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「抵抗権」「革命権」の復権が現実の課題となる時代の到来
改憲クーデターに反対する
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自由ネコさん、お待たせしました。長らくお待たせした程の内容はありませんが、雑感を、二三。
この間、図書館で『ヒトラー』、『我が闘争』、『ヒトラーの生涯』とそれぞれ2時間以上の記録映画のDVDを見ました。その中には、以前見たものもあったのですが、ヒトラーが独裁を樹立する上での突撃隊と親衛隊の役割を確認したかったのです。仰るように確かに国防軍は大きな動きを見せてはいませんが、ヒトラーの私的軍隊ともいうべき先の2組織の暴力によって、ドイツ共産党はもとより社会民主党左派など、国会内の反対派は投獄されるか、殺されるかしました。国会議事堂放火を共産党の仕業とするヒトラーの陰謀が輪をかけて、国会内には、反対派がいなくなる中で、憲法停止の全権委任法が成立したのです。
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現在進行中のミャンマーの国政選挙をめぐって、副外相が「選挙結果を尊重する」と述べたと報じられています。逆に言えば、常に「選挙で反対派が多数を占めれば阻止できる」とは限らない、ということでしょう。
すでに、政府は〝自らに解釈権がある〟と主張し、大多数の法律家が違憲と主張する法案を強引に制定しています。同じような手法で徴兵制も導入されるのではないかと述べる人もいます。今後も、現在と同程度の選挙の公平さが維持されるという保証がどこにあるのでしょう。公選法の変更は遙かに簡単です。また、解釈改憲によって選挙無効を主張しないとも限りません。
「まだまだ民主主義の枠内で戦えるのに、それを活用しないのは一種の敗北主義」というのはおっしゃるとおりです。しかし、「民主主義の枠」を絶対的な前提として戦いを限定するのもやはり敗北主義だと思います。
少数派であるクーデタ勢力が多数派を抑えて勝利する背景には、歴史上しばしばクーデタ勢力がそれを一種の戦争と考えて行動するのに対し、多数派が単なる政策の違いと考えて武装解除し適切な反撃を行わない、行えないという状況が存在していました。
「抵抗権」「革命権」の復権が現実の課題となる時代の到来
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むらづみさん、こんばんは
仕事が忙しく、返事が遅れてすみません。
私が、現在の日本と類似の状況と想定しているのは、ドイツ・ワイマール共和国末期のナチスによるクーデタです。国会で授権法(全権委任法)を成立させてとナチスの独裁を生み出したときにも、当時の議員やドイツ人の多くは単なる政策の問題と考えていました。ヒトラー政権が暴走したら次の選挙で退陣させればいいと。しかし、現実の推移はご存じの通り、ワイマール民主主義体制の崩壊でした。
ナチス独裁樹立の際にドイツ国防軍は大きな動きをみせていません。軍が直接動く軍事クーデタのみがクーデタではないのです。
もちろん、安倍ら改憲クーデタ勢力が市民の反対で劣勢に追い込まれたときには、自衛隊がクーデタに動く可能性も考えておくべきでしょう。その点で安倍政権内部での退役軍人の台頭や文民統制の解体が進んでいることに、私は注目しています。
「抵抗権」「革命権」の復権が現実の課題となる時代の到来
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自由ネコさん、お返事ありがとうございました。自由ネコさんの仰ってること、つまり自民党改憲案を通すのも国会の手続きを踏みますよね。まさか、自衛隊という暴力装置でのクーデターを仰ってるのではないでしょう。そうだとしたら、選挙で反対派が多数を占めれば阻止できることです。
政治はイデオロギーの対立だけでなく、政策、政党などの具体的手段での対立です。
今、自民党のそういう動きに正面から対立しているのが、日本共産党です。戦争法廃止の一点で連合を組もうというのも、民主主義、立憲主義が危機にあるからです。まだまだ民主主義の枠内で戦えるのに、それを活用しないのは、私には、一種の敗北主義に見えます。
ミャンマーのような事態が、自由ネコさんの想定する事態でしょう。だが、アウンサンスーチーさんを先頭とする民主勢力は、そんな過酷な状況でも粘り強い戦いを進め、支持を集め、軍事的反動勢力を一歩一歩追い詰めていますよ。
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それから、「国会の位置づけ」について述べるためには、それがどのような統治形態の下の国会かを考える必要があります。
戦後民主主義という統治形態の下では、むらづみさんがおっしゃっているような「主権者である国民の代表が選出されて活動している」と位置づけることも可能でしょう。ただ、何をもって国民が主権者であると言えるのか、代表にはどのような権限がどこまで委任されているのか、ある人間が(議員に)選出されたと誰が認定するのかなどなどキチンと考えておかなければならないと思いますが。むらづみさんも法律を学んでいらっしゃる方なので、こうした点をめぐる法的議論の存在はご存じだと思います。
一方、多くの独裁体制下でも「国会」と名付けられた組織は存在してきました。そうした国会は結局、独裁政権の政策・行動を追認するだけの無力で空虚な存在です。
いま、統治形態が変えられようとしているということは、当然「国会の位置づけ」も変えられることになります。







