足利事件以降も、氷見事件、東住吉事件、東電OL事件など再審無罪となる事件が続いています。これらの事件では、DNA鑑定などの技術的進歩が再審実現に貢献したと言われています。
しかし、無罪推定の原則に立てば、技術が未熟で犯人と断定できないなら有罪とはできないはずです。技術の未熟さが犯人ねつ造の有力な手段となる。多くの冤罪事件が示すこの事実は、デッチあげと犯人ねつ造が日本の刑事司法制度に深く根ざしていることを示しています。冤罪を減らし、なくすためには、捜査段階も含めた刑事手続きの根本に踏み込んだ変革が必要です。
犯人ねつ造を本質とする刑事裁判システム
犯人ねつ造を本質とする戦後日本の刑事手続きの根本的特徴の第1は、被告人が実際にその犯罪行為を行ったかどうかが、有罪認定の判断要素とはなっていないという現実です。
「本当に犯罪を実行したのか」を問題にする市民とは異なり、職業裁判官など多くの法律家にとって「被告人は犯罪行為を行ったから有罪」なのではなく「有罪判決により被告人は犯罪行為を行ったとみなされる」のです。これを法律用語で「歴史的証明」と言います。
敗戦直後、一人の男が隣客の財布を盗んだとして逮捕されました。男は「知り合いになるきっかけのために財布を隠しただけ」と主張しました。最高裁は、具体的な事実をあげてその言い訳の不合理さを明らかにするのではなく、「かゝる主張のようなことも…起り得ないことではない」と認めつつ、実際には隠しただけだとしても、「普通の人は誰でもそれは泥棒したのだと考える」「これが、吾々の常識」だから有罪と切って捨てました。(1948.8.5第1小法廷判決)
被告人が実際に盗んだかどうかはどうでもいい。疑わしい行動があればそれだけで、社会常識の名の下に犯人にしたてあげる。これが多くのえん罪を生み出し続けている「歴史的証明」という犯人ねつ造の論理なのです。
無実の証明を求める「合理的疑い」の要求
最高裁はこうも述べます。
「抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても,健全な社会常識に照らして,その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には,有罪認定を可能とする」(2007.10.16第1小法廷決定)
間違いなく犯人という証明がなくても無罪にはなりません。有罪認定のためには「健全な社会常識」という職業裁判官の主観で十分だが、無実を認めてもらうためには被告人が「合理的根拠」により、職業裁判官の「健全な社会常識」を覆すほど完璧に立証しないければならない。これが、最高裁を頂点とする職業裁判官と日本の法学を支配する考えです。
DNA鑑定技術の未熟など証明の困難さが有罪認定を困難にするのではなく、逆に犯人ねつ造の手段となってきた背景には裁判官のこうした考えがあります。
評決からの職業裁判官の排除こそが冤罪を減らす
「歴史的証明」という犯人ねつ造の論理を排除し、国家の不当な刑罰権行使から被告人を守る場に刑事裁判を変えていくためには、有罪・無罪の認定から職業裁判官を排除するしかありません。
裁判員制度はその第1歩です。しかし、私たちはまだ評議・評決から職業裁判官を排除できていません。裁判員制度を完全な陪審制度へ改革していくことが第1の課題です。
安倍政権の登場によって、市民の負担軽減とか反対の声に応えるなどという口実で、再びかつての職業裁判官による人権無視の反動的裁判に戻される危険が強まっています。そうした逆流に抗して裁判員制度を陪審制度へと近づけていく闘いの強化こそが今必要です。(つづく)
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裁判制度を変えて行くためには一人でも多くの人に考えてもらうことが必要であると思います。
転載させていただきます。ありがとうございます。
2012/12/28(金) 午後 0:27 [ nanachan.umekichi ]