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2013/7/26(金)
勝手にしろくま城めぐり 70
交通費 21620円 累計 34万8670円
全国のお城ファンの皆さま、お待たせいたしました。
久々のお城ブログでございます。
しかも現存天守国宝松本城でございます。\(^o^)/
たっぷりお楽しみくださいませ。
猛暑34度の中、弾丸日帰り行ってまいりました。
行きは橋げたにトラックが接触とやらで名古屋で30分足止め、帰りは先方列車が多治見でゲリラ豪雨に遭遇し20分足止めで名古屋には45分延着した以外は、何事も無く帰ってきました。
信濃の守護小笠原氏の林城の支城としての「深志城」が前身。
甲斐の武田信玄に侵略され、その後天正10年(1582)本能寺の変の動乱に乗じて小笠原氏が深志城を奪還、名を松本城に改めたそうです。
豊臣秀吉が小田原の北条氏を下し、石川和正を松本城に封じ、子康長と乾天守・天守・渡り櫓など造ったとされています。
高石垣の無い、水堀に囲まれた平城です。
大名通りから入るとすぐ、水に浮かぶ大天守が見えます。
きゃー、す・て・き、です。
こんな距離だとすぐ攻められそうだけど、創建当時はこれで十分だったんでしょう。
天守のある本丸に入る黒門。
どーん、
五重現存天守は、姫路とここ松本だけです。
右から、乾小天守、渡櫓、天守、辰巳付櫓、月見櫓。
月見櫓だなんて、風流ですねぇ。
辰巳付櫓と月見櫓は、石川氏が「分不相応な城郭建設」を理由の一つとして改易されたあと入った結城秀康の子、松平直政が増築したもの。
ええ〜、格好いいお城が欲しくて改易したんじゃないのぉ、後から更に大きくするなんて。
天下取ると好き放題できるんですねぇ。
乾小天守の中です。
丸太を使用、表面仕上げは手斧はつり。
大天守一階、一段低く設けられた武者走り。
ここまで段差が有るのは、珍しいです。
どこの天守もそうですが、階段の勾配がきつい、細い、一段が高い!
天守六階、くつろぎの図。
今日は暑いかったんです。ここは風が入って気持ちよかったんですぅ。
西側からの眺め。
山は全く分かりません。
どれかは槍ヶ岳だったかと・・・。
もう一度、内堀側から。
お天気がいいと写真もきれいに撮れますねぇ。
風雪に耐えて400年余・・・と言いますが、屋根は崩れかけ瓦は落ち、漆喰壁は剥げ落ち、石垣には草が生え天守は傾いていたんです。
昔からずっと今の状態だったわけではないんですねぇ。
(姫路や備中松山に比べれはまだマシでしょうか)
お肌も何事もお手入れが、肝心。 平成11年復元、太鼓門。
そこのデカイ石は「玄蕃石」。その上段は無くなってたようですねぇ。
まずは、門台石垣の復元から(昭和45年・55年)
太鼓門復元の条件として
①礎石が発掘により確認されること
②設計図があること
③写真があること
で、礎石を求めて掘って掘ってひたする掘ったら、創建当初の礎石が出てきたらしいです。(平成2年)
■駅からお城へ行くまでにあちこちに井戸が有ります。
これから行かれる方、熱中症対策などでピチャピチャ御利用下さい。
冷たい水が気持ちいいです。 |
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お久しぶりです。
お堀端にたつと、アルプスからの風が吹き抜けて、気持ちエエですよね。やっぱ、五層の現存天守は、迫力があります^^。
ちなみに、当方が日曜日に天守に入った時は、お客さんが、二階あたりから行列になってて、(1時間待ちです〜★)と、マイクで叫ばれてて・・・・。1時間もまてるかぁあ〜と、月見櫓に降りてきてるのでありましたぁああ〜。
ほんま、最上階に昇る際の、凄い段差の階段がありますよね。
行かれた日は、そんなに混んでなかったんですね^^。
深い山々に囲まれた信州のお城もええですね。
2013/7/29(月) 午前 11:47
久しぶりに弾けてきました\(^o^)/。
写真にはあまり人がが写っていませんが、通り過ぎるのをカメラ構えたままじーーーっと待って、いつもなるべく人物が写りこまないようにしています。平日なのに団体さんとか子供の集団とか、結構人いましたよ。行列が出来るほどでは無かったですけど。でも空気澄んでて熱かったですぅ。
あと10年くらいしたらひよっとしたら二の丸復元するかもという話を、太鼓櫓の番してた人から聞けましたよぉ。
2013/7/29(月) 午後 10:03 [ しろくま ]