今年の夏はことさら不快な暑さに見舞われそうだ。
先日の参議院選挙で有権者は衆参ネジレ解消を選択した。
確かに政策決定は迅速化して当面の政治はねじれ状態だったこれまでよりは時間的には効率化するだろうが、それはいわゆるコンビニ的な利便性で、政治の質的向上とはほとんど関係無いと私は思う。
政治の質は政治家の質に基づき、政治家の質は有権者の質に完全に依拠するので、結局は我々国民一人ひとりの知性に帰結する。
昨年末の衆議院選挙後に自民党が政権与党に復帰して既存原発再稼働が現実化すると、とたんに停電非常事態や節電の論議が、政治家からも電力会社からもマスコミ報道でも見事に聞こえてこなくなった。
アベノミクスという曖昧模糊とした表現で経済成長を主張する安倍さんからは、知的冷静さではなく旧態然とした野暮ったさしか伝わってこない。
今月上旬、梅雨明け直前にドイツ在住の日本人夫婦が祝島に訪ねてきてくれて、こいわい食堂で食事をしながら、練塀蔵で酒を飲みながら、ゆっくりと有意義で楽しい議論の時間を過ごすことができた。
それというのもご主人はボンにある国連・気象変動枠組条約本部事務局にプログラムオフィサーとして勤務し、加盟各国から提出された年次報告書の審査を担当していて、その現状を聞かせてもらえたからだ。
地球にとって人類の存在が過負担ではないかという視点や、人類の地球環境への影響度を適性な状態まで修正(低下)させるべきだという視点では一致するのだそうだが、その方法論になるとまとまりがつかなくなるらしい。
世界中から多様な人種、価値観の職員が集まって気象変動という一つのテーマに取り組んでいるのだから意見や主張は当然ながら多様なのもやむを得ないが、そこのところは個人的に言わせてもらうとすでにはっきりしている。
人の生活エネルギー総量を減らすことに尽きる。
生活エネルギーの代表格である電気でいえば、発電手段を原発から太陽光や風力などに代替するのはその場しのぎでしかなく、電気自体への依存度を下げるという暮らしの姿勢こそが不可欠なのだと思う。
東京都庁では街の活性化のため地下鉄の終電時間延長や将来的には24時間運行も検討しているという。(日経新聞) 不夜城化することでますます電気エネルギーへの依存思考を強めていっている。 そういう都市像からは私にはクールさやスマートさが伝わってこない。
猛暑を乗り切るには一番気温の上がる昼下がりの時間帯を寝て過ごすに限る。
戸口も窓も網戸にしてあるので、小さな離島ならではの適度な涼しさの海風が部屋のなかをわたっていく。屋外は30度以上あってもエアコンも扇風機も必要ない。
原発電気はもとよりソーラー電気も使わないエネルギーフリーという後ろめたさの少なさが、昼寝をいっそう爽やかなものにしてくれる。
この優しい涼しさはエアコンでは決して作れないし、なによりこの優しい涼しさを味わおうとするなら、昼夜窓や戸口を網戸のままにしておける地域社会の治安のよさが必須条件だ。
畳に寝転がったまま見上げると、網戸をとおして白蓮木の艶やのある枝葉と青空が見える。
戸口の網戸下の日蔭にはそこが風の通り道だと分かっている犬のマキも私に付き合って昼寝している。庭の柿の木にとまっている蝉たちも昼下がりは鳴くのをやめて、私の眠りを深くしてくれる。
放牧地の豚たちも泥浴びや昼寝だ。
みんなで昼寝というは結構クールでスマートなサマータイムなのではないだろうか。
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