氏本農園・祝島だより

万葉集に詠われ歴史豊かな自然あふれる、万葉浪漫の瀬戸内海「祝島」での暮らしを氏本農園からお伝えします

祝島だより

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『風鈴』

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 近頃風鈴をあまり見かけないし、風鈴の音を聞くこともめっきり減ったと感じるのは私の思い込み過ぎだろうか。
 家の中を通り抜ける見えない風を音に変えることで、風を聴こえるようにしたのは昔の人たちの粋な感性だ。

 食べ物の味を「風味」と表現する感性もまた素敵だと思う。
農業や漁業は風を味で表現しようとする職業だという見方に立てば、従事するわれわれは農作業だけでなく感性を磨くことにも真剣に取り組まなくてはならない。
 祖先の感性にいくらかでもあやかりたくて風鈴を提げてみた。

 エアコンの普及や治安の観点で戸や窓を閉める家が増えて風鈴の出番が減り、締め切った家のなかで世界中から集めてきた食材で作った無国籍の料理を食べる生活が珍しくなくなった現代の社会は、風にちなむ言葉からどんどん遠ざかって行くだけでなく、暗く重たい問題を抱え込んでしまっているのではないだろうか。

 われわれは暮らしのなかに風流さをもっと意識してもいいのではないかと思う。

暑中お見舞い

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 暑中お見舞い申し上げます。
皆さまくれぐれもご自愛ください。

 氏本農園の納屋の温度計は先月15日以降連続して最高気温が30度以上の真夏日を記録し続けている。帰島して4回目のこの夏が一番暑いような気がする。

 このパソコンもヘタってしまっている。
いかにも仕事をしたくなさそうに、キーボードをたたいても、かならず一呼吸置いてから反応する。
文章作成ソフトの漢字変換も、嫌々辞書をめくっているかのようだし、カーソルの移動も露骨に気だるそうだ。
 本当はパソコン内の駆動ソフトの不具合なのだろうが、それさえも暑さのせいにしたくなるようなこの頃だ。

 もっとも私に関して、年々昼寝の時間が長くなっているのは、体力低下の無意識的な自己表現なのだろうから、パソコンも加齢による作業力の低下などがあっても然るべきなのかもしれない。
 暑さが一番こたえているのは10歳になった犬のマキだろう。 体力が低下しているのが日常の仕草のはしばしに出てきている。
 それでも朝私と野良に向う際はうれしそうに振舞うところがいかにも健気で、根っからの牧用犬だ。

 やはり放牧豚たちが一番体調的には落ち込みが少ないようだ。 差し入れの残飯などを催促する鳴き声のすごさや奪い合って食べる様は相かわらずだ。
 その豚たちも昼下がりは泥水につかって昼寝を決め込んでいるので、私の昼寝も正当化されているような気がする。(豚の画像は森住卓さん提供)

 この暑さにちっとも影響されていないように見えるのが、タミちゃんだ。 愛用のバイクも白い新車(我々は敬意をこめて白バイと呼んでいる)に乗り換えて、自分の仕事だけでなくお年寄りの手伝いや島内に出入りする若者たちの生活指導など、神出鬼没の行動力と地域に関わる姿勢には頭が下がる。
 氏本農園での実習をきっかけに島へ移住してきた太佳ちゃんは「タミちゃん先生」と呼んで慕い、島の暮らしに必要な諸々をしっかりと教え込んでもらっている。

『家の守り神』

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 我が家の練塀蔵の外壁に大きなヘビが張り付いていた。
アオダイショウだろうが色は銀色にちかい薄い色で、体長は2m近く、マキが近づいても悠然として貫禄がある。
 こんな時には不思議とタミちゃんが通りがかるのだが、そのタミちゃんが「ヘビがおる家は金持ちになるんちゅうで」と教えてくれる。
 その格言は子供の頃にも祖父から聞いたことがある。 だから、ヘビを追い出したりいじめたりしないようにとも諭された。
 おそらくネズミを捕食して米など大切な収穫物を守ってくれるからだろう。

