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神は人を創りたまいしとき、人に、それぞれのみ役を課された。
ある者には教育の道、ある者には芸術の道、ある者には宗教の道、そしてある者には学問の道。
このように、人は人としての行、み役を課され、それを行じて、この世の行として行じることを望まれた。
なれど、それのみが行の全てではなく、もう一つ、霊行なるものを行じなければならぬように仕組まれた。
人により、生まれし時代、所により、その霊行の形、目的は異なりてみえようとも、相通ずる一点は、人が己れの我を取り、執着を取りて、己れの欲得によらず、己れの利害から離れて、神に仕え、神に祈り、神に近づかんと欲する気持ちを高めることであった。
なれば、人は、目の前の欲得に動かされるのではなく、広く高い境地から、己れの今ある意味を悟り、己れの生を受けし意味を見つけ、真摯(しんし)に神に感謝を捧(ささ)げ、実直に生を生きることが求められよう。
人のために何かをさしあげる奉仕の精神、神に捧(ささ)げる誠の感謝、宇宙万物に帰依(きえ)せんとする崇高な願い、そうした思いを常に抱(いだ)き、育(はぐく)むこと。そして、ありとあるこの世の全て、目には見えねど確かに在ると、無意識にでも感得(かんとく)できる宇宙意志、神、霊、神幽現(しんゆうげん)の世界、そうした諸々の事象を、目には見えずとも信じ、畏(おそ)れかしこみ、己れの微小は生の営みを、神から与えられしものとして、尊く生きんと、心を高めゆくこと。
そうした心の営みを、日頃から心がけ、たゆまず努力すること。人が霊行を行うための、必要にして最低限の心がけなり。
さすれば、霊行は、望まずとも自然に進み、自然に成就(しょうじゅ)し、神の御心に、自ずと添いゆくこととならん。
なれど、人の心で、損得ばかりを計算し、目先の利益に振り回され、人の目、思惑(おもわく)、噂、評判ばかりを顧慮(こりょ)するならば、行は滞(とどこお)り、いつまで経(た)ち手も、一向に進まず、ついには何も行うことなきまま、生の終わりを迎えゆくなり。
よいか、人の心は飽きやすく、うつろいやすく、変わりやすい。
今日の強き決意も、明日の僅(わず)かの障害で、たちどころに雲散霧消(うんさんむしょう)し、別の思いに囚われゆくなり。
日々、こうしてそなたに伝えることも、そなたの心の中で、恐らくは、初めのときの感動を伴いで書かれはせぬであろう。
それが、人の心なり。弱く、はかない人の常なり。
よきこと聞き、よきこと知りても、時と共に、薄れ、弱まり、ついには何も聞かぬと同じになりゆく。それが、多くの人の在りようなり。
よいか、一二三よ、我々はそなたに、目覚めのときを待ってきた。
真(まこと)の魂が、目覚め、悟り、高まることを望んで参った。
そして今日(こんにち)、そなたが我々の言葉を聞き、書きて残さんとの思いを高め、それを日々怠(おこた)りなく励行(れいこう)するを、心より嬉しく感じている。
なれど、そなたに伝えしように、それのみで終わりては、何の意味もなきこと。今一度、反省せられよ。
人に機会あらば伝え聞かせ、教え説きて、その人の霊魂が、目覚め、活動するの助けをすること。
或いは、その人の魂が、浄められ、高められて、神とのご因縁を深めることを手助けすること。
或いは、書を配り、配られし家々で光を放ち、その家の家族、先祖、家の守護神、守護霊たちも共に神の光をいただけるよう、手伝うこと。以上の三つを滞(とどこお)りなく行い、行を積みゆけ。
今の世の中に、幾人(いくたり)の魂が、神とのご因縁を切らずに保ちているのか、思い描いてみられよ。
神は、ご自分から、その縁をお切りになることはない。
人が、自ら、たとえ知らずにとはいえ、神との縁を切り、去ってゆくなり。
そうした、さまよいし魂を救い、神とのご縁を取り戻し、この世の立て替え立て直しに臨んで、一人でも多くの魂が、神のお役に立たんと望むよう、一つ一つの魂を高めゆくこと。
そのための神の手伝いが、人としての行ではなく、神の子としての大切な、最も重要なる行なるぞ。
よいな。一二三よ、心に刻め。
日々、心新たに、霊行を積め。目の前の些事(さじ)に追われて、大切なる行を、怠(なま)けるなかれ。
一つ一つが、霊行なり。神の御心に添う、神の御心に適う、霊行なり。
なれば、たとえ、心行体行は遅れようと、先ずは霊行から始められよ。
一日の、始めと終わりに、神に向かい、感謝を捧げ、祈り、挨拶を欠かすことなきよう。
これにて、本日の伝えは終わる。
神に感謝を。誠の心からの感謝を。
ひふみともこ著 「神から人へ・上」より抜粋
ひふみともこHP
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