美しく歳を重ねるために

13年間は長いようであっという間だった。交流のあった方々有難うございました。新ブログfc2をよろしく。

人生・生き方

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「修道院訪問・美味しい夕食」について書いています。
よろしければ覗いてみてください。
 

◆昨日9月1日(土)は夜中に大雨が降り、またしても7月のあの豪雨のことを思い出した。

そのうちに、朝5時半に緊急メールが1つ入り慌てたが、
広島市内でも安芸区の方で、当地とはかなり離れた場所だった。
ここは「避難指示」だった。これは最高レベルだ。
 
日中は夜中から明け方の降雨のようにはなく、ほぼ止んだようだった。
 
テレビニュースには、あのボランティアの尾畠春夫さんが映っていた。
8月末までボランティアをすると言っていたので、31日が最終日だったようだ。
 
◆ボランティアでは色々と考えさせられる。
 
尾畠さんは格別で、まさにスーパーが付くボランティアだ。一般の人は真似できない。
まず私はあの暑い中での力仕事など出来ない。熱中症で倒れるのがおちだ。
 
尾畠さんによれば・・・

年金が月に約5万円。その中で出来るように生活や活動するという。貯金は全くないという。
現地への交通手段は、軽自動車で普通道を行く。ナビもない。
活動中は車中泊で、風呂も入らない。帰宅後に別府温泉に入るのが楽しみとか。

食べ物ももらうことなくすべて自力で。レトルトパックのご飯に水をかけて梅干しと一緒に食べる。
あとは塩飴など。明らかに栄養不足だ。

それでいて活動は過酷。体の鍛え方が違う。
はいえ、これだけボランティア活動で鍛えて生きがいがあるので、続くのだろう、・・・・

しかし、誰でもが真似出来ることではない。
 
イメージ 1

しかし、考えようによっては、ここまで過酷な活動をするべきかどうか疑問に思う。
ボランティアは水も食料もすべて自分で用意する。遠くからなら交通費も宿泊費もいる。
仕事がなければ何日でもできるが、普通は短期でしかできない。
 
引退後の生きがいとしてこのような活動をするとはいえ、
元気だからできることで、病気にでもなった時にはどうなるのだろうか。
 
尾畠さんは「避難所で食料が配られている時に、ボランティアも並んでいたのを見た。
そうすることで、避難者の食糧を奪ってしまうので、自分は絶対にもらわない」と言う。
 
しかし、食料配布に余裕があれば、ボランティアにも配っても良いのではなかろうか。

そこまで厳密にするのはいかがなものか。ボランティアは無償の奉仕とはいえ、
多少の援助的なものがなければ続くものではない。有償ボランティアというものもある。
 
ボランティアに格安の宿泊料金を提供したり、交通費の割引をしたり、探せば色々やっている。
ボランティアの存在への感謝の気持ちから出たものだろう。
 
被災地では被災者が一番大変なのだが、ボランティアとて大変である。
ボランティア頼みが、当然のごとくになっていはしないだろうか。
 
現に尾畠さんも、
「時には食べ物を持って来てくれる人もあり、その気持ちに対して断固として断れないこともある」
と言っていた。
あまりに頑なに主義主張を通すのも、却って人間関係を壊すのだ。
 
ボランティアの人達を見て、本当によくやっていると感心するとともに、色々と考えさせられる昨今だ。
  
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◆昨日は歯科行き。
1か月間をおいての予約日だったが、担当医は急用とかでお休み。
代理の先生もいたが、担当医に診てもらう必要があるので、来週に日延べした。
 
その歯科で、元同僚に出会った。同僚とはいえ一回り以上も年上の人。
同じ歯科の同じ曜日、担当医も同じだが、これまで出会うことはなかった。
話を聞くと感心することばかり。

仕事は退職後嘱託で76歳まで勤めたという。
82歳の今でも、早朝に1時間のランニングをもう何十年も続けているという。
<走ろう会>に入っていたこともある。どうりで若々しい。80歳代とは思えない。
 
歯と胃と腸は大切なので定期的に検査などをして、予防に努めているという。
 
この人は奥さんの介護を長らくした人で、新聞にも何度か載ったことがある。
高台にある新興住宅地で今は高齢化で<買い物難民>という特集記事になった地に住む。
 
◆年をとっても元気な人の話を聞くのが好きだ。
同じようには出来ないが、何かしら参考になる。
 
夜はNHKのローカルテレビ(19:30〜)で
フェイス「尾道・97歳ひとりを豊かに生きる・さびない鍬でありたい」を見た。
長生きするのは、体ももちろんだがその心持ちいかんにかかっていることが分かった。

続けて「金曜プレミアム・衝撃の死から20年・・・新証言!ダイアナ元妃」も見た。
「最期の1日の謎と真相に迫る」
「英国とパリで、当時を知る多くの関係者を探し当て、徹底取材を敢行」
しただけあって、かなり見ごたえがあった。
 
