氏本農園・祝島だより

万葉集に詠われ歴史豊かな自然あふれる、万葉浪漫の瀬戸内海「祝島」での暮らしを氏本農園からお伝えします

祝島だより

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『“ゆたかさ”再考』

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 新年明けましておめでとうございます。
本年も祝島ともども氏本農園やこいわい食堂のお引き立てをどうぞよろしくお願い申し上げます。

 新年最初のブログ記事のタイトルが、生活クラブ生協連合会発行「生活と自治」1月号の特集タイトルのパクリになって編集部には恐縮だ。
特集の最初のページには、写真家長谷川健郎さんが撮影した防犯ブザーを差し出す子供たちの写真が掲載されている。
写真のキャプションには「防犯ブザーを渡される子どもたち。安全と引き換えに奪われているもの・・・」とある。
 私にはその防犯ブザーの2つ並んだキーが目のように、丸いブザーの部分が「助けて!」と叫んでいる子供たちの口に見えてしまう。

 この特集では、日本人初の宇宙飛行を行い現在は福島県内で有機農業経営をしている元ジャーナリストの秋山豊寛さんと、青森県でNPO「活き粋あさむし」やコミュニティレストラン「浅めし食堂」の活動に携わっている三上公子さんお二人へのインタビューに加えて、不肖私の寄稿記事も掲載してもらっている。

 秋山さんはインタビューのなかで、食べることや眠ることなどが粗末に扱われ、肉体労働が軽視される現在の社会風潮に強い警鐘を鳴らしている。 そして食の生産現場は規模の大小ではなく、消費者との信頼関係の構築こそが重要で、その取組みに生協の存在意義があると訴えていて説得力がある。
 三上さんも、ひとりの人間のなかで心と身体をつなぐものが食、そしてその食をとおして自分と地域がつながることの大切さを訴えている。

 私の寄稿記事には編集部が「小さな離島で“有るものさがし”」とタイトルをつけてくれた。
そのなかで私なりに、上関原発問題を引き合いに出して、「地域の自立」をめざすことが本当の“ゆたかさ”につながるのではないかと書かせてもらっている。

 秋山さんや三上さんと事前に打ち合わせしたわけではないけれど、それぞれに、つながり(関係性)の多様性(豊かさ)が本当の暮らしの“ゆたかさ”につながっているということを強調していると、私なりに受け取った。

 4年間足らずの祝島生活ではあるが、この間島の人々や海や山から、精神的自立とは強くなることではなく謙虚で節度を失わないことであり、経済的自立とは大きくなることではなく足るを知り身の程をわきまえることなのだという、大切なことを教わってきたように思う。

 この「生活と自治」1月号の表紙絵は、知人で山口市在住の農民画家、北原慎ちゃんが祝島を描いてくれたものだ。
 我が家の近くの練塀通りで島の子供たち全員(6人)が登場している。

『以有景為貴』

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 札幌市で「農村空間研究所」を主宰されている北大名誉教授の梅田安治先生から自作の2011年カレンダーが送られてきた。例年のことだが、このカレンダーが届くことで改めて年の暮れを感じる。
 梅田先生は泥炭地など寒冷地の土壌とその農地利用の研究がご専門で、北国の農村の在りようや景観に関しても造詣が深い。
フィールドワークの機会が多く、そのときにご自身で撮影された画像がこのカレンダーに使われている。

 米国の「シーニック・バイウェイ(Scenic Byway)〜景色のよい脇道」や日本各地の「何とか街道」は観光客やドライブ客の外部目線に立っているようだが、梅田先生はそこに住む生活者の目線で景観をとらえていると思う。
 北海道在住時から折に触れて牧場や周辺環境の在りかたへのアドバイスをいただいていて、その際によく引用された含蓄ある漢詩が今年のカレンダーの表紙を飾っている。

山高故不貴 以有樹為貴
人肥故不貴 以有智為貴
地廣故不貴 以有景為貴

山は高いかどうかではなく樹木が繁っていることが大切だ
人は体格が大きいかどうかではなく智恵を身につけていることが大切だ
土地は広いかどうかではなく良い景観を備えていることが大切だ

 梅田先生は、その土地の景観(の良し悪し)はそこの住民の感性によるものだ、とおっしゃる。
住民自身が、そこに住み続けたいと愛着心を持てることがその基本だと思う。
 上関原発建設と引き換えの中国電力寄付金で町営温泉を作って、それで住民の地域への愛着心がどれほど高まるのだろうか?

