氏本農園・祝島だより

万葉集に詠われ歴史豊かな自然あふれる、万葉浪漫の瀬戸内海「祝島」での暮らしを氏本農園からお伝えします

祝島だより

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満開の桜の下で考える

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祝島はあちこちで桜が満開を迎えて、今がまさに春爛漫といった風情だ。
満開の桜の背景に広がる周防灘の正面対岸には、埋め立て工事を中断させられている上関原発予定地、田の浦海岸の無粋なS字道路やブルーシートが見えて興ざめだ。(画像参照)
 去年の今頃は東電福島原発事故の行方が予断を許さない状況で、とても桜を愛でる気分ではなかった。 そしてその気分はそのまま今年に尾を引いたままだ。
 ちょうど一年前のある新聞の地方版に、記者の「福島の原発事故をうけてもまだ上関原発は必要か?」という質問に対して、長島地区の原発建設賛成派の漁師が「人並みの暮らしをするには原発のカネが必要なのだ」と答えている記事を読んで感じた強い悲しみは、私のなかで今も収まっていない。

 先日の強い暴風で定期船が欠航して、講談師の旭堂南湖さんや鎌仲監督の「ミツバチの羽音〜」を観て祝島に来たという長野県の家族、同じく仙台市の女性、茨城県の放射能ホットスポットから自主避難している母子など、全国各地のいろんな方が帰り損ねていた。
 せっかくなのでと、南湖さんが「上関原発に反対し続けた祝島の三十年」という創作講談を特別に披露してくれた。
 本来講談では政治色の強いテーマは聴衆の賛否が分かれるので取り上げないということだが、昨年南湖さんには子供が授かったことで、その子を守るためにも、原発問題を避けずに敢えて取り上げることを決めたのだという。
 また「講談師見てきたような嘘をつき」なのだが、ぜひ一度現地を訪れたうえで「見てきた以上の嘘(脚色)をつき」にしたかったとも言った。

 講談を披露してくれたことへのねぎらいをこめてみんなで練塀蔵に集まって交流した。(画像参照/丸刈りの男性が南湖さん)
 集まった人たちにこいわい食堂の太佳ちゃんが島のオバアチャンから教わった伝統食の蓬飯(よもぎめし)を出してくれた。(画像参照) 自生の蓬とブーが育てた有無農薬無肥料のジャガイモが材料だ。 香りが強く甘味料を入れずとも素材の持つ甘みで十分だ。 

 太佳ちゃんの友人たちが来島したときの屋外での昼食も、おにぎり、びわ茶に山野草の天ぷらで、揚げる食材は、よもぎ、菜の花、ほとけのざ、おなごな、のびる、などなどそこらじゅうにある山菜には事欠かない。 容器も竹を割ったものを使う。 燃料はもちろん枯れ木で十分だ。
 このように祝島では、農業以前に狩猟採集でもかなり食材が入手できて、しかも高品質だ。 これが祝島の自然力であり、それは原発のような存在を拒否し続けてきたからこその品質にほかならない。

 福島を中心とする原発事故の被災地では、山野、海、そこに住むあらゆる動植物が放射能汚染から程度の差こそあれ逃れられない。 その状況が今後も長期間続いてゆくだろう。 それが何時までなのかは誰にも分からない。
 このように原発という存在は、人間の知性や技術では対応不可能な放射能事故や核廃棄物処理などの問題を本質的に持っていることをみんなが痛感したはずだ。
 東北地方では、これから雪溶け水のほとりで様々な山野草が再生しても誰も山菜獲りに訪れもせず、桜が咲いても誰も愛でる人が訪れない場所が生じるのは、田舎に住む一人としてほんとうに切ないことだ。

 そんな田舎を今後何処にもいっさい生まないために、祝島に住む私は、氏本農園やこいわい食堂を通して、民ちゃんや太佳ちゃんと協力しながら、放牧豚、有機野菜、ひじきや山野草など祝島の資源を利用し、これからも「食」をとおして、原発を必要としない暮らしを提案し続けたいと改めて思う。
 それが私にできる福島原発事故被災者への最大の応援だと信じている。  

