糾問(予審)判事による捜査
糾問判事制度のもとでの捜査は次のようになります。
犯罪が発生すると、例えば巡査が現場に急行し現場保存などをして検事らの到着を待ちます。検事らは現場で被害者や目撃者などの任意の協力を求めて、彼らから事情聴取を行います。
現行犯の場合に限っては、検事は被疑者を逮捕・勾留し、尋問することも許されましたから、それらを行った後、一件記録や証拠物を添えて速やかに判事に送り、裁判を請求することになります。
しかし、現行犯ではない場合、検事は被害者などからの告訴・告発書類を審査し、あるいは尋問して、現実に犯罪が行われたと考える時は文書を糾問判事に送ります。
一応検事が自ら証拠を集め、取調べ行うことも可能ですが、重罪などの場合は必ず糾問判事に送って「下調べ」を請求しなければなりません。
府県裁判所の判事または判事補の中から選ばれた糾問判事は必ず速やかに糾問を行わなければならず、そのために捜索、差押え、逮捕、拘留、糾問、証人喚問・引致・尋問という強制捜査権を行使することが認められました。
この段階ですでに、強制捜査権発動の主体は糾問(予審)判事という予審制の骨格ができていたのです。そして、治罪法から大正刑訴法へと予審制が確立・発展すると、強制捜査権発動が予審判事固有の権限であり、検事には強制捜査ができないことは条文上からも明確にされていきます。
大正刑訴法第254条「(検事は)捜査についてはその目的を達するため必要なる取調べを為すことを得、ただし強制の処分は別段の規定ある場合にあらざればこれを為すことを得ず」
=条文は現代風表記に変えました=
捜査の主体と強制捜査権発動の主体の区別
糾問判事制度のもとでも捜査を行う者、つまり捜査の主体は検事でした(司法警察仮規則第1、3条)。
その後も予審制を通じて一貫して捜査の主体は検事であり続けたのです。
大正刑訴法第246条「検察官犯罪ありと思料するときは犯人および証拠を捜査すべし」
この点は非常に重要です。
一方の当事者にすぎない検察官(検事)に強制捜査権を付与した戦後刑訴法だけしか知らない私たちは、捜査の主体と強制捜査権発動の主体を混同して「強制捜査権発動の主体が予審判事ならば捜査の主体も予審判事となるから糾問主義だ」と誤った判断をしがちです。
しかし、捜査と訴追の分離を実現する予審制とは、捜査の主体、つまり捜査を行う者が検事から予審判事に移行することではありません。捜査の主体と強制捜査権発動の主体を分離するということなのです。
同第255条「検察官捜査をなすにつき強制の処分を必要とするときは 公訴の提起前といえど押収、捜索、検証および被疑者の勾留、被疑者もしくは証人の訊問または鑑定の処分をその所属地方裁判所の予審判事または所属区裁判所の判事に請求することを得」
そして、この分離があるからこそ、捜査・訴追の主体としての検事の対極に、予審判事に強制捜査権発動を要請できる捜査・防禦の主体としての被告人・弁護人が登場することが可能になるのです。
同303条「検事、被告人または弁護人は予審中何時にても必要とする処分を予審判事に請求することを得」
まさにそのことによって、予審制は現代の多くの法律家の考えとはまったく逆に、捜査段階(公判準備段階)においても当事者主義を貫く制度となっているのです。
自白から証拠による断罪へ=拷問の廃止
明治元年の仮刑律、3年の新律綱領、6年の改定律令は従来の律令法思想に基づく前近代的な刑法であり、罪刑法定主義など近代刑法原理に基づく刑法は、明治6年に日本に招請されたボアソナードによる旧刑法(明治13年公布)を待たなければなりません。
この近代化を根本的に象徴するのが、改定律令第318条前段の「およそ罪を断ずるは口供結案による」という有罪言い渡しには必ず自白を必要とした規定を、「およそ罪を断ずるは証による」と証拠があれば自白を必要とせずに有罪言い渡しが可能なように変更した明治9年6月の太政官布告です。
たとえ証拠がそろっていても有罪宣告に自白が必要とするなら被告人が否認する限り有罪にはできません。そこで自白を得るための拷問が不可欠になります。そして自白を得るための拷問がいったん公認されるなら、捜査機関が主観的にある市民を有罪と考えれば後は拷問で自白を得るだけでいいとなり、証拠の収集はほとんど問題にされなくなります。これが改定律令までの日本の捜査と刑事裁判の現実でした。
現行刑訴法にもある「事実の認定は、証拠による」(317条)という規定は、そうした拷問の横行とそれによる冤罪の多発に直面したボアソナード自身の拷問反対の闘いの結果なのです。
しかしその後も、刑事手続は、本来何らの事実も証明するものではない自白を証拠と強弁することで、「証拠による」という規定の中に前近代的な「自白による」を紛れ込ませ、証拠収集ではなく拷問による自白の獲得が軸となる捜査の現実を完全になくすことはできませんでした。
そして、予審制を廃止し訴追機関である検察官とその指揮下の警察に強制捜査権、強制尋問権を付与した戦後刑訴法は、自白を証拠の軸に据えることで、捜査における自白獲得のための拷問を全面化させ、ボアソナードの近代司法手続創出の努力を解体し、刑事手続を改定律令の時代にまで引き戻してしまったのです。
予審・陪審制を歪めた日本
ボアソナードが予審制・陪審制を軸に構想した司法制度の近代化は、市民を敵視する天皇制政府の抵抗によって大きく歪められてきました。
すでに述べたように、草案にあった陪審制は政府の抵抗によって治罪法から削除されるとともに、陪審員には予審判事が作成した訊問調書などを見せないというボアソナードの「予審と判決の分離」構想も解体され、大正刑訴法にいたっては予審調書の無条件の証拠化すら認められてしまいます。
また、1928年から施行された陪審制でも、職業裁判官が不適当と考えれば陪審員の評決を拒否し、何度でも陪審裁判をやり直すことが可能とされました。「人民による司法権の行使」と「同僚による裁判を受ける権利」を「陪審心得書」(治罪法直訳452条)で明確に打ち出したボアソナードの思想は否定され、陪審制は単なる諮問機関といったものにされてしまったのです。
さらに、戦時体制の進行した1943年には陪審制は停止され、新治安維持法と国防保安法によって検察官への強制捜査権、強制尋問権付与という予審制を根本から否定する制度も導入されました。
そして、戦後刑訴法は、陪審制停止を維持するとともに、予審制廃止によって新治安維持法・戦時体制の生み出した刑事システムを一般化、恒常化し、ボアソナードの構想した予審制と陪審制に基づく近代刑事システムとその思想の破壊を完成してしまったのです。
刑事手続の絶望的状態が語られて久しくなります。しかし、原因は明確であり、解決は不可能ではありません。ボアソナードの原点に戻って、日本の刑事手続の近代化をもう一度始めればいいのです。予審制と陪審制の復活がその基軸にならなければなりません。
(了)
参考文献:
矢野祐子「ボアソナードと、その法思想」(早稲田法学会誌47・1997年)
横山晃一朗「明治5年後の刑事手続改革と治罪法」(九州大学法政研究Vol.51、 No.3〜4・1985年)