氏本農園・祝島だより

万葉集に詠われ歴史豊かな自然あふれる、万葉浪漫の瀬戸内海「祝島」での暮らしを氏本農園からお伝えします

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『芸は身を助けず』

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 前回の「営農歳時記」に登場した「お座りブー」が、ブログを読んで面白がってくれた朝日新聞の地元記者Wさんの現地取材で、今朝(17日)社会面左下「青鉛筆」コーナー(全国版)に登場した。
 太佳ちゃんは「私は東京新聞で首都圏デビューだったけど(前回の「こいわい食堂」参照ください)、ブーは全国デビューですね。スゴイ!」と悔しがった。

 でも実は、その「お座りブー」はまさに今日と畜されるのだ。 昨日私がと畜場まで連れていってお別れをしてきた。
 我が家のブーたちを担当してくれている防府市のと畜場を運営する会社のM常務さんからも早速連絡をいただいた。 彼の家も朝日新聞を購読しているので記事を見てくれたのだ。
 今日と畜するブーが記事の当事豚ですよ、と伝えると「そんな特技を身につけた豚をと畜していいんですか?」と聞き返された。

 「ブーたちの場合は“芸は身を助けず”なんですよ」と答えるしかなかった。 ブーたちも地元生態系の食物連鎖の一部ですから、などと講釈をたれる気はおきなかった。

 皆さんも記事を読んでくだされば、お座りブーの供養にもなってうれしいです。

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 15日(日)の東京新聞に、社会面見開き2面を使った「こちら特報部『脱原発のココロ』」欄で「こいわい食堂」小女将(こかみ)の太佳ちゃんが取り上げられた。
 身内びいきになるが、取材の視点や記事中に取り上げられた太佳ちゃんのコメントなどから、記者の感性が伝わる良い記事だと思った。

 たまたまこの日の同紙1面では、横浜市内での脱原発世界大会の記事が大きく取り上げられていて、それの関連記事だったようだ。
 イベント的に大勢で集まって脱原発を論じ、デモをするのも大切だし、署名活動も大切だが、太佳ちゃんがこいわい食堂を通じて実践しているように、誰でも日々の平凡な暮らしの場面で、気張らなくても容易にできる脱原発の取組みも、劣らず大切だと思う。
 これまで着けっぱなしだったコンセントを1つ抜くことも立派な脱原発行動だ。 各戸で1つのコンセントを抜けば、全国では数千万のコンセントを抜いた大きな節電になるのだ。
 
「国や電力会社が変わりたくなくても、私たちは変われる。私たちが変わることで彼らも変わらざるをえない」という太佳ちゃんの言葉には説得力がある。
 ミツバチの羽音は、一匹では髪の毛も動かせないほどの小さな力でも、みんなでブンブンすれば世の中を動かせるほどの大きな風を起こせるということだ。

『お座りブー(豚)』

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 氏本農園にはいろいろな生きものが暮らしている。 というか、私はいろいろな生きものに囲まれて暮らしている。
 いろいろな生きものに支えられていることで私が生きていけている、というのがより適切な表現だろう。 私の周りで多くの生きものたちが暮らしていること自体が、物心両面で私の健康な暮らしを支えてくれている。

 朝起きてまずお世話になる我が家のバイオトイレでは、便槽から湯気をたててバクテリアたちがいかにも元気そうに出迎えてくれる。 手ぶらではかわいそうなので台所の魚の骨や野菜くずも入れてやる。

 庭では陽だまりで愛犬のマキとコッコ(鶏)がくつろいでいる。 コッコは、マキのそばにいれば野良猫に襲われないことを知っている。
 コッコは卵も産まなくなった老鶏だが庭の雑草を食べてくれるし、マキの遊び相手にもなってくれるので、それで十分だ。 マキとともに主食はこいわい食堂の残飯類なので、ペットフードの類には縁がなく、生ゴミの減量化も手伝ってくれている。

