると、また違った味わいがあるものだ。 天候に恵まれ、絶好の日であった。 父親もことのほか喜んだのがうれしいことだった。 大瀧神社宮司・所さんによる新聞記事があった。 行列は1000人を超える人数で、2.5キロを3時間半かけて歩いたのだ。 このお祭りは、なんと京都の祇園祭の影響を受けて、約270年前に始まったという。 6地区が出来栄えを競う山車は、高さ4メートル。住民が2ヶ月近くかけて作るのだそうだ。 奴の動きは「洗練されて無駄がない。」と研究者からも高い評価を受けているのだ。 「アヨーイナ、アイヤサノサ」という掛け声は、幼い頃から聞きなれた独特の言葉なのだ。 ●●岡山県矢掛町の「宿場まつり大名行列」が11月11日に行われるという新聞記事が載っていた。
これも江戸時代を彷彿とするもので、大竹祭りと少し似ているなと思った。 |








