氏本農園・祝島だより

万葉集に詠われ歴史豊かな自然あふれる、万葉浪漫の瀬戸内海「祝島」での暮らしを氏本農園からお伝えします

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「沈黙の春」は故レイチェル・カーソンさんが1962年に出版した著書だ。
半世紀前に彼女は、人類が農薬など化学物質を大量にまき散らせば自然生態系の動植物たちに深刻なダメージを与えることを、昆虫たちが姿を消し、昆虫だけでなく昆虫たちが受粉を手助けした果実などを餌にしていた鳥たちも姿を消すことで、春になってもさえずる鳥さえいない世界が出現すると警告したのだった。

 それが現実味を帯びるようなニュースを最近立て続けに耳にした。

 9月16日付けの朝日新聞記事は、農水省系研究プロジェクトの調査結果として、水田に撒く農薬がミツバチの大量死を引き起こしていることが判ったと報じている。
 ミツバチの大量死は国内では2000年代後半から問題化し、養蜂業だけでなく、ハチによる受粉が必要な果樹栽培や野菜栽培への影響が懸念されてきていた。
 国内ではこれまで、ダニや病気、農薬などが原因として指摘されていたが、詳しくは分かっていなかった。
 畜産草地研究所の研究チームが、水田近くではハチがイネの花粉を集めることを確かめた上で、農薬の散布によって大量死が起きるかをみたところ、巣箱が水田から2キロ以内の群れや、集める花粉のうち7、8割がイネであった群れが大量死を起こしていたという。 水田から遠い群れやイネ以外の植物から多くの花粉を集める群れで死んだハチの数は少なかった。
 果樹などに農薬をまいても大量死が起こる恐れはあり、浴びてもすぐには死なない程度の農薬の濃度でも、巣に帰るハチが減ることなどもわかったそうだ。

 これを裏付けるように、わが町に隣接する柳井市に定年帰農した、宗谷岬牧場時代から仕事でお世話になっている高校の先輩河村郁生さんのお宅でも、美味しいレンゲの蜂蜜を集めてくれていた何群ものミツバチたちが最近全滅してしまったという。
 河村先輩のメールには、県の調査によるとラジコンヘリコプターで水田散布した新型農薬が死因だと書いてあった。

 また10月1日付け日経新聞(ウェブ版)では、農薬(除草剤)の効かないスーパー雑草が遺伝子組み換え種子を栽培している米国の大規模畑作地帯で急速に繁殖していると報じられていた。
 遺伝子組み換えで除草剤耐性を持たせた作物種子を栽培し、ヒト側が安易に除草剤を散布した結果、除草される側の雑草も負けじと遺伝子を変異させることで農薬耐性を身につけたのだという。
 対応策として、遺伝子組換え種子や農薬を製造している企業は、当面複数の除草剤を組み合わせて使用するよう農家に奨めているという。いかにも愚かしいイタチゴッコなのは明らかだ。
 これらの企業はすでにより強力な新型農薬やその耐性を組み込んだ更なる遺伝子組み換え種子を開発しているはずで、農家はこれらの企業から新型種子と新型強力農薬を毎年購入しつづけるしか農業を続けるための選択肢はなく、完全に企業とは隷属関係になってしまうという社会的問題も生じる。

 このように、目先の生産効率を求めたヒトの科学(化学)技術は、自然生態系というヒトも含めた幾多の命の生活基盤に深刻なダメージを与えていることに、ヒト自身が気づいていない、あるいは気づいてはいても目先の利益のために改める気概を欠いている。
 ヒトとはその程度の知性レベルなのかと自虐的になってしまう。 そんな低知性の生物が「核」をいじって、使いこなせるなどという発想自体が論外ではないか。

 レイチェル・カーソンさんは、自然生態系という概念自体が未熟で環境問題の存在さえ否定された経済成長一筋の時代に、人間も自然生態系に組み込まれた一部だと堂々と主張した。
そしてそうした知性と感性を育むことの大切さを最後の著作「センス・オブ・ワンダー」で静かに説いた。
そんな彼女の知性は私にとって今でも眩しい憧れだ。

 ブログにアップした画像は、ビワの花でせっせと働く我が家のニホンミツバチだが、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の冒頭で、映画のタイトルを象徴するようにブンブン羽ばたいているミツバチとして出演している。
 ミツバチなど小さな昆虫類が元気に飛び回る光景を守ることは、祝島に限らずヒトの暮らしを守ることと完全に同義だと信じている。