 放牧地では毎朝ブー(豚)がお座りして出迎えてくれる。
おそらく何人もの島民が散歩がてらに家庭の残飯をおやつがわりに差しいれしてくれているので、行儀良く待つことを自然に覚えたのだろう。(動物園ではないので私は教えていない。)
 ブーたちは知能程度が高く、人と上手に付き合って可愛がられればおやつも増えることを経験的に察知したのだと思う。

 ブーたちだけでなく、別の耕作放棄地に放牧されているモー(牛)たちもこの5年間全く病気知らずだ。
 その理由はいろいろ考えられるが、彼ら自身が土のうえで通年無畜舎・放牧で暮らして、いろいろな動植物に支えられているからだと、私は思っている。
 植物といういのち、その植物を支え開花や結実を助け植物の世代交代を促す昆虫たち。その植物や昆虫の暮らしを支える土中の無数の生きものたちなどなど。 有害鳥獣といった表現はヒトの視野狭窄で身勝手な概念でしかない。

 いろいろな生きものが支え支えられ合っていることは、味気ない表現に変えるなら、ある動植物は別の動植物に食べられ、いのちを奪い奪われる食物連鎖で自然界のいのちの循環が成り立っていることなのだ。

 その循環が無駄なく回転することが自然界にとって本来の効率であり、持続性につながるのだと思う。
単位面積あたりのお米の収量、一日あたりの豚の増体量などは、ヒト本位の資本主義的、工業的発想の効率でしかなく、結果的に環境汚染などの隠れた不効率を自然界に押し付けて、持続性を損なってしまう。
 特定の動植物だけが異常に多く存在するのではなく、少数であっても多種多様な動植物が繊細なバランスをとって暮らしているのが、生物多様性に富んだ本来の自然界なのだと思う。

 島ぐるみで取り組む枇杷の無農薬栽培などは、ヒトの側ができるせめてもの島の動植物たちへのささやかな協力だ。
 毎日美味しい天然の魚を恵んでくれる生きものの塊とでもいえる海に、ヒトは化学物質入りの生活排水を流しこんだりして、生きものたちからの恩を仇で返していることの方がよほど多い。 そこを改めなければ、原発の化学薬品入り温廃水の垂れ流しを非難するには説得力に欠ける。

 ヒトも食物連鎖の鎖の一つであるかぎりは、小規模であっても多品種を栽培する農業を目指したい。 
それなら小さな離島の農業でも十分に可能性があると思うと同時に、だからTPP(環太平洋経済連携協定)に参加するために日本農業の規模拡大が必要との経団連的発想に大きな違和感を感じる。

 祝島は、生きものたちに囲まれて暮らし、いのちを良く奪い良く奪われる「いただきます」について身近に考えさせてくれる、私にとっては格好の田舎なのだ。

『理想の食卓』

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 新年最初なのに、去年の話もどうかと思ったのだが、自分なりに新年にふさわしい建設的な話題だと思って書くことにした。

 暮も押しつまった先週、こいわい食堂は年末年始の冬休みに入り、太佳ちゃんは実家に帰省するということで、私と太佳ちゃん二人の共同CEO(最高経営責任者)で、反省会を兼ねてささやかな2011年最後の晩餐を催した。
 
