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FDY家具デザイン研究所ブログ
背景はイギリス ハイウィカムチェアミュージャム 1996年頃

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ゴールドスミス・ウィンザーチェアのなぞについて その2
(アメリカン・ウィンザーチェアがなぜゴールドスミス・チェアに似ているのか?)
 こういう話があるのです。ジャック・ヒル氏の「カントリーチェア・メーキング」(7ページ)のなかで書かれている「17世紀後半、王政復古後のジョイナー(指物師)とターナー(旋盤工)の間で論争があった。材料がオークからアッシュ(とねりこ)やビーチ(ブナ)に変わる時期にそれまでは指物師が組み立てる部品を旋盤工が作っていたが、指物師が自ら旋盤を使うものが現れると、独自に椅子を作る旋盤工が現れ始めた。」というのです。私はその旋盤工が作った椅子こそがゴールドスミス型ではなかったのか?詩人で劇作家であったゴールドスミス(1728−1774)が使用していたことから1750年から60年頃のものとされていますが、実は1708年以前に作られたものではなかったのか?おそらくその時代は王侯貴族が使うガーデンチェアとして作られていたためにダークグリーンに塗られ、テームズバリーに集結した旋盤工たちによって当時にしては数多く量産された初めての椅子ではなかったのか?と推測したのです。(私がV&Aミュージャムで身近にこの目で確かめ、その作り方から、1,2脚ではなく数多く作られていたに違いないのです。)たまたまゴールドスミスがその椅子を気に入って自分の家で愛用品として長く使っていたのではないかと想像されるのです。そうするとジョン・ピットとリチャード・ヘウトのコムバック・ウィンザーチェアは一品制作の椅子として作られていたもので、当時はまだウィンザーチェアとは呼ばれてなかったのではないか?(あるいはこれこそがウィンザーチェアにカブリオール脚を取り付けた一例であったのかもしれません)これは私の推測でしかありませんが、ウィンザーチェアはゴールドスミスチェアのように最初から分業で作られていたものでピットのように個人でつくるものではなかったのです。しかし後にそのシンプルで安っぽい形態をなんとかしようということでゴールドスミス型にカブリオール脚が取り付
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イメージ 1けられたり、笠木を装飾的にしたりすることでコムバック型のアーム・ボウ型チェアが現れたのではないか?そうするとゴールドスミスとアームボウ型コムバックが合体したものがキャプテン・クックの椅子ということになるのです。そのシートの形が後のウィンザーチェアの原型になっていったと考えられるのです。アメリカに渡ったウィンザーチェアが1725年にアメリカで生産が始められると、アメリカになじむためにいろんな装飾が付け加えられていくことでアメリカン型が生まれたのではないかという推論が成り立つのです。要するにアメリカに渡ったウィンザーチェアはゴールドスミスウィンザーチェアではなかったのか?つまりジョン・ジョンズの所有していたウィンザーチェアとはゴールドスミスウィンザーチェアそのものではなかったのかということになるのです。結論として、ゴールドスミス・チェアはウィンザーチェアの名前の由来になった、つまりウィンザーの方から来る安物の椅子と言われたそのものではないかということなのです。ウィンザーチェアの原型となったと思われる昔の古いウィンザーチェア型の椅子がありますが、それらは逆に個人によってウィンザーチェアに似せて作られたものであったという推論が成り立のです。
 
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ゴールドスミス・ウィンザチャー   アメリカン・ウィンザーチェア

アメリカンウィンザーチェアがゴールドスミスウィンザーチェアに似ているのはなぜか?私にとってそれは長い間疑問でした。以前には逆にアメリカから入ってきたのではないかと推論したこともありました。しかしその似ていることから、ゴールドスミスウィンザーチェアが17世紀後期から1708年ごろに作られたという証拠にもなるのです。つまり当時の形を残す最も古く、ただ1脚残った貴重なウィンザーチェアではないかということになるのです。 
                     赤は2017.05.09追記 
 ※この結論はあくまで私の個人的推論の域を脱していないかもしれません。



この記事に


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ゴールドスミス ウィンザーチェア
製作年:1998〜2003年
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ゴールドスミス ウィンザーチェアの人間工学の人体プロトタイプへの応用

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2005年 九州産業大学芸術学部デザイン学科山永研究室作成
小原二郎監修:渡辺秀俊・岩澤昭彦著の「インテリアの人間工学」より

人間工学のいすのプロトタイプⅢ型をゴールドスミス ウィンザーチェアの
側面図に合成してみたところ、みごとに一致しました。18世紀初期に
すでに現代の人間工学にマッチする椅子が作られていたことに驚愕さ
せられたことが私がウィンザーチェアの複製を作り始めた動機で
もありました。
2017.03.23 加筆

