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神が創られし人間、万物、自然、地球、生命の全ては、この世の始まりしときに、この世で初めて創られしものとして、この世に清く美しい世界を実現させるために、多くのみ恵みと数々の 目には見えねど、今よりはるかに高い能力を授けされおりし。
そして、その一つ一つを、それら全てを使い、力、能力を合わせ、共に励むことで、神はこの世に幸福と繁栄をもたらさんとされし。
なrど、先にも何度も告げしように、人間一人一人が、己れの我(が)の虜(とりこ)となりて、己れの我欲、損得、執着に使われ始めたがために、神のご意図は無視され、神のご意図とはおよそかけ離れし世と化さしめた。
神が再度この世を立て替え、神の国とし、ご自身もこの世に降りられるような、清い世界に甦らせるためには、人一人一人を変えていくことが必要とお考えになられた。
そして、神の国から、人として使命を持たされし幾つもの魂を、この世におつかわしになられた。
そうした一人一人の魂は、これまでになく、急速に一つの集まりとして集まり始め、呼び集められている。
神の命ぜられしみ役なるものを、それら魂の一つ一つが、思い出し、その実現を進め、充分に個々の能力を活かし、機会を利用して、この世でのみ役を果たすために、それら魂は、神の声を聞かされ、或いは神の書を書かされ、また、神に御心を映す諸々(もろもろ)の諸芸術、諸宗教、諸集会などを通じて、互いの存在を確認しつつ、互いが協力し合うようにと仕組まれた。
今、この時、この世だからこそ、人の最期の時だからこそ、人は心を入れ替えねばならぬ時だからこそ、神は一つ一つの魂に、直接に、声を、光を、力を与えられた。
一二三よ、そなたも信ぜしように、我等霊界におる者も、共にそのみ役を果たさねばならず、そなたに呼びかけ、語り続けてきた。
今日そなたようやくにして、己れの眠りから覚め、神の子としての目覚めを得、神のみ役を思い出し、神のお役に立たんと心を高めしこと、切に嬉しく、また、ありがたく思うなり。
一二三よ、溢(あふ)れ出(い)づるように、心に浮かぶことば、想念は、皆、我等からの通信なるぞ。
恐れず、疑わず、ひたすら神に感謝を捧げつつ、我等の送信を受け、文字に変えゆけ。書き残しゆけ。
先ずはそれがそなたの霊行の第一歩なり。
なれば、一つ一つを、元の赤子(あかご)のように、一つ一つを覚え、そなたの力を磨き、高めよ。
先ずは、ゆっくりとで構わぬ。遅くてもよからん。焦らず、急がず、神の御心に適う魂を育(はぐ)み、神に感謝し、人に感謝し、ものに、事物に、現象に、全てのものに感謝を捧げ、心を開く鍛錬(たんれん)を積まれよ。それからまた一つ階段を進みゆかば、自(おの)ずとみ役も変わり、次なるみ役を賜らん。
それまでは、今の我等が導くなり。
一二三よ、そなたの決意を我等共に喜びし。感謝し、神に祈りし。
神のご守護を、さらなるみ光を、さらなるお導きを、我等共々与えられんことを、神に祈りし。
己れの我欲ならぬ、利他愛の心で、これからの困難を乗り越え、霊行を行じん。
障害、妨(さまた)げ、心の迷い、これからも幾度となく、そなたも経験されようが、我等と共に常にあることを、素直に、深く、胸の奥に刻みおけ。
そして、心の中で呼びかけられよ。迷いしときには尋ねられよ。苦しきときには、求められよ。
そなたの魂を、我等の魂と、両の波長が合いなば、通信は容易に行われよう。
それ故、一二三よ、魂を磨き、高めおけよ。下卑(げび)た、卑しき汚(きたな)き想念は持たれるなよ。
高き、清き、直(なお)き、清々(すがすが)しき想念に満ちるよう、常に心高く、晴れやかな心で過ごされよ。
よいな、そなたと共に歩まんかな。共に行じんかな。共に神のみ役を果たし、神のお役に立たんかな。
今日、そなたの問いは何なるか。問いてみられよ。
(己れ、我欲、自己について)
己れ、我欲、自己、全て神の心を失いしときにはびこり、力を強める悪(あ)しき想念なり。
ひとたびこの想念に使われなば、それから逃れるに難(かた)く、それを取り去るはさらに難(むずか)し。
なれば、人は、神を想い、己れの魂を磨き高め、己れの存在と神のご存在との共にあることを喜び、常に感謝を捧(ささ)げおくことが肝要なり。
神が創られしときの人間は、一人一人が個でなく、我でなく、我でなかりし。
人は、神の子、神の写し絵、神の心を持たされ、神の心を映す、何にも染まらぬ透明な魂を持ちて創られし。
なれば、一人一人がそのまま、神と交信し、神の声を聞き、神と交流し楽しむことすら可能なりし。
人が己れを持ち始めしは、全て、物質が心を越え、物質が、魂、心以上に価値を持つと人が信じ始め、心、魂を隅に押し込め、我欲に魂を曇らせ、我欲に取り付かれしときからなり。
なれば、人は己を戒め、己の奥底に眠らされし魂を復活させ、その居場所を整えゆくことが大事なり。
(宗教とは)
宗教なるは、神が、ご自分のご存在を現界の人間に知らしめるために、作らせしものなり。
神はそれをもちて、先ずはご自分のお力をお示しになり、信仰を持たせ、人間の理解を超えし力の存在、人間の知恵を越えて及ばぬ英知の存在をお示しになられる。
それをもちて、人が神を見付けることを、己れの中に眠らされし魂、魂の億に隠されし神のご存在に気付かせることを図られた。
なれど、現行の宗教、教団の多くは、初めの元の神のご意志を映すものは少なし。
時を経(へ)るに従い、人の思惑が先に立ち、神のご意志をそのまま映すものは残り少なし。
信仰と宗教は別なり。
信仰持ちても、宗教持たぬ者有り。宗教持ちても信仰持たぬ者有り。いずれも神は認められよう。
なぜなら、己れの意志、意図に関わらず、神のお役に立つ行いなさば、自(おの)ずと魂も変わりゆくなり。なれど、信仰持ちても何もなさずば、神はその魂を昇華(しょうげ)させることはおできにならぬ。
同じく、宗教持ちても、自ら何もことをなさずば、やはり、神は、真(しん)にその魂をお救いになることはできぬなり。
心、魂、肉体、一つなり。一つのものなり。
それ故、宗教も信仰も、己れの全てをもって行うべきものなり。心のみの信仰、宗教に、何の価値もなし。肉体のみの真似事(まねごと)の行い、これも価値なし。
なれど、神の御心に適う行いなさば、心・魂は、気付かぬうちにも変わりゆく。
なれど、行い何も致さずば、いくら心高く、口に清きことば述べても、神の御心に適うことはなし。
なれば、宗教に入(い)りし者は、救われ易く、宗教に入(はい)らぬ者は救われるに難(かた)きも、それがためなり。
よいな。しかと覚えおけ。
行い、行動、働き、行、これら全て、肉体を伴う。
肉体なからば、行はなし。肉体なからば、現界の行なし。現界の行、即ち全て肉体もちて行うことなり。
よいな。想念のみにては、魂は向上せぬ。心は浄まらぬ。肉体は浄まらぬ。
行いもちて人は、昇華しゆく。これを可能にす。
しかと命じておかれよ。そなたの胸、肚(はら)、魂に。
ひふみともこ著 「神から人へ・上」より抜粋
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