◆相変わらず日中眠く、少々だるくもある。
午後から雲が出て太陽が陰ったのを見計らって、畑作業をした。
 
冬瓜の一番大きいものを1個収穫して近所の人に上げた。
カボチャやトウモロコシの実のなっていないものは抜いて、それを土の上に敷いた。
いまだに暑い日々の太陽の照り返しで、野菜や土も苦しそうだから。

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お昼は夫がお好み焼きを買ってきた。
夕食は中華料理が食べたいというので出かけた。
疲労と気分転換で外食がしたいというのだ。
 
夜は涼しいというよりは寒いほど。あの暑かった寝苦しい夜が嘘のよう。季節は確実に巡る。

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大橋巨泉さん亡くなる

昨日のお昼にテレビの「徹子の部屋」をつけたら、
「大橋巨泉さん・永六輔さん2人の追悼番組」をやっていた。

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その時点で大橋さんが亡くなったことは知らなかったので、
「あれ、巨泉さんは存命なのに・・・?」と不思議だった。
すぐにネットニュースを開き、亡くなったことを知った。
何とも手際が良いと思ったが、番組は2月に流されたものの再放送だった。

二人は、年齢も近く、大親友で、亡くなるのもほぼ同じ時期だった。
ショックが大きいので、永さんの死は巨泉さんには知らせなかったほどだと言う。
 
最近、テレビ界で活躍し一世を風靡した人が亡くなることが続く。
それも90歳代の大往生というよりは、80歳代、70歳代のまだまだ活躍できる人も多い。

巨泉さんと言えば、私の記憶では「クイズダービー」の司会だ。
50代でのセミリターアーや外国生活など、生き方には関心があった。
 
巨泉さんの死で驚いたのは、昔は体重が80キロ台もあったのに
テレビに映ったその時点では50キロ台だと言っていた。その後43キロという数字もあった。

死因は急性呼吸不全というが、ガンを患っていた。
ガンは死の準備ができる病気だと言われるが、過酷なほどの闘病には何とも声が出ない。
最近有名人のガン闘病も多く見聞きする。
 
経済評論家の金子哲雄さんは、ガン死を前に、
残された妻のために死後の準備を完璧にして亡くなったことをテレビでやっていた。
ここまで出来るのは、突然死などではありえない。
 
人間は今をどう生きるかなのだと実感する。まさに生き様こそが重要なのだ。

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■昨日も雨がひどかった。
今回の大雨は、西日本の中で、九州、四国、中国地方は山口、広島などが特にひどかった。
広島県の福山市では5河川の氾濫で、住宅街が広範囲に浸水している。
 
我が地域も、土砂災害や川の氾濫の恐れありという避難勧告が何度も出た。
広島の土砂災害を教訓に、避難勧告を出すことを躊躇しなくなった。
何もないことに越したことはないが、あまりにひんぱんだと、感覚がマヒしてしまうこともある。
 
■イギリスのEU離脱のニュースも持ちきりだった。
日本の経済にも大きく影響するようで、その関係のニュースも多かった。
 
見延典子さんの講演会へ(ひと・まちプラザ) 6・13(月)にブログの記事にしたが、

その見延さんが18日(土)の新聞記事に載っていた。
私が記事にした時この人の経歴なども調べたのでほぼわかっていたが、
この新聞記事からはもっと詳しいことが分かった。

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「早稲田大学の卒論で書いた作品『もう頬づえはつかない』が単行本化され、
デビュー作が50万部超えのベストセラーになり、鮮烈な作家デビューを果たした。
結婚して広島へ移住。子育てと執筆活動のバランスで悩んでいた時期もあった。」
 
誰もが経験することだが、見延さんもやはりそうだったのだ。
 
「結婚して東京での生活が面倒くさくなったこともあって、
25歳の時、主人の故郷・広島に転居した」というのも面白い。
 
東京生活を経験した人が、広島の地でかくも長く地域に根を下ろしていることに
前々から不思議な驚きを持って見ていた私だったからだ。
 
「子供が3人生まれた後は、作家として今後やっていけるか悩んだ」が、
「誰も自分に書かせてくれるわけではない、自分が描かないと何も始まらない」
とたどり着いた。30歳後半の頃だ。
 
「江戸時代の歴史家・頼山陽の存在を知ったきっかけで、作品を発表し続けることが出来た。
まずは山陽の母を取り上げた。誰も山陽のことを小説にしていないので、
挑戦してみようという気持ちになったのが、40代の終わり頃。」
 
「出版社から、こんな長尺な本を出しても何の賞も取れないと言われていたので、
頼山陽で新田次郎文学賞を受賞した時は、泣きました。」
 
「先輩作家に『若くして成功した作家は後が続かない』と言われた。
その先輩作家・阿刀田高さんが『よく頑張りました』と言ってくれて嬉しかった」
 
「新聞連載は2004年10月から翌年4月まで、623回の連載だった」
 
ライフワークに出会い、家庭と書くことを両立させ今日に至る見延さんの姿から、
人間の生き方のヒントを学んだ気がした。
人はどこにいても、どんな境遇でも、やり続けるという意志さえあれば可能なのだ。

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