自由ネコ通信

冤罪乱発の警察から強制捜査権を剥奪し、職業裁判官から市民の手に刑事裁判権を取り戻そう。予審制度と陪審制度の復活を求めます

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 前回、“もの”の交換の際に使用価値や交換価値、価値の間でどのような関係が存在するか考えてきました。貨幣と商品の登場で交換関係が偶然的なものから日常的に行われるようになると、それらの関係はどのような変形を受けるか検討することが、次の課題となります。

貨幣=交換過程にとどまった“もの”

 交換関係が日常的に行われると、様々な“もの”がその交換価値によって別の様々な“もの”の使用価値を実現する代わりに、ある特定の“もの”が日常的に交換過程の中にとどまり、その交換価値によって別の様々な“もの”の使用価値を実現する傾向が強まります。貨幣の登場です。
 ではどのような“もの”が貨幣となることができるのでしょうか。
2-1)セーター(交換価値:塩むすびと交換できる/1着必要)→塩ムスビ(使用価値:飢えを満たせる/6個必要)
2-2)セーター(交換価値:テントと交換できる/2着必要)→テント(使用価値:雨露をしのげる/1張り必要)
 これはすでにみたセーターの諸交換価値を示す関係式です。この関係式ではすでにセーターを特定する直接の使用価値(使用価値:暖かく過ごせる/1着必要)は隠されてしまっています。したがって、セーターは諸交換価値を持つ別の“もの”Kと置き換え可能です。Kの交換価値の関係式は次のようになります。
6-1)K(交換価値:塩むすびと交換できる/k1個必要)→塩ムスビ(使用価値:飢えを満たせる/6個必要)
6-2)K(交換価値:テントと交換できる/2倍のk1個必要)→テント(使用価値:雨露をしのげる/1張り必要)
 Kが交換過程にとどまる限り直接の使用価値が実現することはありませんから、残るのは間接的な使用価値である交換価値のみです。したがってKの直接の使用価値を示す関係式もつぎのようになります。
6-3)K(使用価値:諸交換価値を持つ/それぞれの交換価値に対応した個数必要)
 ところで6-1〜3)の3つの関係式はKがなんであっても成り立ちますから、あらゆる“もの”は、何らそれ自体が変化することなく貨幣となることができます。歴史的にみても家畜や石、金属など様々なものが貨幣として使用されました。

商品=「唯一の交換価値」を持つ“もの”

 交換関係を逆方向から見ると次のようになります。
3-3-1)塩ムスビ(使用価値:飢えを満たせる/6個必要)←X1(交換価値:塩むすびと交換できる/y1個必要)
3-3-2)塩ムスビ(使用価値:飢えを満たせる/6個必要)←X2(交換価値:塩むすびと交換できる/y2個必要)
3-3-3)塩ムスビ(使用価値:飢えを満たせる/6個必要)←X3(交換価値:塩むすびと交換できる/y3個必要)
 このX1、X2、X3がすべてKに置き換わることによって残るのは次の関係式のみです。
6-4-1)塩ムスビ(使用価値:飢えを満たせる/6個必要)←K(交換価値:塩むすびと交換できる/k1個必要)
 この関係は、K以外のすべての“もの”について成り立ちます。
6-4-2)テント(使用価値:雨露をしのげる/1張り必要)←K(交換価値:テントと交換できる/2倍のk1個必要)
 そして、Kが他のあらゆる“もの”の使用価値を素材的担い手とする一般的な交換価値となるとともに、他の“もの”の交換価値を排除する傾向も生まれます。つまり、セーターがKでないとするなら、セーターの交換価値例えば(交換価値:塩むすびと交換できる/1着必要)は排除されます。しかし、すべての交換価値が排除される訳ではありません。その使用価値がKの交換価値の素材的担い手とならない唯一の“もの”が存在するからです。Kは次の様な自分自身と交換関係に入ることはありません。
K(使用価値:諸交換価値を持つ/k個必要)←×−K(交換価値:Kと交換できる/k個必要)
 つまりセーターに残った唯一の交換価値の素材的担い手はKの使用価値のみであり、次ぎの関係式のみなのです。
6-5)セーター(交換価値:Kと交換できる/k0個必要)→K(使用価値:諸交換価値を持つ/それぞれの交換価値に対応した個数必要)
 セーターの“商品・セーター”への転換です。商品とはただ貨幣の使用価値のみをみずからの交換価値の素材的担い手とする“もの”です。
 交換の日常化によってある“もの”が貨幣となります。しかし、それ以外のあらゆるものが商品となるのは、ただそのある“もの”が貨幣となった結果なのです。

交換の2つの類型:売る、買うへの整理

 貨幣の登場とともに、貨幣以外の“もの”と“もの”との直接の交換関係、物々交換は消えていきます。その結果、交換関係は次の2種類に整理されます。
7-0) セーター(交換価値:Kと交換できる/k0個必要)→K
7-1)X1(交換価値:Kと交換できる/k1個必要)→K
7-2)X2(交換価値:Kと交換できる/k2個必要)→K
……これが「売る」ということです。
8-1)K→塩ムスビ(使用価値:飢えを満たせる/6個必要)
8-2)K→テント(使用価値:雨露をしのげる/1張り必要)
……これが「買う」ということです。