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 小女将(こかみ)の太佳ちゃんは9月中旬から10月中旬まで長期の秋休みをとっていて、こいわい食堂は休業している。
 この間に太佳ちゃんが大学生時代に留学していた中国の北京から、宿舎のルームメイトだったリー・シンさんが、国慶節休暇を利用して娘のノ・ノちゃんを連れて来日してくれた。
 ご主人は仕事の都合で同行できなかったが、旅行企画の仕事をしている彼女は、日中関係がこじれているなかで初来日してくれたのだ。

 彼女の周囲は危険だから訪日を中止するようにとの意見が多かったのに、彼女は自分の目で日本を確かめたいと、押し切っての旅行なのだそうだ。
 彼女と同行予定だったもう一人の学友は結局国外旅行許可がもらえず訪日を断念したという。旅行許可を得られた人と得られない人がいるという事実に、やはり国情の違いが見えてくる。

 リー・シンさんはありきたりの観光地巡りではなく、タカコの暮らしを見たいからと2泊3日を祝島訪問に充て来島してくれた。
 そして海岸で遊び、わが家の動物たちに触れ、タミちゃんなど島オバちゃんたちとカタコトの会話をして祝島を楽しんでくれたようだ。
 ミッちゃんは神舞で使った和服布でノ・ノちゃんのスカートを縫ってくれた。ノ・ノちゃんはすっかりマキが気に入って宿舎の太佳ちゃん宅に連日連れ帰った。

 夜はわが家の練塀蔵で祝島づくしの日本的食事を体験してもらった。
正本さんやタミちゃんが差し入れしてくれた獲れたてのタイやアジを林さんの新米をカマドで炊いて手巻き寿司をした。 ヒジキやエビやタコも祝島産(海苔だけは太佳ちゃんの親戚が作った島外産)だ。
 日本語、中国語、英語がごちゃごちゃになって会話が弾む。 眠くなったノ・ノちゃんはマキと傍で寝てしまった。

 大都会の北京市内でマンション住まいのリー・シンさん家族にとって、瀬戸内海も星も夜の静寂も、そして動物や植物に囲まれて暮らし、そこで獲れた食材で食卓を囲めることはすばらしく豊な生活に感じるという。
 それなのに、中国ではみんなが北京や上海や香港など大都会に住みたがる、タカコのように敢えて田舎に住もうとする若者のいる日本はやはりすごいと思う、という彼女の意見には、さすがに買いかぶりすぎで、祝島に住む若者たちは日本でも少数派なのだと、太佳ちゃん自身が教えてあげていた。

 そして、個人同士ではこんなに友好的に交流できるのに、どうして国同士でトラブルを起こしてしまうのかと残念がり、利権や野望が人々の心を乱すからトラブルのもとになるのだという彼女の意見に、私は同感し、原発も同じ構図だと思った。
 帰国したら、来日に反対していた周囲には、接した日本人はみんな優しく明るく親切だったと教えてあげるのだと、リー・シンさんは何度も繰り返してくれた。
 書生論的ではあるが、政治家や国の役人任せにしないで、自分たちの身の丈でできる草の根交流を実践することが必要なのだと改めて思った。

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一般には馴染みはないだろうが獣医畜産新報(JVM)という専門誌がある。
今年になってその本の表紙写真を祝島在住のカメラマン、佐野高太郎さんが担当していて、氏本農園の動物や島ネコを順次紹介してくれている。

vol.6 せっせと卵を産んでいた頃のトサカの色が鮮やかなコッコ(今の時節は卵を産まず悠々自適に暮らしている)
vol.7 ブーのための残飯をしばしば横取りしながらしらばっくれている島ニャンコ
vol.8 ミカンを差し入れしてもらって満足気なブー(食べ物ならゴーヤ以外はなんでも喜ぶ)
vol.9 専用送迎車?に乗って農作業に向かう、気合いの入った牧用犬のマキ

 祝島という小さなコミュニティに暮らしているからこそ、ヒトも家畜も野良ネコさえもが、一把ひとからげではなく個として目を向けられ個として扱われ、このように取り上げてもらえる。

 政府が原発ゼロのエネルギー戦略を公表してから、経済界からの反発はすさまじいものがある。 
それに便乗して既存原発や関連核施設の立地自治体からも見直し・再稼働の声が高まっている。
 経済界を代表する経営者たちが、原発を復活しないなら安いコスト環境を求めて海外に生産拠点を求めざるを得ないなど言うのは、ほとんど聞くに堪えず情けない。
 企業の利益確保という海外移転の理由は、移転先の国や国民を安い労賃や電力を供給する役割、生産された商品を売りつける相手としか見ていない「搾取」の視点だ。
 最近の中国各地での残念なデモ騒動の伏線にはそんな日本企業の姿勢への反発があると私は考えている。

