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3月2日(水)
実家で父と外食をした後は近郊を毎度ドライブする。
安芸の宮島(厳島)を向かいに眺める海側に出かけることが多い。
この地の海岸線も埋め立て工事によりどんどん変わってきている。
埋立地には工場や会社の社屋や倉庫が立ち並ぶようになった。
岸壁も立派なものが完成して大型の船舶が停泊するようになっている。
遠く韓国からも来るのだ。
その一角には広い公園が出来上がった。ここら辺一帯は昔は海だったのだ。
昔ここには「旧日本海軍の潜水学校」があり、潜水艦の乗組員の養成訓練が行われていた。
海の中に建っていたのは「探知講堂」だという。
以前まだ工事中の時にも訪れたことがある。
今ではその建物の一部だけが残され、モニュメントになっているのだ。
周囲は芝生が広がるらしく、まだ完全には出来上がってはいないのに
気になって少し見せてもらったのだ。
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広島県大竹市(山口県岩国市も)
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今日は実家行き。前回ほど寒くはないのが幸いだ。寒さもやっと収まりそうだ。
さほど寒くなければ出かけることも出来る。
母の墓参りにも行けた。その後は父と一緒に外食。
そして、お決まりの周辺ドライブ。
海岸べりに行ってみた。この付近はどんどん変化していくので、父は楽しみにしているようだ。
タンカーが岸壁に横付けをする様子をしばらく眺めた。興味深かった。
遊水池(正式には雨水滞水池というらしい)には鳥たちがたくさんやってきていた。
戻った後は部屋の掃除やゴミの始末、仏壇の花替え、灯油の買い物・・などを済ませた。
毎度の事ばかりであるが、
近所のおばさんが「お父さんに良くしてあげてるね〜」と褒めてくれたのが恥かしいほどだ。
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■今日は「大寒」。一年のうちで最も寒い時期。まさに暦どおりだ。
しかし、気のせいか・・・春はかすかに来つつあるのを感じる。
■話は変わって、広島県は西の端、山口県との境にある「大竹市」は今では臨海工業都市だが、
その昔は「海軍の町」として知られていた。
今はコンビナート群の立ち並ぶ場所となったが、
昔そこには「海兵団」があり多くの人が関わった施設だった。
小説や随筆などにも「大竹海兵団」という文字がよく出てくる。
しかし、それを知る人ももうかなり少なくなった。
戦後生まれですらもう66歳になるのだ。この事実を知っている人は80歳代以上だろう。
貴重な歴史の一こまをしっかりと残したいものだ。
先般父とドライブをしてその記念碑を見た。工場の中にひっそりと立っていた。
父は海軍出身者でもあり、この地のことを「生涯学習」でまとめたりもしている。
何年か前に記念のイベントがあった時には、
懐かしがって参加した方々を案内したり、説明役をしたりしている。
そのことがテレビのニュースに取り上げられたこともあるのだ。
しかし、このマスコミの世界とてこの事実を知らない世代ばかり。
これからは、取り上げられることすらなくなるだろう。
「海兵団」について調べてみた。
昭和15年、主に海軍の新兵に基礎教育をする機関として「海兵団」が作られた。
当初は3000人規模だったが、ピーク時には7000人から8000人となり、
隣の潜水学校も合わせると2万人近い人がおり、大竹は「海軍の町」という様子だった。
「海兵団」に入団したのは延べ約15万人といわれ、多くの人がここから戦地に向かって行った。
戦後、海外からの日本人引き上げ者を受け入れるため、大竹港が上陸港に指定された。
大竹港から引き上げた日本人の数は41万人にものぼり、多くの人が大竹で日本の地を踏んだ。
引き上げ港としての役割は昭和22年を持って終わり、その後埋め立てが行われ工業地帯となった。
このブログ記事を読んでも、ほとんどの人はぴんと来ないものだろう。
かろうじて存命する人がいても、ネットの記事など見る機会はないだろうし。