9回のゴールドスミス・ウィンザーチェアの項の続き
ゴールドスミス・ウィンザーチェアのなぞについて その1
 
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ゴールドスミス・ウィンザーチェアより以前に現存するウィンザーチェアはジョン・ピットとリチャード・ヘウトのコムバック・ウィンザーチェア(下図)ということになります。
それ以前のウィンザーチェアがどういうものであったのかはなぞであり想像するしかありません。1740年ころと思われるオックスフォード・ボドレーン図書館のファンバック・サイドチェアやコムバックアームチェア(1776)から創造するしかないのです。もちろん1708年にジョン・ジョンズ商人が所有していたウィンザーチェアがどういうものであったのかもなぞのままなのです。ウィンザーの方向からくる安物の椅子がどんな椅子であったのイメージ 1か?これもなぞのままです。その安物とはゴールドスミス・チェアではなかったのか?これが私の見解であります。その理由の一つがウィンザーチェアが作り始められたころのものはアームチェアであったということです。そこでまず、オックスフォードのボドレイン図書館のファンバック・サイドチェアは該当しないことになります。も一つはゴールドスミス・チェアを人に見せた時にシンプルで恰好が良く現代的という感想が聞かれることです。そのとおり現代の家具は当時の装飾過多な重厚で、豪華な椅子と比べて軽くて安っぽく見えるのは皆さん共通ではないでしょうか?今日、ラスバックやスモ−カーズ・ボウなどと比べて、現代の若い人たちが好むシンプルな椅子を我々高齢者が見ると軽く安っぽく感じる感覚と同じようにウィンザー地方から来るゴールドスミス型の椅子を見て、17世紀の人々は驚きをもって迎えたことでしょう。当時、重厚で豪華な家具になれ親しんでいた人々にとって、ゴールドスミスチェアが新鮮ながら、なんだか安っぽく見えたということに納得いただけるのではないでしょうか!繰り返しますが、ウィンザー方面から来る安っぽい家具とはゴールドスミスチェアのことではなかったのか?そうだとするとゴールドスミスの生産された年代は1750年もしくは1760年頃とされていますが1700年前後に遡ることになるのです。ゴールドスミスチェアこそがウィンザーチェア名称誕生
そのものの椅子ということになるのです。

※これはあくまでも私の個人的見解をはみでるものではありません。
 
・・・・・次回につづく
 
 

この記事に

 スモウカーズ・ボウの変種 
 
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ランカシャ ヨークシャ ボウ・バック アームチェア
Lancashire or Yorkshire bow-back armchair  c. 1850 onwards
Crispi Thomas: The English WINDSOR CHAIR (ALAN SUTTON, 1991)
 
スモカーズボウの成功は北ミドランド地方に発展していたボウバック・ウィンザーチェアに工業生産をもたらし、初期のアームボウ・サポートに続けていた旋盤加工をその構造に取り入れたもので、それはヨークシャー、ランカシャー・ウィンザーチェアと呼ばれました。この椅子のベースは丈夫な下部構造とスピンドルの付いたスモーカーズそのもので、トップ・ボウにはアームを突き抜けた構造の雷文のスプラットとスティックが取り付けられていました。スモーカーズ・ボウのアームのセンターのバック・スピンドルは取り外されて短いスプラットに置き換えられていました。
 
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 バーガー アームチェア
Berger armchair  c. 1860 onwards
Crispi Thomas: The English WINDSOR CHAIR (ALAN SUTTON, 1991)
1860年頃にはスモーカーズボウの変種のようなものも作られました。
 
1860年頃にはスモーカーズボウの変種のようなものも作られました。平衡なアームボウがスピンドルに支えられてた極端に曲がったアームに入れ替わってバーガー・アームチェアと呼ばれました。19世紀を通して旋盤加工の種々の脚や貫やスピンドルが重く頑丈になっていきましたが、粗雑とも言われたそうです。この特徴は19世紀の終りから20世紀にかけて著しくなっていきました。また後にはヨークシャー、ランカシャー・ウィンザーの脚にロッキングのボウが取り付けられてロッキングチェアとして知られるようになりました。その小さいサイズは子供用椅子としても作られました。
 
スモウカーズ・ボウについて
19世紀初期ごろまでは優美なデザインだった旋盤削りの脚もどんどんと太く頑丈にになっていき、半ばごろには丈夫な手摺り子型のスモーカーズ・ボウが現れました。スモカーズボウは家庭内やオフィス、研究所、図書館やパブなどで使われ、大量に生産され著しく普及しました。旋盤で丸く削られた7本あるいは9本の糸巻き状のスピンドルはシートに平行な馬蹄型のアームボウを支えていました。アームボウには後ろのセンターに、笠木あるいは襟カラーと呼ばれるものが付けられていました。
 
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スモーカーズ・ボウ
Smoker's Bow
スティワート・リンフォード社製
Stewart Linford Windsor Chairmaker
九州産業大学チェアコレクション
 
※ 旋盤加工とろくろ加工の違いについて
普通、一般的にはウィンザーチェアの脚には「ろくろ」加工がされていると書かれていますが、専門的に言いますと旋盤加工になります。
ろくろは前刳り加工をさします。
 陶磁器などと同じでお椀とかこけしなど、前からの加工をいいます。
 ウィンザーチャの脚などの横からの加工は旋盤加工ということになります。
 しかし、一般的に木を回転させて加工するものをろくろと言ってますので間違いではありません。
 ここではお椀などの加工と区別して旋盤加工としています。
 