商品・セーターで飢えを満たす

 この結果、セーターの飢えを満たすという拡張された使用価値は、もはや単純な交換価値の実現では達成できなくなり、貨幣を中間項とする二つの交換の組み合わせによって実現されるようになります。
9-1)セーター(交換価値:Kと交換できる/1枚必要)→K(使用価値:塩むすびと交換できる交換価値を持つ/k1個必要)→塩ムスビ(使用価値:飢えを満たせる/6個必要)
 なお、「諸交換価値を持つ」というKの使用価値の特徴から、7-0)の関係式ではセーターの交換価値を実現する枚数は何枚でも可能でした。しかし9-1)の関係式では、飢えを満たすという使用価値を実現するために必要なセーターの枚数は最終的に塩ムスビの使用価値によって規定・制限されるのです。
 この点は、商品・貨幣の資本への転換を考える際に重要となる視点です。セーターは1枚から売ることができますが、セーターあるいはそれと交換された貨幣が資本となるためには、労働力など資本活動に必要な“もの”の使用価値に規定された一定以上の大きさが必要という根拠は、この関係式から導きだされるからです。

売ることは買うことという錯覚

 ところで、次のように「売る」関係式の左辺に登場するのはあらゆる商品であり、右辺は貨幣です。そして、「買う」関係式では左辺に貨幣が、右辺に全商品が登場します。
売る)全商品→K
買う)K→全商品
 このような一見鏡像的関係から、「売る」ことは「買う」こと、言い替えれば交換とはAとBとが互いに交換され合う対称的関係であるという錯覚が生まれてしまいます。資本論の理解を妨げる最大の錯覚です。
 A→Bという交換は同時にB→Aという交換であるという貨幣の登場とともに強化された錯覚は、A=Bという錯覚に行き着きます。ところで、AとBの使用価値が異なることは誰の目にも明らかであり、他方AとBがともに価値という要素を持つことから、交換とは等しい大きさの価値同士の交換・等価交換という誤謬が生まれてしまいます。そしてそれは、貨幣の素材となった“もの”の使用価値がもはや問題にされないという貨幣特有の性格と結びついて、貨幣を価値そのものが実体化した存在とみなす誤謬へと発展していきます。これこそが、「貨幣の物神化」とマルクスが批判した考え方の根拠です。
 改めて強調しますが、すでに見てきたように、そしてマルクスが執拗に示唆しているように、交換とはAのある要素(交換価値)がBの別の要素(使用価値)と関係する非対称の関係です。A=Bではなく、AはBであるという関係なのです。この点は絶対に曖昧にしてはなりません。

価値の大きさの規定

 では、商品と貨幣との交換関係において、価値の大きさはどのように規定されるでしょうか。
 商品社会の中に新たに登場した1枚のセーターは、7-0)の関係式の中で貨幣と交換されることによってはじめて、自分自身が社会的に必要とされた使用価値を持つことを証明します。それは、セーターの生産に費やされた労働が社会的に必要とされた労働、つまり抽象的人間労働とカウントされること、価値を生み出したということの立証なのです。
 ところで、すでに素材の直接の使用価値が問題とされない貨幣の場合、例えば貨幣としての金の一定量がどれだけの大きさの価値を持つか、その生産に使用された労働のどれだけが社会的に必要とされるか、計測する直接の方法はありません。つまり、貨幣の価値の大きさを直接測る手段はありません。ですから貨幣によってセーターの価値の大きさは規定されないのです。
 ただ、すでに述べたように交換価値とは拡張された使用価値ですから、貨幣の交換価値の素材的担い手である8-1)の関係式の塩ムスビの価値、つまりその生産に使用された抽象的人間労働の大きさは計測可能です。そこから貨幣の価値はその交換価値の素材的担い手である塩ムスビの使用価値を担う塩むすび自身の(ここでは6個の)価値で間接的に規定されるのです。その結果、セータ−1枚の価値の大きさも、同様に塩ムスビ6個を生産するために費やされた労働時間によって規定されます。要するに、7-0)と8-1)の合成である9-1)が、セーターの価値を規定する関係式でもあるのです。

等価交換で比較されるもの

 ところで、セーター1枚が貨幣経由で塩ムスビ6個と交換されるということは、セータ1枚の価値と塩ムスビ6個の価値が等しい、つまりその生産に費やされた労働時間が等しいということを意味するでしょうか。そんなことはありません。実際、商品は、価値ではなくそれを基準に変動する価格に従って交換されます。等価交換とは、現実の交換ではなく、交換の基準となる原則なのです。だから交換の対称的関係つまりA=Bを等価交換の根拠とすることもできません。
 すでに述べたように、セーターの価値を決める関係式は次の様なものでした。
9-1)セーター→K→塩ムスビ
 ところで、貨幣Kの使用価値の特徴からこの関係式の最右辺には全商品が存在します。
9-2)セーター→K→テント
9-3)セーター→K→商品X
…
 その中には当然、次の関係式も含まれます。
9-0)セーター→K→セーター
 ここで、両端の同じセーターが等しい大きさの価値を持つだろうことが想定されます。そしてすでに見たように「K→」の交換関係において、右辺の塩ムスビ、テント、商品X、セーターの価値の大きさは等しいことがわかっています。つまり、9-1)の左辺のセーターの価値の大きさは、9-0〜3…)の関係式の相互関係によって間接的に決定されるのです。
 結論です。
 第一に、等価交換で比較される価値の素材は商品と貨幣ではなく、貨幣を媒介とする二つの交換の最左辺である商品と最右辺である商品である。
 第二に、等価交換の原則は、個別の交換で成立する原則ではなく、商品交換が日常化した商品社会の諸交換をとおして実現する間接的関係である。だから複数の交換関係の統計的平均として等価交換が実現する。これが等価交換の原則なのです。
 ここに等価交換が、個別交換の原則ではなく交換の基準となる原則であることの理由があります。そしてその点についての曖昧な理解や誤解が、貨幣物神化のもう一つの根拠となっているのです。

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生きるために必要なおにぎりが基準になるのではなく、物があふれて、貨幣しか分かるものが無いように思いますね。途方もなく吊り上げられる土地や絵画を妄想と思わないのでしょうね。

2009/11/14(土) 午前 9:05 [ nanachan.umekichi ]

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