戦争の歴史は遠くなりにけり・・・。
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昨日は寒い朝を迎え、雪も降っていて、本当に寒かった。
実家の「とんど」に行く予定の日だったが、
このような天候で行けるのかと朝一番に父に電話をした。
父は「寒いので行かないかもしれない。」と言う。道路もかなり凍った様子で、
私の車の運転が気になるのか、予定では行かないといっていた夫も付いてきた。
10時半点火に間に合うように10時には実家に着いたが、
家には鍵がかかっていて父がいない。
どこか買い物へでも行ったかな・・・と思い携帯へ電話連絡をすると、
なんともうすでにとんど会場に一人で自転車に乗って行っているではないか。
10時まで待って私たちが来ないので出かけたという。
まさかこの寒さの中で一人で行ったとは思いもせず・・・驚いた。
でも、今年もこのとんどに参加できたことだけでも良かった。
はるか昔、私の娘たちが赤ちゃん時代から来ているから長い歴史のあるものだ。
長女がまだ幼い頃、風邪をひいているのに
母がねんねこで背負い連れてきたことなどを懐かしく話した。
私の幼い頃はこの場所ではなかったので、それでも比較的新しい行事ではある。
土曜日は今住んでいる地元のとんどだったが、温泉へ出かけて参加できなかったので
この故郷のとんどへ参加ししめ縄やミニ門松などを持参した。
数多くの参加者もあり、お餅も何臼も搗いてぜんざいを振舞ってくれる。
お椀と箸持参で自由に食べることが出来る規模の大きな行事だ。
2杯も頂いて、とんどの点火を見て帰った。
昼食は中華へ。長く来ていなかったお店だが、「ラーメン定食」を食べた。
ややピリ辛のラーメンだったが、体が温まった。
しかし、ぜんざいの影響か食はなかなか進まなかったが、それでも頑張って食べた。
帰り道、灯油を買って、しばらく付近をドライブした。
父は「車の中は寒さ知らずで良いものだ。」と言って喜んだ。
実家はトイレの水が出ない。寒さで水道管が凍ったようだ。布を巻いておいた。
寒いので家を開け放して掃除をする事も出来ず、ゴミの始末をしたくらいで早々に帰った。
予定より早く帰る事になったので、どこかへ行こうかという事になったが、
雪も降り温度もどんどん下がる。車から外気温を計ったら1℃まで下がっていた。
奥へ出かければ雪もかなりだろうと思われ、出かけることはせずに帰途についた。
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昨日は、いつものように実家の父の所へ行った。
天気も良くて本当に暖かかった。特に車の中では汗が出るほどだ。
この陽気なので、家の事は省略して今回はあちこち出かけた。
●まずは母の墓参りから。
●実家のある町に、この度、中国新聞とケーブルテレビが連携する建物が出来た。
そこで写真展をやっているというので、行ってみた。
ここには中国新聞のタウンリポーターもいたので、名刺交換をして話もした。
カメラの好きな人が多いようだ。写真展はその人達も多く出品していた。
●その後外食。更に県境を越え、山口県へ。
岩国市の錦帯橋付近に行ってみようという事になった。
このことは前の記事に書いている。
●ソフトクリーム100種類の店が見えたので行ってみた。
吉香公園内の少し行けば錦帯橋が見える辺りにある店だ。
テレビの「ナニコレ珍百景」に出たものをビデオ放映していた。驚きの数だ。
あまりの多さに選ぶのにも目がくらみそう。
面倒になって1番の「こだわりバニラ」を頼んで、父はそれを「美味しい」と言いながら食べた。
私は・・「甘酒」を飲んだ。
■久しぶりのお出かけで喜んだ父だが、ちょっと段差のある所や階段はしんどそうだ。
杖だけでなく手すりがないと怖いという。
このところ一気に足腰が弱くなったようだ。ついこの間までの元気の良さが嘘のようだ。
無理もないが、足腰は弱ると速いものだ。
父90歳。婚家の舅は93歳だが、元気の良さでは舅の方が勝るようだ。
●我が家の菜園野菜の大根と広島菜、ホーレンソウを持参して夕食を作って帰った。
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