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昨日もご紹介した「新撰21」の第二弾。今日は、私が出版記念会に出席できるようゲストに入れてくれた五十嵐義知君の句をご紹介します。 義知君は1975年、秋田生まれ。たかやんさんと同じ銀化に所属している山口優夢さん、鷹編集長の高柳克弘さんのようにハッシハッシと?発言するというタイプではないのですが、しっかりした俳句の目を持っていると思います。このアンソロジーには現在、京都や大阪、松山に住んでいるという方々も含まれてはいますが、色んな面で東京との太いパイプを持っている方々揃い。日本の俳句は東京中心なのかな、という感じも残ったので、秋田に生まれ、育ち、そして今も秋田に住んでいる義知君が選ばれたのは、同じ天為の仲間というだけでなく、「東京から遠く離れた場所」に住んでいる身としては微力ながら応援したい一人。 各人210文字を与えられたという「作句信条」の中で、義知君は 物事を良く見聞きすることで、自然や身の回りの出来事などから、新たな感覚や視点を発見し、句に投影することができるように努めたい。伝統的な形式な中にも新鮮さを見出していきたい と書いています。巻末の編者3人(筑紫さん、対馬さん、高山さん)に小澤實さんを加えた対談の中で、義知君の作品に対し、高山れおなさんが 風土性に腰を据えてというのは、今やもう例外なんですよね。田園を、観光ではなくて、自分の生活圏から地続きのところで詠む、そのこと自体が稀有なことになってしまっている と発言されています。東京とニューヨーク、サンフランシスコと都会しか住んだことのない私も確かに「田園を自分の物として読む」ことは不可能。しかし、早大卒業後、12歳から住んだ松山に戻ったという佐藤文香さんがシンポジウムで今実際に自分の身の回りにある「木から道におちた蜜柑」について語ってらしたことを、ふと思い出しました。 100句の中から15句をご紹介。 五十嵐義知 雪解けにゆがむ盥を洗ひけり 滝壺に届かざるまま凍りけり 寒星の地平線より湧き出づる 田に丸き石仏祀る草紅葉 一列に並ぶ風車や林檎園 抽斗の小箱より出づ星月夜 大根の乾ききらざる軒端かな 羽のせて春の氷の沈みけり 鉄塔を残すばかりの刈田かな 野の音のことごとく雪解かしけり かたつむり殻に光の残りけり ゆるやかに牛戻りくる良夜かな 星飛んで大河の蛇行つらぬけり 古屏風の内側の闇濃くなりぬ 「きらめきを掬う平常心」と題された五十嵐義知小論では大高翔さんが 五十嵐氏は、平常心で、「詩」を見つめ、十七音に納めていく。誰もが毎日飲み、浴びる水の色から、詩のきらめきを掬い取ってみせるのだ。それこそ、俳句における、最大の挑戦ではないか。 と書いておられます。れおなさんは「風土性」という言葉を使っておられましたが、「滝壺に届かざるまま凍りけり」「星飛んで大河の蛇行つらぬけり」は秋田のみにある景色ではないし、「抽斗の小箱より出づ星月夜」「古屏風の内側の闇濃くなりぬ」などは心象風景でもある。私自身の「風土」(13年目に入ったサンフランシスコ?)とは何かについても考えていきたいと思います。
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