氏本農園・祝島だより

万葉集に詠われ歴史豊かな自然あふれる、万葉浪漫の瀬戸内海「祝島」での暮らしを氏本農園からお伝えします

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『麦秋風景』

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 枇杷の収獲作業の合間をぬってIターン者やUターン者で小麦の刈り取りをした。
放牧豚たちが再生してくれた休耕田に去年の秋不耕起のまま国産在来種を播種して無農薬、無肥料で栽培していたものだ。
はじめての小麦栽培だったので刈り取りの前に画像に収めたが、除草の手間をはしょったためにセイタカアワダチソウがあちこちから伸びてしまっている。

 祝島の人たちは畑に作物以外の植物が成育するのを善しとせず、作物以外の植物はすべて邪魔な雑草として除草するのが作物への愛情や勤勉さの物差しらしく、かなり白い目で見られる。
新島民である移住者家族はたいてい自家菜園を持っているが、やはり同じように雑草にも役割をもたす自然農的無農薬栽培をしていて意識的に根こそぎの除草をしない人が多いので私と同じ視線にさらされている。
 自家菜園は集落エリアの中にあって島民の目に触れる機会が多いので、むしろ白い目視線は氏本農園以上に強いかもしれない。

 そういえば移住者のひとりが、家庭菜園用地の借地(もちろん無償)を世話してくれたオバちゃんに
「あんたらが忙しゅうて草取りする暇もなぁんじゃろう思おてワシがしちょいたけぇ」と根こそぎ除草をされてしまった、と恐縮しながら話していた。
推測するに、オバちゃんはオバちゃんで移住者に畑を貸した管理者責任を問う近所の視線を肌で感じたゆえの行為だったのではないだろうか。
このあたりが祝島らしいところではある。

 今回収獲した麦の一部はまた来期の播種用として自家保存する。
麦に限らず在来種なので種子の自家採取を繰り返していくほど地域への適応性が高まって収量も安定し味も良くなっていく。そして島民の暮らしの自立性、持続性が増していく。
 祝島が歴史に登場した「神舞」の由来からして、石清水八幡別宮の神官から贈与された五穀(大豆、小豆、やいなり、ささげ、いんげんの五種といわれている)の種子の自家採取を繰り返して栽培してきたからこそ、千年以上にわたって地域社会が持続できた大きな要因だということを暗示している。

 現在は遺伝子組換え技術や品種の特許を持つ一握りの種子会社に種子供給の独占化が進んでいる状況であり、TPP(環太平洋経済連携協定)参加はそういった企業ビジネスによる食の寡占化を政治的に擁護、支援することに等しい。 そしてそれは地域社会の持続性、自立性を損なうことと同義だ。

 だから(社)祝島千年の島づくり基金が進める「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」では、原発の代替として小型太陽光発電などの設置を進めるだけでなく、これからの千年のためには、地味ではあるが山菜も含めた祝島在来種作物の保存やその栽培技術の伝承などの取組みも並行して進めるべきだと思う。
 食は電気以上に人々にとって重要な暮らしのエネルギーのはずなのに、現代では多くの人の意識から食の自立の重要性が忘れられていると思えてしかたない。

『はだかびわ』

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 しばらく氏本農園ブログを留守にしていました。 この間訪問してくださった方にはお詫びいたします。

 今年も6月に入って枇杷の収獲が本格化してきた。
 数年前から無農薬はもちろんのこと無肥料で果実に袋かけもしない、樹下の雑草も刈り倒すだけのいわゆる自然農的栽培を模索している。 青森県の「奇蹟のりんご」に触発されたというわけでもなく、祝島という離島のヒトも含めた生態系の持続性を考えたらこういう栽培方法になった。
 その観点からいえば上関原発建設に反対するのも、あくまでも地域の生態系を守るという大きなテーマにおける具体的取組みの一つだ。

 島内では「裸びわは味はようても見かけが悪うて値がとれんで、売れんと生活できんよ。」と助言してくれる枇杷農家さんもいる。 生産者も消費者も、生産物は味だけでなく見栄えや価格など多様な価値観をもっているので、私は果実への袋かけや、枇杷畑の除草が体力的にきつい高齢の農家が草枯らし(除草剤)を散布するのを頭から否定するつもりもない。
 ただ祝島の豊かな自然のなかで暮らしていると自然生態系の重要性を日々肌で感じるようになり、ヒトの生活か自然生態系保護かどちらが優先かという発想ではなく、自然生態系が壊れるとヒトの生活も壊れてしまうということに気づかされたのだ。