 企業の移転による地域空洞化や原発休止による税収減少を恐れる地方自治体側も、そんな企業の主張に同調して、地域の住民は賃金カットや非正規雇用の拡大で不幸感を増幅させている。
 市町村合併などで財政の帳尻を合わせ、自治体の住民を見る視点は、個ではなく群れ・集団で、個への敬意や優しさがどんどん欠落してきている。
 それは海外移転を口走る大手企業の従業員への視点と驚くほど重なってくる。

 大き過ぎて、個を大切にできない社会、個を集合体の群れでしか語れない社会は冷たく不気味でしかない。
 フェイスブックなどITツールは、そんな大きな社会を少しでもカバーして個とそのつながりを回復させようとしているのだろうが、それも何だか寂しい。
 グローバル化によるバーチャルな世界の拡大ではなく、五感でつながる規模の暮らしへの回帰という発想転換が今こそ必要なのではないだろうかと思う。

『妨害予防権』

 2030年代に原発稼働ゼロを目指すとした新エネ・環境戦略の14日政府発表を受けて、案の定、早速に経済界や日経新聞など一部のマスコミから批判や反発の大合唱が起きている。
 しかしそれら反対理由の多くは、少なくとも一庶民にすぎない私にとって合点のいかないものが多いし、苦笑したくなる幼稚なすり替え論も少なくない。

 彼らの論調の基本は、天下国家や経済を考えるのは彼らの役目であって、そんな大局観を庶民は到底持ち合わせていないのだという、上から目線の視点だ。
 そして、経済が立ち行かなくなって困るのはあなたたち庶民だよ、という脅し文句を随所にチラつかせる。
 使用済み核燃料をどうするかという根本問題を詰めないままの原発ゼロは矛盾であり無責任だとの発言もある。それを言うなら、その根本問題を先送りにして強引に原発建設を進め、問題が表面化すればカネでその場を繕って、ついには東電福島原発事故に至った過去の長い自民党政権と経済界の方がよほど無責任で罪深い。

 さらには海外からの意見として都合のよい原発ゼロに反対の立場から発言させて、国内の原発推進側を後押しさせている。
 たとえば米国元国防副長官は、日経新聞への寄稿で「日本がパワフルでモダンな社会を維持するためには、1日1年を通して100%頼れるエネルギーが必要で原子力は不可欠だ」と言いきっている。
 私は国粋主義者ではないが、他国民から日本の社会がパワフルでモダンであるべきだなど助言を受ける必要を全く感じないし、何よりそのパワフルでモダンな社会の典型事例である米国が、その一つの結果として9・11同時多発テロを誘発させているではないか。

 どの論調も、いまだに流浪を余儀なくされている東電福島原発事故の被災者を納得させるものではなく、ないがしろにするものでしかない。 幾多の動植物の命を育んできた豊穣の大地や海を人間の手で不毛にしてしまったことへの反省のカケラも感じられず、むしろそんな感情論に浸っている場合ではないという冷酷な開き直りを感じる。

 これに先立つ9月4日に最高裁小法廷で、上関原発建設のための田の浦湾埋立て作業を巡って、埋立て免許を受けた中国電力側が、阻止しようとした祝島漁民などの行為を作業妨害であるとして処分(妨害禁止)を求めた申立てを認める決定をしたことが報じられた。
 その根拠として埋立て免許を受けた事業者側の「妨害予防権」という権利を初めて示したとも報じられた。
 最高裁における最終判断なので今後同様の訴訟で、免許を受けた事業者(企業)に圧倒的に有利な判例となる、というのは法律に素人の私にも見当がつく。

 上関原発に反対する島民たちはこれまで「島民の会」を中心に、非暴力・非抵抗で阻止行動をしてきたが、この論理を事業者側である企業が振り回せば、工事に反対する住民などの現地での阻止行動は「妨害予防権」のもとでやみくもに訴えられ、住民側が敗訴してしまうのだ。
 これまでもスラップ訴訟(企業が資金力にモノを言わせて、企業の活動に批判的な一般住民を被告として訴え、裁判の高額な費用負担や損害賠償で恫喝する訴訟行為)が批判されてきたが、さらにスラップを助長する、住民側からみて極めて反民主的、不公正な判決といわざるをえない。