この記事に

リージェンシ時代(1812−30)の到来とともにウィンザーチェアのスタイルは脚やシートはそのままにしてバックは決定的に変化し始めました。しかしこれはまだハンドメードによるものでした。
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メンドルシャム アームチェア
Mendlesham armchair c. 1820
Crispi Thomas: The English WINDSOR CHAIR (ALAN SUTTON, 1991)
18世紀後半から19世紀中葉まで英国の東部アングリア地方サフォークのメンドルシャムで
デイ・ファミリー(キャビネットメーカーでチェアメーカーでもあった)によって
洗練されたデザインの椅子が作られていました。
 
19世紀に入る頃より産業革命がウィンザーチェアの生産にも影響を及ぼし始めました。椅子生産がハンドメードから工業生産方式に進行するにつれてハイ・ウィカムとノース・ミドランド地方のワークソップに集中するとともに、カタログによる注文生産に移行していきました。スクロール・バックがキッチンチェアとして人気を博すと英国中に普及するようになりました。同じ時期にタブレットトップ・ウィンザーがオックスフォードのステファン・ハゼルによって開発されると、先のメンドレシャムと共に、この3種のウィンザーが工業生産のデザインに大きな役割をはたしたのでした。
 
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スクロ-ルバック・ウィンザーチェア
FDY家具デザイン研究所 ウィンザーチェアコレクションより
 
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スクロール・バック アームチェア
scroll-back armchair by Stephan Hazell of Oxford  c. 1850
Crispi Thomas: The English WINDSOR CHAIR (ALAN SUTTON, 1991)
19世紀の終わり頃には軍隊版が生産され、片方一つのアームの付いたスクロールチェアは
軍人が座る時に征服に着用された刀が邪魔にならないためのものでした。
 
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タブレットバック アームチェア
Tablet-back armchair by Stephen Hazell  c. 1850
Crispi Thomas: The English WINDSOR CHAIR (ALAN SUTTON, 1991)
オックスフォードのボドレン図書館のためにデザインされた
ステファン・ハゼルの名で知られた唯一のウィンザーチェア
 
 

この記事に

私が大学の国外研修の機会を得てイギリスを訪問したのは1991年のことでした。歴史ある英国家具史に足を踏み入れることへの不安と緊張感をいだいて訪れたヴィクトリア&アルバート・ミュージャム(V&A)で手にしたクリストファ・ギルバートの「イングリッシュ・バナキュラー・ファニチャー」はウィンザーチェアのような大衆の家具に焦点をあてた初めての出版物で、その後あいついで出版されたウィンザーチェアの資料文献にめぐり会うことで「ウィンザーチェアの形態分析研究」に取り組むことができたのでした。もしそれらの文献にめぐり会えてなかったならば、途方に暮れていたにちがいありません。それは奇跡的としか言いようのない出会いでした。以来、今日までに文献研究と実測調査を重ねながら16種16脚のウィンザーチェアを制作してきました。その全容はFDY家具デザイン研究所ホームページに掲載しています。
 
 
※ 16脚中の1脚ウィンザースツールについては、「ウィンザースツールの作り方」をこのブログ4.5.6.ページに連載しています。
 
ウィンザーチェアの全容を明らかにするために何十種類もあるウィンザーチェアから典型的なものを選び、制作して行くうちに16種16脚のウィンザーチェアが結果として出そろいました。その過程で、ウィンザーチェアの中に含まれているものの、例外的な存在でありながら、ウィンザーチェアチェアの発展に大きな役割を果たしたと思われるものが数点でてきました。それらを制作する労力はいまのところみつかりません。そこで、別に鉛筆画資料として以後にまとめることにしました。
 
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セティー
Comb back Windsor settee   c. 1780
Crispi Thomas: The English WINDSOR CHAIR (ALAN SUTTON, 1991)
18世紀中葉には2または3,4個連ねたシートのセティーと呼ばれる
コムバック・ウィンザー現れましたがその数は稀でした。
 
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ゴシック ウィンザー・セティー
Triple Gothic arch Windsor settee  c. 1730-60
London Thames Valley chair making tradition
Cotton, Dr Bernard: The English Regional Chair (Antique Collectors Club, 1990)
ゴシックスタイルウィンザーは18世紀上半期から後半期にかけて建築や家具装飾などの
ゴシックリヴァイヴァルの影響のもとで作られましたが当時テームズ川流域の地に
建てられた館、ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)のストロベリーヒル
ゴシックリヴァイヴァルの先駆けとなりました。
 
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ストロベリー・ヒル ゴシック・ウィンザーチェア
Strawberry Hill Gothic Windsor armchair  c. 2770/80
Crispi Thomas: The English WINDSOR CHAIR (ALAN SUTTON, 1991)
ゴシック・ウィンザーはユー(一位の木)とエルム(楡)のシートで作られ
以後ウィンザーチェアの中でも珍重されるようになりました。
アーチ型トップボウは曲げた2本の部材をトップで接合していました。
 
 
 

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