 自然農的な枇杷栽培は、雨、風も含めてお天道さまの影響を真正面から受け止めるので、果実の表皮に葉擦れ傷ができたり陽(ひ)割れしたりする。
 まるで外遊びが大好きで擦り傷が絶えない元気な子供のようだ。 不ぞろいなところもヒトの子供だけでなく我が家の放牧豚に通じる。
 はだかびわの美味しさは祝島の枇杷農家も一様に認めているのだから、多少の時間はかかるだろうが、
相思相愛の生産者と消費者を引き合わせ(マッチング)るマーケティングで解決できる問題だと楽観的に思っている。

『生きちょるよ』

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 今年もヒジキ獲りの時期がやってきて幾つかのヒジキ獲りチームが編成されている。 そして今年も私は「竹民(たけたみ)チーム」の非常勤メンバーに加えてもらっている。
 今年の竹民チームには、常勤メンバーとして若手Iターン組みの育くん、拓くんの「いく・たくコンビ」が加わり、民ちゃんも大張りきりだ。
 足場の悪い磯では濡れた重い生ヒジキ袋の運搬作業の力仕事はいく・たくコンビが担うことで、民ちゃんは刈り取りに専念できて身体の負担もずいぶんと軽くなったようだ。
 それでも肝心な釜炊きや箸を使っての異物の除去、袋詰めなど、経験がものを言う作業は、やはり民ちゃんやよっちゃんたち常連メンバーであるオバちゃんたちの担当だ。

 常連メンバーの最年長は民ちゃんの一番上のお姉さん、89歳のしだいさんで、みんなの食事の準備や片づけなど裏方的な仕事が多いが、立派な現役で不可欠な存在だ。
 しだいさんは自分でも無理をしないように、作業の合間には室内作業場の隅にあるコタツでよく昼寝をしている。
 そんな時に用事で作業場に入ったとき「起きちょる?」と聞くと、決まって「生きちょるよ」と返事が返ってくる。 

 こんなふうに生涯を通して居場所(役割)を作ってあげることのできる民ちゃんの優しさ、祝島という暮らしの優しさをしみじみと感じる。
 そして、先日あった京都での仏教者の集会に出席し、もう一人のゲスト雨宮処凛さんと司会者を交えたシンポジウムを思い出した。
 シンポジウムでは、ワーキング・プアーなど都会における貧困問題に積極的に取り組んでいる作家の雨宮さんは、原発問題とも通底する「差別」を指摘した。
(都会で使う電気を地方の原発で発電し、フクシマだったからあの程度の被害で済んだので、首都圏だったらどうなっていただろうか、などというのは差別的発想の典型だ。)
 そして「(全ての人々の)生存権は無条件で全面的に肯定されるべきだ」と強く訴えた。 
人々の生存権が等しく肯定される社会では差別は解消されるだろうし、非正規雇用の不当な労働環境も解消されるだろう。

 司会者が「雨宮さんの生存権の無条件全面肯定の意見について、氏本さんの立場ではどう考えますか?」と話を振ってきた。
 私は放牧豚を例にあげて「目に見えない土壌中の微生物や動植物までさまざまないのちに支えられてはじめて放牧豚は健康に育つので、放牧豚にとって不要で無駄ないのちなど一つも無い、というのは雨宮さんの主張に通じるのではないか」と応じた。
 本来はヒトの社会もそうであるはずなのに、ヒトと自然、ヒトとヒトがお互いに必要な存在だと感じられなくなっている現在の暮らしが危ういのだと思う。

 お天道さまが育て、薪で釜茹でし、天日と潮風で乾燥させた、典型的な脱原発エネルギーの干しヒジキは、ヒトと自然、ヒトとヒトのつながりが実感できる、雨宮さん的表現をするなら「生存権の全面肯定商品」ではないだろうか。
(画像はヒジキの釜茹でと天日干し作業)

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 寒いなりに穏やかな松の内が続いていて、放牧地のブーやモーたち、コッコ、それにマキも寛いだ様子でありがたい。
 私も農作業を早めに切り上げて昼間からゆっくりと本を読んで過ごしたりしているが、読んだ本で印象深かったのは、高木仁三郎さんの講演録「科学の原理と人間の原理」、池澤夏樹さんのエッセイ集「楽しい終末」の2冊。

 両者に共通するのは、1990年代前半の作品なのにまるで2011・3・11の東電福島原発事故を受けて記されたような先見的内容であること、
 原発という問題を単にヒトへの健康被害や環境汚染といった次元ではなく、人類が多様な動植物の一種として地球上でどういう暮らしをすべきか、ならば核〜原子力との関係はどうあるべきかという観点で、人類は核に手を出してはならないという根源的視点で持論を展開していることなどだ。
 20年前の著作が新作のように感じること自体が、この間我われが知的成長停止に陥って失われた20年だったということに他ならないし、経団連が愚痴る経済停滞、デフレ不況なる現象も、この半世紀原発推進一筋の企業経営者たちの知的成長停止、あえて言えば退化が最大の原因ではないのか。

