報道によれば、今月(2016年1月)15日のBS番組の収録で、民主党の岡田代表が、「安倍晋三首相が改憲の重要テーマと位置づける緊急事態条項が新設されれば、国会で法律をつくらなくても首相が権力行使できるようになる」とナチスが独裁政権を確立した手法になぞらえて批判した、とのことです。(1月16日付「東京新聞」)
以前から、安倍政権の改憲の目的が「緊急事態条項」の新設による独裁政権の樹立にあると警鐘を鳴らし、ナチス型改憲クーデターの阻止を訴えてきた〝自由ネコ〟としては、こうした認識の広がりは心強く感じます。
改憲クーデター阻止で団結しなければならない
しかし、岡田代表の批判も、いまだ与党対野党の対決という枠内での批判にとどまっていて、改憲がナチス型の〝改憲クーデター〟であるという認識や危機感が薄いようにも感じます。
そうした認識不足を示す典型的な対応として、共産党との選挙協力を否定した15日の神津連合会長の発言があるでしょう。かつて「反共」の立場に立ち、総評に敵対した「同盟」を母体とする連合らしいと言えばそれだけですが、こうした対応には、安倍政権によって民主主義と立憲主義が解体されようとしているという危機感はまったくうかがえません。
ナチス「突撃隊」以上の勢力の準軍事組織「国旗団」を持っていたドイツ社会民主党は、1933年の「全権委任法(授権法)」によって独裁政権を握ろうとしていたヒトラー政権に対し、それをクーデターと認識できず「国旗団」の対ナチス決起を抑え込んでしまいました。ねつ造された国会放火事件を口実に弾圧にさらされていた、「赤色戦線戦士同盟」を擁するドイツ共産党と手を結んでクーデター阻止に立ち上がることもできないまま、ナチス独裁政権の樹立を許してしまいました。
今、日本の歴史は1933年のドイツと同様の過程をたどっているようにみえます。野党が自分たちの政党的利益を第1の目的として分裂し、対立している間に、改憲クーデター勢力が着々と支配を広げ、改憲=独裁政権樹立へと突き進んでいます。最悪の場合、今夏の参院選は、改憲クーデタを阻止する最後の機会となるかもしれません。私たちは、ドイツ社民党、ドイツ共産党の失敗の歴史から真剣に学ぶ必要があります。
隠れ「クーデター勢力」の危険性
1933年のドイツには、ナチス独裁樹立に協力した「ドイツ国家人民党」のような存在がありました。2016年の日本では「おおさか維新の会」などがそうした役割を果たそうとしています。
与党対野党の構図にとらわれている限り、こうした「野党」の仮面をかぶったクーデタ勢力の妨害と分断攻撃に対抗することはできません。
対決軸を与党対野党、自民党政権か民主党政権かに置くのではなく、民主主義か独裁かに置いて、自民党の中のリベラル派の獲得も視野に入れた〝民主主義と立憲主義を守る〟大きな運動を作り出すことです。
民主主義とは多数決ではない
ナチス独裁に対抗する動きをとめた考え方に、〝選挙で多数を獲得したナチスに「国旗団」のような力で反対するのは民主主義に反する〟というものがありました。しかし、権力を握ったナチスは民主主義も憲法も一顧だにしませんでした。
今の日本でも「多数決に従うのが民主主義」という歪んだ考え方が蔓延しています。しかし、それは民主主義ではありません。
すべての人々に踏みにじられてはならない一線があります。たった一人でもその一線を奪われようとするなら、その一人はあらゆる手段を使ってそれを守る権利があるし、人々はそのために立ち上がるべきです。人権と呼ばれるその一線を守るための政治システムが民主主義です。
多数決というのは、そうした民主主義がしばしば必然化する対立を流血沙汰にまでエスカレートさせないための便宜的手段の一つでしかありません。だから、日本の総人口の1%でしかない沖縄県民が辺野古新基地建設に反対するのは民主主義であり、選挙で多数を獲得した安倍政権が建設を強行するのは反民主主義と言えるのです。
改憲クーデターが、当面は「選挙という民主主義的な手段」で進められているとしても、私たちは、自らの人権と民主主義を守るためにあらゆる手段を駆使する準備を整えていなければなりません。
私はそう考えています。
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フランスやドイツの憲法には緊急事態条項があって、緊急事態には規定された権限を首相や知事が行使できたり、指定された議員や閣僚だけで様々な事が可能ですが、現在、フランスやドイツは独裁国家何ですか?