 料理は「お互いに持ち寄り」という申し合わせで、こいわい食堂側は冷蔵庫の中の在庫整理を兼ねていたと思う。
料理は結果的に次のようになって(画像は食べている途中のもの)いた。 こいわい食堂のしきたりにならって、それぞれ持ち込んだ者から料理の説明をした。 
(1) かまどで炊いたご飯:ハヤシさんの減農薬米
(2) 一本釣りのヤズ(はまちの現地名・天然物)をごま油と天然塩で軽く下味つけした刺身と、オリーブオイルと天然塩でカルパッチョ風刺身の2皿:一本釣り漁師ショウモトさんの差しいれ
(3) 天然小アジの一夜干しの焼き魚: 波止場で釣ったゴイ兄(ニィ)の差しいれ
(4) 祝島放牧豚のスモークベーコン:有機塩コショウだけで味付けした氏本農園の手作り
(5) 無農薬大根(おろし・和え物)と大根葉(おひたし):タミチャンの自家菜園から抜いてきた 
(6) 小松菜サラダ風:隣のヤマサキさん(タミチャンの姉さん)の差しいれ
(7) トマト:豚が出て行った放牧地に勝手にそだった、いわば豚による自然農モノで冬でも実っている(画像参照)
(8) 橙(だいだい):半野生化した無農薬ものを採集、風味付け用
(9) ワイン:いつもは近隣の純米地酒、ワイン通のある方からの差しいれで、今回限りの特別出品
 
 食べながら、食材や調理方法、調味料、食器などについても二人で以下のような話をした。
調理に要した燃料は、かまどの薪以外は小アジを焼いた我が家のガスだったが、こいわい食堂のかまどのオキ(活炭)で焼けば化石燃料を使用しなくてすんだ。(同じ敷地内で連携不足!)。
 使用した調味料は、オリーブオイル以外は全て国産原料を国内で商品化したものだった。 醤油や天然塩など古い製法のものは、手間はかかっているが化石燃料や電気の依存度は相対的に低く、余計な副原料も少ない場合が多い。 商品を意識して選択して買うことも日常の大切な「投票」行動だ。 そんな地味な日常行動が脱原発につながっている。 オリーブも祝島に生えているのでそのうちオイルも搾ったらどうだろうか。
 お箸は島内に自生する孟宗竹を漁師のノブヤンが漁の合間に削って作ったものだし、食器類もこいわい食堂開業の際に島内から集まったリサイクル品だが、これで十分だ。
 飲み物は貰い物の輸入ワインではなく、地酒とか枇杷の葉茶であれば完璧な地産地消だったのだろうが、食卓に少しは遊びや崩しも必要かもしれない。 レヴィ・ストロースは「人類にとって食べ物は口や身体にだけでなく、意見にも合うもの」と言ってはいるが、意見に重心をかけ過ぎても楽しさが減ってしまうだろう。

 そんな話の延長で、この食卓の特徴を二人で真面目にまとめてみた。
(1) 一人称で語れる(自分で作った、作業を手伝った、直接もらった)島内産の食材ばかり(ワインは除き)だ。 お店で買っていないのでお金が動いていない。 
(2) 島内の食物連鎖なので短かく(小さく)、人も含めてどんな動植物が関わっているか解りやすい。 フードマイレージ(運搬距離:距離が長いほど輸送燃料がかかり環境負荷を大きい)が極めて短いので、運送や加工に必要な大量のエネルギー(化石燃料や原発電気)を必要としないで済む。
(3) 隠れたコスト〜農業主体の開発途上国の幼児労働、環境破壊、大規模工業的畜産の家畜ストレス、深刻な病害虫や伝染病など社会リスク〜への後ろめたさがない、言い換えれば誰にも借りがない食材ばかりだ。
(4) このような食卓は祝島の特殊性ではなく、限界集落といわれるどこにでもある農山漁村に共通する、かつて日本のどこでも一般的だった家庭の食卓ではないか。
(5) いっしょに食べる人がいると話がはずむ。 やはり食卓は家族や気のあった仲間で楽しく囲むにかぎる。 個食は避けたい。

 こういう食卓なら、「いただきます」、「ごちそうさま」と感謝の思いを伝える相手が明確に意識できるようになるだろう。
 その相手とは、人間に食材として命をささげてくれた当の動植物だけでなく、その動植物の生活を食物連鎖の形で支えてきた自然生態系の無数の生きものたち、その生きものたちの活動に無害・無償のエネルギーを惜しみなく注いでくれる「お天道さま」にほかならない。