 もし、次の国政選挙で政権が交代し、民主党政権の「原発ゼロ社会を目指す新エネ・環境戦略」が反故にされ、原発新増設も復活したなら、これまでのように我われ住民が現地で上関原発建設を阻止する手だては、今度こそ全く無くなってしまう。
 このようにして、原発利権に固執する側は様々な手を打って、虎視眈々と復活を期していると思えば、私はとても今回の新エネ・環境戦略の公表で浮かれる気分にはなれない。

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 神舞のご神体が国東の伊美別宮社にお帰りになった出船にあわせたように、今年の夏は祝島から立ち去っていったようだ。 網戸から入ってくるのは明らかに涼しさを増し、虫の音を乗せた秋の風だ。

 お隣の林さんの水田では第二次大戦後の代表的な早生品種であるコシヒカリの収穫が始まった先週になってから、氏本農園の一角に植えた長崎で被曝したイネの67代目の子孫はやっと出穂、開花がはじまった。(画像参照:早生種のコシヒカリと晩生種の被曝イネ)
 こんな晩生種だから、長崎に原爆が投下された8月9日の頃は、人間でいえば小学生くらいの成長が活発な時期だったはずで、なおさら放射線による遺伝子レベルでのダメージが深刻だったろうことは想像に難くない。
 そのダメージは、核兵器だからではなく原子力発電なども全く同じで、動植物への核の脅威という点において、核の平和利用という詭弁はありえないのだ。

 ちょうど秋の新学期が始まって、首都圏の小中学校の現地体験や複数の大学ゼミ実地研修が立て続けに祝島で行われ、氏本農園も先週一週間ぶっ通しで彼らを引き受けることになった。
 小学生も大学生も氏本農園の体験実習は同一、共通だ。 8時に島民が持ち寄ってくる残飯類を放牧豚の餌として集荷する作業から始まる。
 都会の家庭では残飯類は生ゴミとしてゴミ収集に出し、しかもその作業はほとんどが親の役目となっているようで、アパート暮らしの大学生を除いて残飯類に触れる機会もないので、その残飯類がその後どう処理されるのか、全く関心を持たずにすむ暮らしをしてきている。

 その残飯〜生ゴミ〜大量の焼却用燃料・環境負荷という構図に象徴される暮らしのスタイルは、トイレの洗浄水〜下水道汚水〜終末処理廃棄物、あるいは原発電気〜温廃水〜核燃料廃棄物という構図に驚くほど類似している。 発生原因を生んだ当事者がその始末を他人に依存し、ついにはそのことに関心さえも失って暮らしている。 むしろそのことで成り立っている産業と企業群がいる。

 残飯の回収の際、不快な異臭に気分を悪くしてへたり込む中学生や大学生がいた。
彼らには、どうしてこんなに異臭のする残飯があるのか?とか、不快な異臭を発生させないためにはどうすれば良いか?などの質問をその都度投げかける。 「食べ残さなければよい」と答えた聡明な一人の女子中学1年生がいて救われた気分になる。

 農学系ゼミの大学生一行20人には、こいわい食堂小女将(こかみ)の太佳ちゃんが指導役となって、
祝島滞在中は自分たちが島内で調達した食材を自分たちで作ったエネルギーで調理し食べるという「食の原体験」プログラムを用意した。
 自分で釣った小アジを自分でさばき(ほとんどの学生が初体験)、おばちゃんにかけあって野菜やお米を分けてもらい、山菜や木の実までも集めた。
 氏本農園の実習の帰りに枯れ木を集めてきてそれが釜戸などの調理用燃料となる。 お湯はソーラークッカーで沸かした。 水はほとんど井戸水を手押しポンプで汲み上げてまかなった。 薪の火つけ、井戸水の汲み上げ、何もかも初体験だったようだ。
 食後の食器類は古布で油分を拭き取ったあとに水洗いだけで、合成洗剤は一滴も使用しないで済ませた。 もちろん野菜の皮、魚の内臓、そして少しの残飯類は翌日のブーたちの餌となった。
 自分で最初から最後まで責任を持つ食事は大変だけども清々しいと言ってくれた学生がいた。

 氏本農園の現場実習は小中学生も大学生も例外なく被曝イネの見学と説明で切り上げとなる。
残飯の後始末をしなくてすむ食べ放題の食事、排泄物の処理をしなくてすむ流しっ放しの便所、使いっ放しの電気に潜む核燃料廃棄物問題や原発事故、一部のヒトが利便さや快適さを求めるあまり、他の誰かに過酷な負担を強いていないか?
 その警鐘を鳴らす大切な生き証人がこの被曝イネなのだということを判ってほしい。


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