寒いなりに穏やかな松の内が続いていて、放牧地のブーやモーたち、コッコ、それにマキも寛いだ様子でありがたい。
私も農作業を早めに切り上げて昼間からゆっくりと本を読んで過ごしたりしているが、読んだ本で印象深かったのは、高木仁三郎さんの講演録「科学の原理と人間の原理」、池澤夏樹さんのエッセイ集「楽しい終末」の2冊。
両者に共通するのは、1990年代前半の作品なのにまるで2011・3・11の東電福島原発事故を受けて記されたような先見的内容であること、
原発という問題を単にヒトへの健康被害や環境汚染といった次元ではなく、人類が多様な動植物の一種として地球上でどういう暮らしをすべきか、ならば核〜原子力との関係はどうあるべきかという観点で、人類は核に手を出してはならないという根源的視点で持論を展開していることなどだ。
20年前の著作が新作のように感じること自体が、この間我われが知的成長停止に陥って失われた20年だったということに他ならないし、経団連が愚痴る経済停滞、デフレ不況なる現象も、この半世紀原発推進一筋の企業経営者たちの知的成長停止、あえて言えば退化が最大の原因ではないのか。
そんな閉塞感が充満するなかで迎えた2013年だが、過疎高齢化・限界集落といわれる祝島では明るい動きも出ている。
昨年12月、祝島への若手移住者が主体になって、何でも屋グループ『祝島わっしょい』がスタートした。 主要業務は高齢者の御用聞きだが、その名のとおり島の暮らしに役立つことなら何でもやる。
それは、御用聞き仕事で高齢者の多い島民をサポートしながら、一方で移住者たちが島民から持続性の高い暮らしのノウハウを伝授されることにもつながるのだ。
なにより仕事をハローワークから回してもらうのではなく、仕事を自分たちで産み出し地産地消しようとする主体的な姿勢を評価したい。
一昨年スタートした祝島自然エネルギー100%プロジェクトも、本質は祝島という離島の暮らしに必要なエネルギー全般の地産地消をめざすこと、という思いが個人的には強い。
だから私にとって「わっしょい」の発足はメガソーラーにも劣らないインパクトを感じるのだ。
脱原発が起点になってはいるが、なにも電源を原発から太陽光や風力といった代替電源に転換するためだけのプロジェクトではないはずだ。
私からすれば、ツイッターなどでしばしば「2年もかけてソーラーパネルの設置が未だにたったの2箇所しかない」的なコメントを目にすると、そもそもその視点に対して、視野が限定的なところや時間的なせっかちさに都会的で刹那的な生活観の臭いを感じてしまう。
島民にとっては30年続けているデモ、親子3世代かけて築く石垣棚田、千年続けてきた神舞神事といった時間的感覚が暮らしの中に現在も息づいている。
決して平坦ではなかっただろうなかで千年かけて築いてきた島の暮らしは、また千年かけて試行錯誤しながら一年一年積み重ねて行けばよい。
そのくらい波長の長い時間軸が祝島の暮らしには似合っていると思う。
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