 こんな地産地消の食卓こそが、私にとってもこいわい食堂(=小女将の太佳ちゃん)にとっても理想だというのが、あらためて明確になった。

 TPP(環太平洋経済連携協定)に象徴される市場経済のグローバル化は、とりわけ食の分野では、共通の基準による無個性な食卓(ファストフード化)や個食を助長する方向にしか作用せず、各国の地域性や多様性を淘汰しこそすれ育てはしない。
「いただきます」を言う相手をイメージするのも難しくなるばかりだ。 食に関わる一人として、私がTPPに強い懸念を抱く理由だ。

 2012年は、お互いによりいっそう地産地消の「理想の食事」をめざして頑張ろう、ということで宴をお開きにした。 具体的な努力目標が見えて新年を迎えられるというのは幸せなことだ。

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 私にとって重たい一年、2011年がもうすぐ閉じようとしているが、心のなかにはその重たさが澱(おり)のように溜まったままだ。 その澱の中身は東電福島原発事故の終息が見えてこないことに象徴される閉塞感だ。
 あくまでも個人的だが、その閉塞感の背景には、あれほどの原発事故を被りながら社会生活の基本的枠組み〜パラダイムを変えようとする動きがあまり感じられないことにあると思っている。

 国政の場でも地方政治の場でも、もちろんその政治家を選ぶ立場のわれわれ有権者も、旧態然とした保守派(右派)と革新派(左派)という立場の延長から脱却できないなかでの論議だから、的を射てないというか隔靴掻痒というか、いたずらに時間やエネルギーを浪費しているように思えてならない。

 私たちがパラダイム・シフトすべきはまずその論議の立ち位置ではないかと思うのだ。
これからは「ローカリスト(地域主義者)」か「グローバリスト(地球主義者)」かという視点で論議したほうがより深堀できて納得がいくのではないだろうか。
 大都市と地方農山漁村、ファストフードとスローフード、大規模集中型発電(原発)と小規模分散型発電(自然エネルギー)、TPP(環太平洋経済連携協定)参加の是と非にしてもしかりだ。

 この12月は初頭から、気温こそマイナス10度前後だが通常は積雪がほとんどない中国内陸部の寧夏回族自治区で、想定外の積雪に足止めされたこともあって二週間にわたる長逗留となってしまった。 それを見越していたわけではなく白酒(バイチュ)を飲みすぎないようにと、読みたい本や雑誌をなぜか多めに持参していてじっくりと読むことができた。

 その雑誌のひとつに東日本大震災・原発事故の復興に関する実践的研究者4氏の対談記事があって、その中に印象的なフレイズがいくつかあった。
 曰く「この震災は日本社会が抱えていた構造的な問題を先鋭化させた」、「自分たちが築いてきた文明が自分たちの社会を破壊した」、「効率性、合理性を求めて中央集権化した東京中心のシステムが崩れて都市型社会はマヒしたが、孤立した小さな寒村では備蓄の食糧を持ち寄り薪を燃料にして当たり前のように生きていた」、「拡大成長路線のグローバル化の先にローカル化があって、地域の多様性が前面に出る方向に向うだろう」などなど。

 寧夏回族自治区の州都、銀川市の小さな公園は、夏に訪れたときには市民が木陰で胡弓の練習をしたりしていたが、今回はひっそりと冬眠しているかのようだった。
 銀川市から400km南下した標高1500mの黄土高原の農村でも、夏のトウモロコシの段々畑がすっかり黄土色の単調な景色に変わっていたが、黄土煉瓦の農家では農耕の春を待って人々も牛たちも淡々と暮らしていた。

 中国の急速に工業化・都市化する社会のなかで、この村が日本における東北の寒村や祝島に重なって見えた。
 人類の文明が開花して以降の長い期間を先進的立場にいる中国には、このような農村を人の住めない死の大地にしてしまうような日本の轍を踏まないよう願うばかりだ。

 今年も一年間このブログにお付き合いくださってありがとうございました。
皆さまにとって2012年が希望に満ちた良い新年でありますようお祈りいたします。


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