 そんな閉塞感が充満するなかで迎えた2013年だが、過疎高齢化・限界集落といわれる祝島では明るい動きも出ている。
 昨年12月、祝島への若手移住者が主体になって、何でも屋グループ『祝島わっしょい』がスタートした。 主要業務は高齢者の御用聞きだが、その名のとおり島の暮らしに役立つことなら何でもやる。
 それは、御用聞き仕事で高齢者の多い島民をサポートしながら、一方で移住者たちが島民から持続性の高い暮らしのノウハウを伝授されることにもつながるのだ。
 なにより仕事をハローワークから回してもらうのではなく、仕事を自分たちで産み出し地産地消しようとする主体的な姿勢を評価したい。

 一昨年スタートした祝島自然エネルギー100%プロジェクトも、本質は祝島という離島の暮らしに必要なエネルギー全般の地産地消をめざすこと、という思いが個人的には強い。
だから私にとって「わっしょい」の発足はメガソーラーにも劣らないインパクトを感じるのだ。
 脱原発が起点になってはいるが、なにも電源を原発から太陽光や風力といった代替電源に転換するためだけのプロジェクトではないはずだ。 
 私からすれば、ツイッターなどでしばしば「2年もかけてソーラーパネルの設置が未だにたったの2箇所しかない」的なコメントを目にすると、そもそもその視点に対して、視野が限定的なところや時間的なせっかちさに都会的で刹那的な生活観の臭いを感じてしまう。

 島民にとっては30年続けているデモ、親子3世代かけて築く石垣棚田、千年続けてきた神舞神事といった時間的感覚が暮らしの中に現在も息づいている。
 決して平坦ではなかっただろうなかで千年かけて築いてきた島の暮らしは、また千年かけて試行錯誤しながら一年一年積み重ねて行けばよい。
 そのくらい波長の長い時間軸が祝島の暮らしには似合っていると思う。

『懐かしい未来へ』

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 今年が閉じようとしているのに、年の最後を締めくくるこの度の衆議院選挙結果によって、個人的には何とも後味の悪い一年になってしまった。
この衆院選結果も我われ有権者の選択の結果なので、誰のせいにする訳にもいかないのだと思えば、余計に後味の悪さが尾を引く。
 まるで、食材の栽培から調理まで一つひとつ手作りした安心で美味しいこいわい食堂の料理のお品書きの最後に、自販機から買ってきた人工甘味料の清涼飲料を記載するようなものだ。

 その後味の悪さを少しでも紛らわし自分の手で新年を招き入れたいと、太佳ちゃんや息子を誘って今年も我が家やこいわい食堂などのしめ縄作りをした。
 指導役は名田(みょうでん)さん、93歳のおばあちゃんだ。 彼女は立派な現役で、日頃から畑仕事のかたわら古布を利用したいろどりも若々しい室内用草鞋(画像はその草鞋としめ縄)なども作ってくれ、訪中の際のお土産などに重宝している。
 みんなで名田さんと一緒にしめ縄作りをしながら、老若男女合い交えて新年を迎えるための作業ができるような暮らしを何としても続けていきたい、と強く思った。
 それは郷愁でも感傷でもなく、3・11福島原発事故を受けた我われが目指すべき社会「懐かしい未来」のワンシーンなのだ。

 高齢者が望むかぎり現役でいられる社会、その高齢者から引き継ぐ知恵や技を太佳ちゃんや息子たちが活かして、衣食住に必要なモノは買うのではなく、できるだけ自分たちの手で作る自給度の高い暮らしこそエネルギー100%自給社会の姿であり、目指すべき未来なのではないだろうか。
 そのような未来は、これから新たに開発する科学技術がなければ到達できないものではなく、これまでの先人たちの自然への畏敬〜自然生態系や生物多様性の意識に裏打ちされた経験や知恵といった既知の集積をもとにした、時間軸でも先人たちと確実につながっているという実感において「懐かしい」のだ。

 一部の学者や企業家、役人は未だに数値的増加しか「成長」と認められない呪縛意識から抜け出せずにいて、成長のためにはTPP参加が不可欠だなどと叫んでいる。
 それに、どんなに精度の高い科学的技術も、その信頼性は技術そのものではなくその技術を使うヒト側の資質に決定的に制約されることを認めたがらない。
 彼らは「成熟」こそが究極の成長だと理解する知性と勇気を欠いている。 ここ数日の安倍総理や関係閣僚による原発新増設復活への言及はその典型例だ。 彼らにこそ意識的成長〜成熟が必要なのだ。

 新年が「懐かしい未来」への一歩となることを願って、大晦日の除夜の鐘をつきたい。


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