 近所のヨッちゃんも通りかかって「うちは今年も軒先のツバメの雛が4羽ヘビに飲まれてしもうたんよ。これで3年続けてじゃぁ。」と嘆く。
 目の前で飲み込まれ、ヨッちゃんも親ツバメも為すすべがなかったほど大きかったので、おそらくこのヘビではないかという。 家の守り神も腹がへると背に腹はかえられないということか。
 すぐ身の回りで日常こんなことに出くわすのが祝島らしい。

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 副題に「いまを生き延びるための哲学」とある、マイケル・サンデルの著書で、原題は「JUSTICE、What's the Right Thing to Do?」だ。
 先々週末、上京の際の往き帰りの交通機関や投宿した銀座吉水の簡素な和室でゆっくり読むにはちょうどよかったが、いかにもお堅い本の典型のようなタイトルのとおり、実際私には何度か読み返さなければならない箇所がしばしばあった。

 内容はすこぶる刺激的で知的好奇心を揺さぶられつづけた。
さまざまな実例が挙げられ、それぞれについて肯定と否定両方の立場から、その根拠とする理由〜正義の提示を試みている。
 特に後半の国、民族、地域、家族、などコミュニティが関連する事例になると議論はいっそう興味深いものとなってくる。
 例えば、ホロコーストや戦時虐殺、奴隷制度など国として過去の行為を謝罪し補償することの是非、移民排斥の是非などからはじまり、妊娠中絶の是非、さらには自分の子供と他人の子供が同時に救助を求めたとき自分の子供を優先する差別は許されるべきかどうか、などなど。
 それらに底通するのはどんな価値観なのか。 読む人によってそれぞれ受け止め方は異なってくるだろう。 逆に全員が同じ解釈をすることの危険性も著者は指摘しながら、本質的な「正義」とは何かを問いかける。

 この本に惹かれたのは、離島、上関原発反対運動、過疎と高齢化など、いま自分が住んでいる祝島というコミュニティの立ち位置によるところが大きい。
 とりわけ上関原発反対運動に関して、建設予定地の埋立て工事の現地阻止行動について、共同漁業権管理委員会の多数決に従わず旧祝島漁協だけが反対を貫いている行為についてなど、我々の行動がさまざまな波紋を広げるなかで、その正当性を確認し正義の所在を確かめたいもう一人の自分がいる。

 上関原発反対の信念が揺らいでいるということではなく、この本でも言及しているように、私(たち)のアイデンティティを形づくってきたコミュニティが求める道徳的要求〜祝島で言えば「海を補償金で特定の企業に売らないのは未来の人たちへの責任」といった感情〜をより深く理解したいと思うからだ。
 その意味で、私としてはこの本は上関原発を推進する立場の人たちにもご一読をお奨めしたい。
そのうえで上関原発の是非について改めて議論してみたいものだ。

 梅雨のジメジメ感がこの本を読んでいる間は忘れられたが、放牧豚たちは梅雨を待っていましたとばかり泥んこではしゃいでいる。
 豚たちが再生した場所はきれいな牧草地になって今は牛たちが放牧されている。 豚が落としたカボチャの種から苗が育って梅雨空のもとで黄色い花を咲かせている。
 後日実ったカボチャを食べる権利は当然豚の側にある。 それが再生された耕作放棄地における「正義」というものだろう。

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 先週後半は、首都圏で始まった鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー新作「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会とトークセション(2会場・3回)に参加してきた。
 どの上映会も予約を締め切るほど盛況なうえ、上映会場では祝島物産(乾燥ヒジキ、ビワの葉茶、当園ソーセージなど)の直売もしてくださっていて、主催者や関係者の祝島応援の熱意に頭が下がった。