『いろいろな出会い』

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 前回の記事でも触れた、例年北海道で行われる小さなフォーラムに今年も参加してきた。
今年の会場は函館で、以前私が北海道に30年以上も住んでいながら残念なことに一度も訪れる機会が持てないでいた街だった。
 函館はここ数年BRIブランド総合研究所による全国で最も魅力的な市町村ランキングで札幌と1位と2位を競り合っていて、何がその魅力なのかをついでに探りたいということも大きな参加動機だった。

 今年のフォーラムのテーマは「北海道と東アジアの交流」だった。
各種ビジネス、政治、研究などさまざまな分野に身を置く出席者が、それぞれの視点で「交流」という言葉に抱く意見を交換できておもしろかった。
 交流をビジネスの切り口でとらえた「観光」がやはり議論の中心になったのは、ブランド総研の市町村ランキングを意識して函館をフォーラム会場に設定した世話人のシナリオどおりだったのだろう。

 その観点では、函館はコンパクトな街のサイズのなかで、過去の人々の暮らし(歴史)や今の人々の暮らしに容易に接することができるのが重要な魅力要素でブランド力につながっていると思った。
 南方諸国と長崎との関係同様に北方諸国との重要接点であった函館独特の歴史が、各種洋風建築や倉庫群、五稜郭などの歴史遺産や、現在の朝市の活気、浜なまりの北海道弁を散策しながら体験できる。(画像は旧英国領事館)

 観光に関しての議論を乱暴にまとめてみると、人々の観光動機は「ときめき」を体験すること。
そう考えれば観光に必要な資源はなにもディズニーランドのような大型観光施設でなくてもよい。その街が持つ歴史、ありのままの光景、なによりも方言丸出しの人々の日常の暮らしそのものが、他の地域や外国からやってきた観光客には、非日常のときめき体験の資源・要素に十分なり得るということだ。
 
 中国内陸部に住む人にとって何もない水平線は大きな感動資源であり、小さな離島に住む私には果てしない黄土高原が驚異の光景だ。
小さく不便な田舎の地域でも(だからこそ)大都会で便利な暮しをしている人々にとっての非日常なときめき資源がそこらにいっぱいころがっている。 信号のない道路、自販機や看板のない家並み、意味の判らない方言などなど。

 肝心なのは、その田舎に暮す住民がそのことに気づくことだ。
それに気づくためにも外からの視点に触れたり(外から来てもらう)体験したり(自分が外に出てみる)することが必要だと思う。
 他人や他の地域にないものを持っていることに気づいたとき、それはその人や地域のりっぱな個性となって、誇りやアイデンティティの基礎となるはずだ。
 それこそが交流することの本質なのだろう。
 
 祝島に戻ってしばらくして、夜の練塀蔵に珍客が同時に訪れてくれた。
20年以上パリに在住後に帰国して東京を拠点に美術関係の企画プロデュースをしている飯山さんは、祝島を題材にして何枚もの瀬戸内海の秀作を描いた松田正平画伯の足跡を辿る来島だった。
 もう一組は、鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」の音楽をプロデュースした米国ロス在住のヒップホップアーティストSingoさん、彼のパートナーでシアトル在住ピアニストのEmiさんだ。 神戸や京都などの公演の合間をぬって来島してくれた。
 元実習生で新島民となった太佳ちゃんを含めた5人の練塀蔵での夜の交流会は、外国から祝島への貴重な意見提供というだけでなく、Emiさんのピアノ演奏やSingoさんのラップパフォーマンスで、最高に贅沢なものとなった。(画像左から飯山さん、Singoさん、Emiさん、太佳ちゃん)

 辺鄙で小さな離島だからこそこんな交流が生まれると考えるべきなのか。 
ニュージーランドで片田舎の農家のオバチャンが「田舎にはたくさんのオポチュニティ(機会、出会い)があって、それこそがクオリティ・オブ・ライフ(暮らしの豊かさ)なのよ」と教えてくれたことを改めて思い出した。

『多数決』

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 この夏の暑さと渇水は異常に長かった。 暑さは9月中旬になって和らいだが、雨不足は7月中旬からいまだに続いている。
 ブログの更新がおろそかになっていたのは、暑さのせいもあるが、先月中旬に肉牛プロジェクトのお手伝いで訪中する直前に、訪中のため介護施設に預けた母がそこで転倒して大腿骨を骨折して、手術やら訪中スケジュールの組み換えやら、そして訪中が9月にくい込んでしまったりしたことなどが理由だ。

 久しぶりに自分のブログを開けてみると、あるブログ来訪者から「民主主義の本質は多数決だ」というコメントが書き込みされていた。
これを読んで、数年前に北海道で開催された小さなフォーラムにゲストスピーカーとして参加されていた政治学者の松下圭一さんと、フォーラム後の懇親会で交わした会話を改めて思いだした。

 改めて、というのは先に菅直人さんが総理大臣就任の会見で「松下圭一先生の政治理念を実践するのが私の政策的スタンス」という意味のコメントをし、そのキャッチフレイズとして鳩山前総理の「最大幸福社会」に対して「最小不幸社会」を提唱したという記事を目にした際にも松下さんと交わした会話を思い出していたからだ。

 その時の松下さんとは、政策推進の手法として情報公開の意義に関する話題だったと記憶しているが、松下さんは「民主主義の本質は、できるだけ多くの住民が参加し議論を尽すこと、住民の参加を促しその議論に必要な情報を住民全員に平等に提供するのが情報公開だ。多数決は民主主義の本質ではなく、議論の前提を提示する手段に過ぎない。本質と手段をはきちがえないこと。」とおっしゃったのを記憶している。

