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報道によれば5月30日、最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長))は、卒業式の国歌斉唱で起立を命じた校長の職務命令に合憲の判決を出した。判決理由は、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」でしかなく、職務命令は「個人の歴史観や世界観を否定しない。特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」と述べている。
この論理によれば「儀礼的な所作」が強制される範囲は卒業式に限られない。次ぎにくるのは、スポーツの開始時や映画館などあらゆる場所で、「君が代」が流れる際に起立することが「儀礼的な所作」として市民に強制されることだろう。起立しない者が試合場や映画館などから強制的に排除される時代までもう一歩だ。宮城遥拝が「儀礼的な所作」として強制されるまで,あと何年だろうか。
自らの思想に反する特定の行為の強制が「特定の思想の強制や禁止、告白の強要」とならないというのなら、戦前の治安維持法も天皇への拝跪という行為を求めただけで、「思想の強制や禁止」をしたわけではないことになる。“人はいかなる時でも場所でも内心の自由は保障されている。ただ、その思想を表現したり、その思想に反する表現を拒否することは許さない”、これが現在の最高裁の思想の自由に対する見解だ。戦後憲法は多くの人権条項を規定したが、最高裁は一貫して人権条項の空洞化と破壊に奔走してきた。まさに民主主義解体・人権破壊の府としての最高裁の本質が再びあらわになった。
竹内行夫という裁判官は、「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」という補足意見をつけたという。竹内判事にとって、何かに敬意を表すということは処罰の脅しによって無理矢理頭を下げさせられることらしい。こうした軽薄で、強者や権力者の前には思想を曲げ、膝を屈することを当然と考えている人物が、最高裁の判事をつとめているのが日本の法曹界だ。
右翼的思想を持つ市民の中には、この判決を歓迎している人が多いようだ。しかし、これは彼らの思想的勝利だろうか。
「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱時の起立を強制しなければならないということは、日本の市民の中に「日の丸」「君が代」に対する自発的敬意が存在していないことを示している。そして敬意は暴力的強制によっては決して生まれない。強制する者は、常に強制した相手の反抗に怯え続けなけばならない。戦前の天皇制が常に市民の反乱を恐れ、弾圧を強めていかざるをえなかったのもそのためだ。共産党に怯え,植民地の人びとに怯え,宗教団体に怯え,ついには市民の噂に怯える。これが戦前の天皇制の現実だった。
そして、戦前の天皇制はついに市民の自発的敬意を得ることはできなかった。敗戦時に,天皇制の擁護のために山にこもって占領軍と戦った日本の市民が一人でもいるだろうか。占領下フランスのパルチザンなどと日本の敗戦は実に対照的な歴史を示している。
いっさいの政治権力を剥奪され、いわば「押し込め」られた現在の天皇制のほうがはるかに市民の自発的敬意をえているように思う。
民主主義と思想の自由、表現や行動の自由などを守るのは,武装した市民自身の闘い以外にありえない。自らの自由と権利を他人にゆだねる者は,相手がどれほど広い自由を認めてくれようと奴隷でしかない。まして,最高裁が市民の自由と権利を踏みにじるなら,私たちに求められるのは、武装した市民の実力による最高裁の解体だ。
私の世代は70年代、「刀狩り」以来の400年の武装解除の歴史と戦後のこれまでにない徹底した武器剥奪に抗して、武装し戦う市民の創出を目指して闘った。残念ながらその闘いを最後まで貫き通すことはまだできていない。しかし,その必要性はますます高まっている。
爆弾も火炎瓶も必要としない。ただ「君が代」が流れる時に立ち上がらない。たったそれだけで,自らの自由と権利を実力で守る闘いとなる。実にいい時代になったのではないだろうか。専制は革命のゆりかごなのだから。
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君が代、日の丸がかつて果たした役割がどんなものであったのかをもみ消す動きと、国民を思いやる優しい天皇が被災者をねぎらう様子を映像で流す対比は、いつでも国体化の可能性を狙う者たちの『うさんくささ』を感じさせます。
憲法における戦争放棄は、先の戦争の反省を全国民が合意し、憲法を制約する力であることを明らかにしていると思います。
憲法の戦争放棄を守るために、私たちは専制につながる思想に敏感にならなければならないと思います。
2011/5/31(火) 午後 1:05 [ nanachan.umekichi ]
nanachan.umekichiさん、おっしゃるとおりです。ただ,付け加えるなら,私たちは憲法を守るだけでなく,憲法を政府に強制できる力を培っていかなければならないと私は考えています。憲法9条は、自衛隊というアジア最強の軍隊の解体によって、現実化していかなければならないのではないでしょうか。
2011/6/1(水) 午前 0:20
愛国心を叫ぶ人びとの心情の特徴は,日本という国がその国民に愛されていないし,将来にわたって愛される可能性はないという絶望とニヒリズムではないでしょうか。ちょうど妻に愛されていないと感じる夫が,常に妻の不貞を疑い、暴力によって妻を自分のもとに縛りつけておこうとするように。
愛されるためには、愛を強制するのではなく,まず自分自身が愛されるにふさわしい存在になることです。これは人も国も代わりありません。誰もがこの国に生まれてよかったと考えるような国に日本がなれば,国旗や国歌が何であろうと人びとは自発的に敬意を表すし,その国を守るために戦います。
愛国心を叫ぶ人びとは逆に、日本を人びとに疎まれ,憎まれる暴君のような国にするためにがんばっています。それは彼・彼女達自身が日本をそう見ているからでしょう。
2011/6/1(水) 午前 0:38