|
昨日実家に行く途中に面白いものを見学した。「野菜工場」だ。
広島県大竹市の大竹駅近くにある。
車から貼り紙が見えるので、以前行ったら土曜日で閉まっていた。
普通の小さな会社のような建物の窓に「野菜工場実演中」と貼っている。
いつも気になっていて何だろうと思って、決心して覗いてみることにしたのだ。
入り口の戸を開けて入ってみると、中には野菜を育てている棚があった。
その奥では何人かの従業員さんが仕事をしている。
女の社員さんがすぐに出てきて話をしてくれて、立派なパンフレットを下さった。
栄養分も、Co2濃度も、光も(蛍光灯,LED)も、温度も全て調整できるのだ。
「アグリバイオ事業・植物(野菜)工場」とある。会社名は富士化水工業株式会社だ。
「閉鎖系完全人工光型設備」だそうで、リーフレタスやルッコラなどを水耕栽培している。
すべて室内の野菜工場で行う。種植え→4日後発芽→育苗3日後→定植(緑化)→21日後収穫だ。
この会社で野菜作りをするのではなくて、この様な装置の設置をする会社のようだ。
■以前にも野菜工場見学をしたことがある。大規模な工場で本当に驚いたものだ。
広島県の世羅町にあった「日本農園」だ。記事も書いている。↓
自然に支配されやすい野菜作りだが、
これなら天候に左右されなくて安定した収穫が見込まれる。面白い試みだ。
思わぬ場所で意外な見学が出来て良かった。
ブログランキングアップにつながりますので、↑投票ボタンを押してくだされば嬉しいです。
|
広島県大竹市(山口県岩国市も)
[ リスト | 詳細 ]
|
■昨日の外食は、大竹駅前にある「お食事処やまぐち」だ。(大竹市新町1−8−22)
新しい店ではなくて、かなり昔からある年季の入ったお店だ。
聞いてみれば、今の主人でもう3代目になるという。
平日なので限定20名の「日替わり弁当」や「ランチ」を頼んだ。(共に700円)
ランチは写真で見ると量が少なそうだが、結構なボリュームがあって満腹だった。
会社勤めの人達がたくさん来ている。別室に喫茶や居酒屋もあり、仕出し屋もやっている。
(有)山口屋グループとあるので、多角経営のようだ。
この店はメニューが多くて、和食あり、洋食あり、中華もある。
麺類もあり、何でもある感じだが、いつも注文するのは定食のようなセット物が多い。
味もしっかりしており、美味しいのだ。まさに伝統の味をしている。
名前は「やまぐち」だが、ここは山口県ではなくて広島県だが・・。
■この店の前には、ロータリーのような1角がある。
そこに石の作品が置いている。「巨石アート」だ。
この大竹市は、和紙などが有名だが、今ではこの巨石アートが町のあちこちにある。
町の新しい目玉にしようとする試みのようだ。
大竹駅前にも立派なストーンアートが設置されている。
これは高校生が描いた町の絵。↓
■周辺ドライブで、海岸沿いに出かけた。石油化学やパルプ工場が集まるコンビナート地帯だ。
最近工場夜景が人気になっているという。新聞にも記事があった。
大竹市も今年からHPにお薦めスポットとしてPRを始めたという。(大竹市HP・定住促進コーナー)
以前は工場といえばマイナス要因だったのに、
今はそれを町の活性化のためにアピールする時代になったとは。時代の変遷を感じる。
小学生の夏休み科学バスツアーなども行われているのだ。
昼間に行っても夜景は見られないが、この付近は昔のことを思い出すとどんどん変化している。
県の行った埋め立てにより、海岸線はかなり先に延ばされている。
「あこがれみなと」という公募でつけられたしゃれた名前が見える。
そこには会社や工場を誘致している。港も整備して、大きな船が停泊できるようにしたのだ。
遠く韓国からの行き来があるほどだ。
海岸の向かいは「安芸の宮島」。海岸が埋め立てられてきているので、宮島が近くなってくる感じだ。
↑ブログランキングアップにつながりますので
投票ボタンを押してくだされば有り難いです。
|
|
20日(土)に実家に行った時に、山口県の岩国まで出かけ帰る時に岩国港に寄ってみた。
国道2号線からも「築港200年」という看板が目に付いたからだ。
私は新港(しんみなと)と呼んでいた。
この港は今年は築港200年になるそうだ。1811年開港というから江戸時代だ。
私はこの港を利用したことはないが、父はここから四国松山に行ったことがあるという。
しかし、今ではその航路はなく、柱島行きが一日4便あるだけのようだ。随分寂れた感じがした。
港に出てみた。広島の港を見ていると小さな港に感じる。
海上保安庁の船が停泊していた。
見学を終えて帰る時に、あるポスターに気付いた。
「岩国錦帯橋空港2012年開港」・・・とある??