極論は一部の支持者にしか受け入れられず、多数を遠ざける結果にしかなりません。
多数に耳を傾けてもらえる話を何故出来ないのか、不思議ですね。
震災対策等を例に見れば、緊急事態条項が役に立たないのは民主党の事例で明らかです。想定外にはそもそも、自衛隊、警察、消防に事前の備えが無いのでいくら総理の権限を強化しても無駄なだけです。
東日本大震災での不備を検討、検証し、災害法制を改善すれば緊急事態条項など必要ないのは明白です。
緊急事態条項への反論などはこれほど簡単。何故、それができないのか。
2016/1/18(月) 午前 10:05 [ ぬくぬく ]
ぬくぬくさん、コメントありがとうございます。
「極論は…多数を遠ざける」。そのとおりですね。
「地球は動いている」と主張したガリレオは教会を破門され社会的生命を抹殺されたし、相対性理論を主張したアインシュタインですら「神はサイコロを振らない」と量子論を批判したのは理系人間の間では有名な話です。進化論にしても資本論にしてもフロイトの精神分析学も発表当時は大多数の人々の常識に真っ向から対立する極論でした。しかし、「多数に耳を傾けてもらえる」耳障りのいい話ではなく、そうした極論こそが社会を変えてきたと私は考えています。
60年安保の渦中の岸首相は「声なき声」、ベトナム反戦運動渦中のニクソン大統領は「サイレント・マジョリティー」という言葉で、国民の大多数は政府を支持していると主張しました。最初から多数に受け入れられることを考えていたら安保闘争もベトナム反戦運動も存在しなかったかもしれません。
2016/1/26(火) 午前 1:34
問題は、極論かどうかではなく、その主張が正しいか間違っているかではないでしょうか。
ぬくぬくさんは、
1)フランスやドイツは民主主義国家
2)そのフランスやドイツには緊急事態条項がある
3)ゆえに、緊急事態条項創設は民主主義と独裁の分岐点にならない
というご意見であるように思います。
では、選挙で多数を獲得し議会で「授権法」により強大な権力を与えられたヒトラー政権下のドイツは民主主義国家と言えるのでしょうか。そうでないとすれば、
1)「授権法」と緊急事態条項とどこが違うのか。
2)自民党改憲案の緊急事態条項は、仏独の緊急事態条項と「授権法」とどちらに近いのか
考えて見てください。
ちなみに、
1) 個別的一時的命令権を与えるのか、恒久的立法権を与えるのか
2)あらかじめ期間を限定するのか、恣意的に延長可能なのか
3)立法、司法などによる有効な規制が存在するのか
などに注目してそれぞれを具体的に検討していただければ、なぜ自民党改憲案の緊急事態条項が「民主主義と独裁」の岐路となるか理解していただけるのではないでしょうか。
2016/1/26(火) 午前 1:38
なお、「緊急事態条項が役に立たない」という主張は、その性格を見誤っているように思います。緊急事態条項は政府にフリーハンドを与えるということですから、個別・具体的政策に対する批判である有効性の有無では反論にはなりません。AがダメならB……Zでやれば良いというだけで、それを政府に可能にするためのフリーハンド付与ですから、かえって緊急事態条項の必要性を主張することになっているように思います。
2016/1/26(火) 午前 1:40