『荒神さま奉納演奏』

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 祝島は今年、神舞の年にあたる。 神舞が祀るのは「荒神さま」で、荒魂(あらみたま)を祀る荒神信仰は瀬戸内海中心に分布しているという。
 温和に人々を祝福する和魂(にぎみたま)ではなく、常に畏敬の念をもって崇めないと危害や不幸を住民にもたらしかねないのが荒魂だと考えると、台風や干ばつなど自然災害に襲われやすい瀬戸内海の小さな離島で荒神信仰が根付くのも納得がいく。
 それはまた神舞の由来ともなった都と九州を結ぶ古来の文化航路に沿った形の信仰分布にも合致しているようだが、以上のことはあくまでも私の素人感想だ。

 荒神さまの祠(ほこら)は集落の裏側、ハート型のくぼみにあたる場所の荒神山と呼ばれる小高い山腹にある。 行者堂のように参拝道が整備されているわけでもなく悪路のため、日頃はめったに詣でるひとはいない。(集落にある宮戸八幡宮の一角に大歳社として分祀されていて、便利なため?多くの人はこちらにお参りするようだ)
 その祠は、古来より不老長寿の実をつけると言われているコッコーの老大樹が大蛇のように蔓を縦横にくねらせて二棟の祠を取り囲んでいて、静寂そのものだ。
 荒神祠の毎年のしめ縄交換などは氏本家の役割りだと聞かされて、あわててしめ縄交換に登って、これまでのお詫びに私の大好きな純米酒「寶剣」をお神酒としてお供えしてきた。

 昨夏、東京青山での「上関原発なくてもいいでしょう!東京大集会」に、ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の鎌仲ひとみ監督などとともに応援出演してくださった著名なドラマーの梶原徹也さん(元ザ・ブルーハーツ)が和太鼓奏者・友岡宣仁さんと兄妹デュオ・マウンテンマウスを伴って、荒神さまへの奉納演奏を申し出てくれた。 梶原さんたちは、祝島の後は安芸宮島の弥山(みせん)でも奉納演奏するそうだ。
 
 神舞奉賛会にも了解を得て、18日(日)に現地、荒神山のふもと三浦の田んぼ跡地で奉納演奏することにした。
 当日は奉納演奏とあわせて、前回の神舞から櫂伝馬(かいでんま)の舳先(へさき)と艫(とも)に乗って舞う予定の、まだ一度も荒神さまにお参りしたことのないエベス家やエモト家の兄弟など地元の子供たちを連れて、お参りすることも計画した。

 実際には当日あいにくの雨天で、奉納演奏会場を公民館に変更した。
子供たちと一緒に荒神さまに参拝することはお預けとなったが、公民館には瀬戸内横断カヤック隊(瀬戸内海のきれいな海を守ることを訴えて、毎年豊島(香川県)〜祝島(山口県)間をカヤックで横断している)のメンバーも大勢参加してくれて〜到着した安堵感で前夜は遅くまで飲んだのだろう、すいぶん酒臭かった〜大迫力ながら荘厳さを感じさせてくれるドラムと和太鼓の演奏やマウ・マウの楽しい歌をみんなで堪能した。
 奉納演奏のあとは、梶原さんの指導で、大人も子供も一緒に竹を輪切りにした即席楽器によるリズム遊びを楽しんだ。古人たちも、おそらくこうした音遊びの完成度を高めて、神様にささげる音楽にしていったのだろう。 梶原さんらしく音楽と信仰の関係を伝えてくれた。
 また参加者には、荒神さまに見守られて育った、荒神山のふもとハヤシさんの田んぼで収穫したお米のおにぎりと枇杷茶と島のおばちゃんのお漬物を食べてもらい、その恵みを体で味わってもらった。(仕事を休んでたくさんのおにぎりをにぎってくれた、こいわい食堂の太佳ちゃん、Iターンのサトウさんお母さんと娘さん、ありがとうございました)

 このような荒神さま信仰が、いのちの海を守る上関原発反対運動としての底流にあると私は考えている。
 それ以前の問題として、都会的生活が中心の現代人は自然への畏敬の念をもって暮らす謙虚な姿勢を希薄化させ、傲慢なほどに利便性や効率重視の暮らしを追求し、そのことがいろいろ大きな社会的問題(東電福島原発事故、口蹄疫などなど)を引き起こしていることを、奉納演奏は改めて思い起こさせてくれた。