そういえば、岩国米軍基地内にある空港が整備中で、国内便ができるというのは前から聞いていた。
しかし、その空港名が「錦帯橋」とは知らなかった。
隣の県とはいえ、距離は近くても県が違えば情報は入ってきにくいものだ。
来年開港で、岩国〜羽田を一日4便往復するという。
詳細をネットで調べてみた。
「岩国⇔羽田間1日4往復」岩国錦帯橋空港が2012(平成24)年度に開港する。 岩国錦帯橋空港は、米軍基地との共用空港で、米軍基地の一部と基地周辺の国の土地を利用して整備される。
2005(平成17)年10月に日米合同委員会合意により、1日4往復の民間航空機の運航が認められ、その後、2009(平成21)年2月の関係省庁申合せにより、施設の整備は国土交通省が、共同使用等に伴う米軍との調整は防衛省が主体となって実施することとされ、2012(平成24)年度の開港を目指して2010(平成22)年度から整備が始められていた。 岩国飛行場は1938(昭和13)年44月、旧日本海軍がその建設に着手し、1940(昭和15)年7月に岩国海軍航空隊として開設された。
戦後、在日米軍基地として米海兵隊岩国航空基地となり、1957(昭和32)年以来、海上自衛隊も一部共同使用している。 岩国飛行場は、住家密集地域や石油コンビナート等化学工業地帯に隣接しており、航空機事故や騒音問題の解消のため防衛省の「岩国飛行場滑走路移設事業」(1996(平成8)年度〜2010(平成22)年度、埋立面積約213ha、埋立土量 約2,095万㎥)により東側の海面が埋め立てられ、滑走路が沖合いに1km移設され、2010(平成22)年5月29日から新滑走路の運用が開始されている。 これにより旧滑走路は閉鎖され、2012(平成24)年度開港予定の民間航空機も新滑走路を使用することとなる。 広島市内に住んでいても広島空港へはリムジンバスで50分かかる。
宮島口以西に住んでおれば、JRで岩国まで行きこの空港を利用した方が良いかもしれない。
ある程度の採算は取れるとの目算もあっての開港であろうから、今後が期待される。
私は使うことはないだろうが、実家に住んでいたら利用するであろう近さだ。
|
|
私が実家へ行った時には、父が必ず近辺ドライブをしたがるのであちこち行っている。
広島県の西の端・大竹市と川を隔てて県境越えをして山口県岩国市などの周辺ドライブをする。
そこで見聞きしたものを書いたら、案外この記事を見つけて読んでくれる人がいるようだ。
特に昔のことを書くと懐かしがってくれるのはもう60歳代以上の人達になるのだが。
父のように90歳代にもなるともうブログなどは読まないだろうし、存命の人々も減少の一途だ。
お孫さんやお子さんがこれらの記事を見つけてくれたこともある。
そこで「実家行き」の書庫から、近辺ドライブをした関係記事を独立させてみた。
「広島県大竹市・山口県岩国市なども」という書庫を作ってみた。
特に戦前は海軍関係の町で、戦後は臨海工業都市として特徴がある事が分かる。
これまでの主な記事にはこんなものがある。その他も書庫内をご覧頂ければあれこれ書いている。
海軍潜水学校について→ http://blogs.yahoo.co.jp/fan123m/45971823.html
|
|
7月27日(水)
午前中の料理教室を終えた後、午後からは実家へ出かけた。
花火大会があるので出かけたのだ。
山口県と広島県の県境には川が流れており、その真ん中が県境でそこで花火大会がある。
この花火大会は歴史のあるもので、大正時代頃に始まったといわれる。
私も子供時代は欠かさず見に出かけたものだが、さすがにこの頃では毎年は行かない。
それでも父は出かけたがるので、お供だ。
会場まで歩いて行くには遠すぎるし、駐車場からでもかなり歩く。
暗い中を自転車というわけにも行くまい。我が子が小さい頃は自転車に乗せて行っていた。
帰る頃には寝てしまって、苦労して連れて帰ったことを思い出す。
結局、自動車で行って川下の堤防傍に車を停めて見た。
打ち上げ場所からは少し距離があるが、家から見るよりはましだ。
ずっと立っていると負担だが、車の中からでも見えるので父は楽だと言って喜んだ。
長い歴史のある川まつりの花火大会だが、2年前には中止の憂き目にあっている。
この不景気な時代で協賛が集まらなかったためだ。花火には結構なお金がかかるのだ。
その事があって、去年は市民から寄付金を集めたりして復活した。
夏はやはり花火を見ないと寂しいのだ。
花火の写真撮影は難しい。何十枚と写したが、まともなものは殆どない。
「シーンモードの花火」に合わせて写すが、露出時間が長いので固定しなければならない。
少しでも動くと光は線状になって尾を引いたようになる。
それにカメラに気を取られていると、肉眼で見ることが出来ず花火が芯から楽しめない。
それでも1時間の饗宴を楽しみ帰宅した。その日はもう遅いので実家での泊まりだ。
泊まると何かと家のことが出来る。結局、晩、朝、昼食を手作りで父と一緒に食べた。
今回は2階の部屋の片づけを重点的にした。
2階の部屋は弟達の部屋だったが、いつの間にか物置と化し、
そのうち父は上がるのもしんどがり、今では殆ど利用もしていない有様だ。
母の生前の衣服もそのままになっていたので、処分する為にかなり袋に入れた。
小柄だった母の服は私には合わない。値札のついたままで1回も着ていないような服もたくさんあった。
入退院もかなりしたので、パジャマ類もたくさんある。これは私でも使えそうだ。
カーテン類も洗った。これも前はいつ洗ったのか分からないほど。
まだまだやればいくらでもあるが、ほどほどにして昼食後帰った。
父は前の晩の花火大会で少し疲れたのか、めまいがすると言う。
昼食後休んでいたので起こすのもいけないと思い、メモを残してそのまま帰った。
夕方電話をしたら元気が戻ったというのでほっとした。
|