 多数決の結果を問答無用にそのまま政策とするなら「最大幸福社会」ではあるだろうが、多数決では屈した少数派の意見も取り入れ合意点を見出さないかぎり菅総理が提示した「最小不幸社会」にはならないと考えると、松下さんが語ってくれた民主主義理念との整合性で菅総理の発言は私なりに得心できた。

 先日も新聞のインタビュー記事のなかで、政府税制調査会長などを歴任された経済学者の加藤寛さんが「少数意見の尊重こそが民主主義の基本であり、多数派の政策をそのまま押し付けるなら議会は不要ではないか。多数決で白黒を明確にしただけで政策を進めようとするとかえって遅滞するだろう。」とコメントしてしていた。

 前述の北海道でのフォーラムのもう一人のゲストは前北海道知事の堀達也さんだった。堀さんは知事時代に、巨額で長期にわたる大規模林道建設計画について自然保護か開発かで意見対立する民意の調整に「時のアセスメント」という当時としては斬新な発想を全国で最初に取り入れ事態打開を促した方として知られる。
 
 農道を通るとこの時期にしてはいつもの年にくらべ妙に落ち葉が多い。 島の人たちは口々に渇水の影響だといい、さらにこの無降雨も温暖化のせいではないかと懸念を口にする。
 原発建設を進めたい側からは温暖化対策を口実に「だから原発建設が必要だ」という声が聞こえてきそうだが、相変わらず推進派町長曰く「原発が欲しいのではなく、地域活性化の財源として原発財源が必要なのだ」という論法でしかない。
 地域活性化につながるのであれば原発でなくてもよいなら、30年も遅滞して着手できないでいる上関原発計画を「時のアセスメント」の俎上に載せて、多数決の民意をふり回さずに徹底した議論をしてはどうか。
 上関町は遅ればせながら先の議会で、全国でも数町村しか残っていない情報公開条例未制定自治体から抜け出したわけだし、もうすでに30年もかかってしまっているのだから、今更もう少し時間をかけてもかまわないではないか。

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 今年の島の盆踊りは例年になく盛り上がった感じがしたのは私だけではないようだ。 在住者も帰省者も同様のことを言う人が多かった。
帰省者や来島者(島外者)の参加が増え、時に踊りの輪が幾重にもなった。上関原発建設予定地の海面埋立て阻止に協力してくれているカヤック隊メンバーによるカキ氷屋も繁盛して会場に華を添えてくれた。

 ちょうど氏本農園で実習するウーファー(WWOOFer)も来島していて、島のオバンたちに踊りを教えてもらいながらぶっつけで一緒に盆踊りを楽しんだ。
 ウーフ(WWOOF)とは有機農業の体験研修を支援する国際的な組織で、体験する側をウーファー(WWOOFer)、受入れる農場側をウーフホスト(WWOOF Host)といって、私も日本支部であるウーフ・ジャパンにホスト登録している。

 今夏は海外から2名の女子大学生を受け入れている。 2人は英国エジンバラ大学に留学して獣医学を専攻しているシンガポール人と台湾人で、ウーファーの先輩で祝島に移住してきた元実習生の太佳ちゃんの家に寝泊りさせてもらっている。
 太佳ちゃんは海外各地での生活経験があって英語や中国語に堪能なので心強い。(画像は太佳ちゃんとウーファーの二人)
 50頭足らずの放牧養豚でもこのように海外からの実習生と巡り会えるのはインターネット社会の功罪でいえば功の部分なのだろう。 

 それと同時に、上関原発建設反対に象徴される、豊かな自然との共生をめざす島ぐるみのライフスタイルへの関心が高まってきていることをさまざまな場面で感じる。
 現在公開中の、祝島を描いた2本のドキュメンタリー映画、鎌仲ひとみ監督の「ミツバチの羽音と地球の回転」、纐纈(ハナブサ)あや監督の「祝(ホウリ)の島」のおかげが大きいと思う。
 牧用犬のマキを見つけて「あの映画に出てたワンちゃんや」という会話をよく耳にする。 放牧豚を見学にきた島外者からは「映画に出てたブーちゃんはどのブーちゃんですか?」などの質問も多い。(答え:もう出荷されてここにはいません。)

 昨年暮れに公表された政府の新成長戦略では3つのキーワード「環境」「健康」「観光」が挙げられているが、この3つを同時に推進できる一番の産業分野は農林水産の一次産業だと思う。
 そして大きな離島の日本に当てはまる成長戦略は小さな離島の祝島にも完全に当てはまっている、とも思う。

 ある学者が、日本は世界的に今後深刻になってくる諸問題がいち早く発現する「課題先進国」だと言っていた。その大きな離島の課題をさらに先取りしているのが小さな離島ではないだろうか。
 祝島が抱えるさまざまな問題を列挙して、だから祝島はもうダメなのだ、という見方や言い方をする人たちは、自分たちの国・日本にダメ出しをしているに等しいと思う。
 視点を変えてみると新しい離島の姿が見えてきはしないだろうか?


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