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 今朝(7日)の午前2時、深夜の干潮時に、あいにくの雨模様のなか今年のひじき採集が解禁になった。 島内にはいくつかの採集チームがあって、チームごとに予め決めておいた目当ての場所(ほとんどが島の裏側三浦地区の海岸)で、採集をスタートさせた。
 山戸孝くんチームや民ちゃんチームにはIターンの若者たちも手伝い兼見習いで加わっていている。
濡れた濃茶色のひじきが絨毯のように浜の玉石〜祝島は砂浜ではなく直径10〜30cmの玉石の浜だ〜を覆い尽していて、作業用のヘッドランプに照らされると美しく輝いている。

 ひじきはノコ鎌で手刈りして、雑木を燃料に釜炊きし、その後は天日乾燥するだけの完全な「お天道さまの恵み産物」だ。 家族用をまず確保し、次に親戚用、最後に余ったものが販売商品になる。商品は安全安心で味が良いとの評判が定着していて、毎年ほとんど予約受付け時点で売り切れ御免状態となるようだ。
 市場経済的には、需要が多いのだからもっと販売に回せばカネが稼げると考えるだろうが、「こんな美味い海の幸、山の幸がタダでお天道さまから授けられるのに、何でカネを稼がにゃならんかね」と意に介さない島民も少なくない。
 海と山、そこに暮らす多様な動植物を経由して、お天道さまが人間に恵みを与えてくれる。 それを素直に受け取るのが人間として分相応の豊かな暮らしだと島人たちは信じている。 万事がこの調子で、カネを介すのは最後の手段という意識なのだ。

 寒干し大根、枇杷の葉茶、甘藷の煮干し、サヨリやタコの干物しかり、どの季節にも何かしらの保存食づくりにいそしむ。
 旬を生で食べるだけでなく、天日乾燥、塩漬け、発酵などその土地の気候や微生物の力を借りて、年間をとおしてカネをかけずに、地元食材だけで多様な食生活を楽しめるよう、島人は知恵を積んできた。

 ここにきて、山戸孝くんたち若い世代が、上関原発財源に頼らない自立した祝島の暮らしを支える産物としてこれらの保存食を島外向けに販売拡大しようとしている。
 私も彼らの取組みに大賛成だ。 なぜなら、島内の若い世代の生活を経済的に補うだけでなく、このような地産食品は、化石燃料も原発由来の電気も必要とせず、環境負荷も限りなく小さい。
 比較して、都市で普遍化しているファストフード的な食生活は、世界中から食材をかき集めてはじめて成り立つ。 こうした無国籍な食生活は、消費者には低コストのようでも、長距離輸送や加工、必要な包装資材、保存料、添加物など多様で多量のエネルギーが必要となる。 その安価で大量なエネルギーを供給するための象徴的な存在が原発に他ならない。

 祝島の乾燥ひじきなど国産保存食材の消費をひろげること、日本人が日本国内で生産されたものを地産地消する、当たり前ともいえる食生活の復活が、暮らしのエネルギーを節約して原発依存から脱することになるということだ。
 そしてそれは、誰でもいますぐに取り組める、自分と家族と地域にとって健康で安心な、確かな明日の暮らしづくりなのだ。

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 先週のことだが、こいわい食堂に文化人類学者の辻信一さんがフラッと来てくださった。 辻さんは「スローライフ」を日本に紹介した方として知られ、現在は「ナマケモノ倶楽部」代表の活動家でもある。  一昨年、国分寺市のカフェ・スロウでの「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会トークセション以来の再開だ。
 その辻さんは会話のなかで、同じく文化人類学者の中沢新一さんが昨夏の著書「日本の大転換」(集英社新書)で、「贈与(あるいは贈与される)」という感覚を持つことの大切さを訴えていることを高く評価していた。
 中沢新一さんなら昨夏こいわい食堂に来られて、私もその本を「贈与」され内容に感銘をうけました、と打ち明けると「そうか、中沢さんは祝島とつながっているのか」とひどく興味深そうだった。

