2007京都の旅

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物語よ永遠に

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 上記の写真は、能舞台・伏見城の石垣と御香宮を紹介するのには、断片過ぎて物足りません。すみません。m−−m。御香宮神社は、近鉄線「桃山御陵」駅から、徒歩5分くらいのところにあり、京都駅からも大変行きやすい場所にあります。そんな分かりやすい場所にある御香宮神社は、これほどまでに歴史の足跡をたくさん残した場所もあるまいというくらい、時代の変遷の風に吹かれてきました。「御香宮」という名は、その名の通り湧き水が香っていたことから清和天皇が「御香」の命名されたことによります。862年という昔のことです。近世、秀吉が伏見城の鬼門として厄払いのため、御香宮を定め、以来多くの大名がかかわることになります。御香の水は、歴代徳川将軍の産湯となり、また庭、極彩色の拝殿・絵馬殿・弁天の社、伏見奉行など、決して広くないここの境内には様々な要素が絡み合って、色々見ているとなんだか笑いがこぼれてきます。 
  私が注目したのは表門を入ってすぐ左にある「伏見義民の碑」です。題字は三条実美公、碑文は勝海舟がとったとされる碑は勇気ある伏見人を静にたたえている。
  安永8年(1779)伏見奉行となった小堀政方(まさみち)の悪政に堪りかね、町民7名がご法度の幕府への直訴を行い、伏見の町民を救ったものの、自らは悲惨な最期を遂げた。平安な生活に戻った伏見の町民は、この話を後世に伝えようと文殊九助没後100年の慰霊法要に際して、地元有志により顕彰碑が建立された。
 「伏見義民」とは鍛冶屋の文殊九助、麹屋の麹屋伝兵衛、薪炭屋の柴屋伊兵衛、塩屋の伏見屋清左衛門、深草焼の焼塩屋権兵衛、百姓の丸屋九兵衛、材木屋の板屋市右衛門の7人で、他に町民200名余が協力していた。当事の伏見奉行小堀政方(まさみち)は、幕府の重臣・老中田沼意次の権威を背後に重ねて無法な御用金を町民に要求していた。この悪政に耐えかねて、伏見の代表として文明5年(1785)7月、文殊九助、丸屋九兵衛、麹屋伝兵衛の3名は直訴に江戸へ出立。途中、伝兵衛は、過労死。残った九助と九兵衛の二人は、追ってきた伏見奉行の役人から逃れ、深川の陽岳寺(東京都江東区深川)に隠れ、和尚の庇護を受け直訴の機会を窺った。天明5年(1785)9月26日、下城途中の寺社奉行松平伯耆守の駕籠に向かって訴訟状を差し出した。当時、直訴は切り捨て御免であり、決死の覚悟であったことをは間違いない。が、思いは叶い、諸悪の根源小堀政方は罷免、領地没収となった。しかし、伏見では面子をつぶされた奉行役人が関係者を次々呼び出し、厳しい詮議を始めた。直訴に同行しなかった4人は厳罰に処され、獄中死した。文殊九助・丸屋九兵衛は松平伯耆守の温情で一旦伏見に戻っていたが、幕府は権威を保つため江戸送りとなり牢獄に。取り調べは長期に及び九助は獄死。残った九兵衛は、無罪を勝ち取るが力尽き亡くなった。この二人の遺体を引き取ったのは陽岳寺の和尚。先に亡くなっていた伝兵衛の遺体と一緒に丁重に陽岳寺境内に葬った。3人の墓は今も「伏見義民の墓」と刻して陽岳寺本堂の前にある。なお、幕府の最終判断は全員無罪であったが、直訴した7人全員はこの世にいない人となっていた。

  責任追及をお祭りの如くにやる現代とは違い直訴は厳罰だった。死を覚悟しても、圧政の不条理さに反発を貫いた7人は、人間としての誇りを最後まで捨てなかった気高き人であると思う。いつの世も美しい物語を人間はつむぎだせるということを人は忘れないでほしい。

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  巨大かつ高い石段が真っ向に構えている。

  おろかな私は、近鉄の「桃山御陵」から歩き炎夏のアスファルトの上をふらついて
  
  ようやく「明治天皇稜」に来た。

  高熱も手伝って、着いたときにはかなりふらふらしていたが、「ここまで来い!」といわんばかり

  に天まで伸びている石段を嬉々として上がった。

   墓の写真は失礼にあたるのでとらなかったが、柵のむこうに古代の古墳を思わせるなだらかな緑の
  
  小山がある。「大地」の一部になられたようだ。その小山以上に周囲には高いところはない。日本近

  代化の転換期に王座に君臨した明治天皇が死して座するにふさわしい場所かもしれない。

   犬の散歩をしている人やランニングをしている人もいて、いまはさながら公園のようであった。

   最上段の石段から見る風景は天上世界から見下ろす現世のようであった。

灯篭の参拝路

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 私は変わり者なのかもしれないですが、散策の時、ふとしたところに佇む過去の形骸を眺めるのが好き