 銀座会場(銀座吉水地下ホール)は40人限定の小規模上映会となったが、出席者は実業家、研究者、マスコミ関係者など多方面にわたり、主催者の女将の広い人脈がよく現れていた。
 上映前に夕食として祝島のヒジキ入りご飯、ビワのデザート、ビワの葉茶で先ず祝島を体感してもらっておくという女将の狙いも当たったと思う。(画像参照)
 上映会終了後も自然エネルギー系ファンドの代表や鎌仲監督、女将などと終電近くまで熱心に意見交換ができて密度の濃い有意義な時間を過ごせた。

 国分寺会場(国分寺カフェ・スロー)も熱かった。
昨夏のデイズジャパンフォトジャーナリスト合宿に参加した生徒たちも祝島写真展を同時開催してくれていた。
 
 映画そのものから受けるメッセージは観た人それぞれに異なるだろうが、主催者のポラン広場東京・佐藤副代表の司会によるトークセションも私には有意義だった。
 トークセションで佐藤さんは「つながり」をキーワードとして鎌仲監督と私に話しを振ってきた。
有機農産物の流通ネットワークを運営し持続的な社会を考えるなかで「つながり」の大切さを訴えつづけている佐藤さんが、エネルギー問題でも「つながり」が重要な切り口と見るのはさすがの見識だと思った。

 鎌仲監督はミツバチの羽音が意味するところを語った。
ミツバチの羽音はクチコミ(BuzzComunication)の意味もあること。 微力で微音な羽音でもクチコミでつながり一斉に羽音を発てることで、大きな音となり時によっては地球の回転にまで影響を及ぼす力にもなること。
 環境重視・脱化石資源の持続型社会を目指して先進的に舵を切ったスウェーデンと同じ価値観、ライススタイルを日本国内では長年にわたって上関原発への反対運動を続けている祝島に見出したこと。
 原発に依存する電気エネルギーの問題は、日本にとって持続型社会への移行を妨げる象徴的な障害であり、未来の人々への責任を果たすためにもみんなでつながってミツバチの羽音を発てようではないか。 この映画を見てくれた人からその羽音が広がってくれるならうれしい、といったことなど。
 鎌仲さんはいつもながらシャープな語り口で、明快なメッセージが私のこころに響いた。

 私は、宮崎県での口蹄疫を例に挙げて「つながり」の喪失が暮らしの大きなリスクを産んでしまうこと、それは原発に依存する電気エネルギーにも完全に通じるのではないか、ということを話させてもらった。
 病原菌混入の可能性をもった稲ワラなどの輸入が口蹄疫の発生リスクを高めている。 肉牛農家は国産稲ワラより安い輸入稲ワラを選択する。 国内の稲作農家は稲ワラを田んぼに切り刻んで処分し肉牛農家の飼料用に十分な量が出まわらない。 国内で肉牛農家と稲作農家のつながりが失われている。
 耕作放棄地の増加がイノシシなどの過剰繁殖を招き口蹄疫の感染拡大リスクを高めている。 膨大な耕作放棄地を発生させながら価格の安さを求めて大量の農畜産物が輸入されている。
 いざ殺処分するとなったら埋めきれないほどの多頭数を狭い土地で飼ってコストダウンし、結果として和牛といえど飼料のほとんどが外国産に依存し、国産の意味まで著しく歪んでしまっている。
 国内の消費者と生産者のつながりの喪失がその根底に横たわっている。

 私には飽食を是正することなく輸入に依存する食生活と原発に依存してまで電気を浪費する生活のどちらもが、未来への責任感、つながろうとする意識を欠いた刹那的生活に思えてしまう。 こんな身の丈を超えた暮らしが長く続けられるはずがない。みんなで変えるしかない。

 トークセションを終えて改めて考えたこと。
 つながりは現在に生きる人々同士の空間軸でのつながりだけではない。 過去や未来という時間軸でのつながりも劣らず大切だと思う。 祝島は時間軸でのつながりを大切にしたからこそ神舞を続けながら千年の時を重ねてこられた。 海を原発補償金で売らないのは島民が未来とつながる意識を持っているからだ。
 我々は微力であっても無力ではない。無力ならばいくら大勢が結集しても無力でしかないが、微力であれば共鳴することで大きな力を発揮できる。

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