 その中沢さんが1月30日発売の最新著、思想家で武道家の内田樹さんとの対談集『日本の文脈』(角川書店)を送ってくださった。
本の帯には、「〜野生の思想家がタッグを組み、この国に必要なことを語り合った渾身の対談集」とあったが、お二人とも発言内容は至極まっとうなものばかりだと私には思えた。
 そんなまっとうな発言が現在の日本社会では少数派でしかないことこそが、日本にとってもっとも深刻な問題なのだろうと思う。

 対談はプロローグ「これからは農業の時代だ!」で始まり、とりわけ中沢さんは「日本人が作ったものの最高傑作、日本的なインターフェイス文化のよさと科学的知性の総合体の最たるものは、農業ではないか」、「生物多様性の考えを農業というカルチャーに結びつけたのが里山で、そこではさまざまな動植物、虫、微生物が一緒に暮らしていて、人間もそこで仲間に入れてもらっている」など、里山に象徴される動植物と人間のインターフェイス思考が「日本文明が生き延びた一つの大きな要因」と喝破している。
 もちろん中沢さんの「日本の農業」とは、マスコミや農水省がもてはやす最近のITを駆使したハウス栽培や土を必要としない水耕栽培など効率を求めた工業的農業でないことは言うまでもない。 太陽エネルギーの贈与〜私は「お天道さまの恵み」と理解しているが〜によって成り立っている伝統的なものを指している。

 そして後半では、内田さんが「先端的ガラパゴス国家として生きていくことを、日本の21世紀の国家戦略とすべきではないか」とか「都市が人間を消耗品扱いして酷薄になれるのは、人間の出入りが多いから」、「長い時間の中で、短期の損得を超えて人間関係を熟成させるためには、ある程度社会が閉じられていて、流動性が抑制されていることが必要だ」と、反グローバリゼーション、日本の離島的閉鎖性を肯定するような発言を連発してくる。 それは全国の離島や中山間の田舎を応援し、勇気付けにもなることだろう。

 さらに「隣人が自分に理解できない人間であっても、不快な人物であっても、それに耐えるということが共生で、その苦痛に耐えるためには不快をはるかに超える“大きな物語”が必要だ」と言及する。
 私はここで、祝島にとって“大きな物語”とは間違いなく「神舞:かんまい」だと感じた。 祝島という閉鎖的離島社会がここまで持続してこられたこと、島民間に少々の確執や不平不満はあっても、大きな物語「神舞」の存在がそれを可能にしたのだと思う。

 今年は、祝島にとって4年に一度の神舞年だ。 中沢さんたちの応援をありがたくいただいて、島民の一人として精一杯「神舞」に関わっていきたい。
 この本のまえがきで、中沢さんはこのような日本的生き方を「日本の王道」と言っている。

『節電発電所』

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 新聞報道によれば、中国電力の島根原発は昨日未明から定期検査などですべて停止したという。
再稼動を願う一部の人々以外の多くは、海の生物たちも含めて、ホッとしているのではないだろうか?

 昨秋、自然エネルギー100%プロジェクトの一環で我が家にソーラーパネルを設置して以降、電気使用状況をまとめて島民集会などで報告している。
 中国電力が毎月発行する電気料金精算書には前年同月の使用電力量も記載されているので、前年度との比較ができる。
 それによれば、現時点で、我が家(こいわい食堂を含む)が中国電力から購入する電気量は、前年同期比で49%減とほぼ半減した。
 昼間の電力は全量を太陽光発電でまかない、そのうえ余剰分を中国電力に売電している。 
太陽光の自家発電を自家消費した電気量を含めても、前年同期比の電力使用量は28%減となっている。 この28%減は完全に節電効果だが、不自由は全く感じず、むしろどこかしら心地よい。

 暮らしの意識を変えるだけで、苦労せずとも30%程度の節電が一般家庭ではじゅうぶん可能だと体験的に思う。 
 その余剰電力を産業用に向ければ、原発の再稼動はしなくてもすむのではないだろうか。
我われの節電が廃棄物を発生させることなく新たな余剰電力を生む。 「節電発電所」とは誰が言い出したのか、上手い表現だ。
 
 食品を買う際に品質表示表の原材料欄に関心を持つことが賢い買い物につながるように、電力料金精算書の記載事項に関心を持てば、いろいろなことがわかってきて、自然と節電につながることを実感する。
 我が家の電気予報はずっと晴マークが続く。


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