である。

  千余年の石清水の参拝路には、形も高さも風化のし具合も一つ一つ違う灯篭がまるでその意思で並ん

だかのように山門にむけ控えている。

  その多くは「常夜燈」の刻印が灯篭の腹の部分に刻印されている。果たして、夜には炎が虚空の闇を

滑らかに舐めているときもあろうか?参道を歩く者の影は二重にも三重にも重なって伸びていくのだろ

う。 残暑であれば蝉も陽光を期して、頭上をゆくのだろう。

 享和、寛永、享保、文政、慶安 江戸幕府が開かれ、そした閉じたくらいの年代の灯篭が多い、灯篭た

ちは黙って、幾万の参拝者を見つめてはずだ。その流れた時の膨大さに圧倒され、驚嘆してしまうのだ私

は。さらに眺めてみれば、面白い、庄屋さんなどの商売関係の灯篭の多いこと、中には「家内安全」を願

っているのもあり、そして正月の「寄進・奉納」が多いのだ。いつの時代もみんな幸せになりたかったん

だと思うと懸命に生きている人間の姿は今も変わらないんだと感じ胸に沁みた。時代ごとに形や高さが同

じなのも面白かった。

緑の蒸し風呂

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 京都に行ってきました。出発前まで高熱で(39度近く)、いくかいくかまいか悩み、熱が下がっていたら行こうと決心していました。 当日、熱が少し下がっていたようなので、私にとっては何をおいても夢の京都行きへとまっしぐらでした。しかし、今回は体調が優れないのも事実、また京都はまだまだ残暑厳しく、体にこたえるはずなので、今回は神社めぐりにしようと新幹線の中で決めました。神社なら、人ごみにさらわれることもないし、自分のペースで心静かにお参りすることも出来るからです。
 しかし、旅は人の性格を明らかにしますね。実は一日目は、石清水八幡宮神社に行って、あとはホテルで寝てようとおもいましたが、結局そのあと伏見にもいって、御香宮神社、3駅分は歩いて、明治天皇稜・昭憲皇后稜を見て回って、気づいたらふらふらでした。++;
 今回の石清水八幡宮は男山の頂にあり、人の手が入りにくさもあって、境内の原型は昔のままなんだなあと感じることが出来ました。ただやはり京都の寺社が大体がそうであったように、工事中でしたが。
特に本殿が工事中で、正面が濃い朱色で塗り直され、木彫りの龍も生まれ変わったように青々としていました。周りをぐるりと回ると、末社が本殿に隠れて、点在していました。 気比社、龍田社、住吉社、若宮社・・・その一つに「仮本殿」と「本殿」を任されている小さな社がありました。貴船社だったかな。
工事中の表側より、手のつけられていない後ろ側に江戸期、家光が出資して本殿を増築したという名残が残っていました。地面からは何段も高い石組みのうえに本殿は建てられ、雨どいといえる長い朱色の渡しが何本も突き出ていました。当然の如く、色はあせていましたけど。校倉作りの蔵的存在のもがまさに隅におかれたようにありましたが、宝物蔵?だったのでしょうか?本殿の境内は思ったより狭かったのですが、山の上に立てるということは大変だったのでしょう。何千年もあまり変わらずにここにあったのが分かりました。
  
   御祭神:誉田別尊(応神天皇) 仲津姫命(その妻)息長帯比賣命(応神天皇の母)

   日本三大八幡の一つ

   創建: 860年 
  

醍醐の桜、染め始め

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  京都は伏見区、バスで行くと便利な醍醐寺―「桜の名所」に違わず、咲き誇るあでやかな桜でした。
上の写真は、下醍醐に当たる拝殿―― ここも入山料を払うので入ると人が少ないのがおかしかった。
山門の周りでたむろしている人が多かったんです。


 写真の門は、「三宝院」の門、修験者が集う場所の門です。醍醐寺は戦乱で荒廃が進みましたが、慶長年間に義演准后が秀吉を通じて、修復と相成りました。「三宝院」も後に当山派本山と認められます。

 醍醐寺の塔は京都市内でも「最古」と呼ばれるものです。醍醐・朱雀・村上の帰依した醍醐寺ですが、醍醐天皇を供養するために朱雀・村上天皇にわたって創建されたそうです。高さも見上げるほどあり、戦乱にも焼け残って立派に天にそびえています。  

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