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今年(2010年)5月の裁判員裁判で求刑を上回る量刑の判決が出た事件の控訴審で、9月27日、東京高裁の矢村宏裁判長は一審判決を支持し、被告側控訴を棄却した。その後も同様の求刑を上回る量刑判決が続いている。
検事と裁判官の密室での求刑操作であいまいにされてきた求刑を上回る量刑が許されるか否かという問題が、裁判員裁判によって白日下に引き出されている。被告人を断罪するのは検事であり、裁判官(員)の役割はそれをチェックし、求刑を妥当として承認するか、不当として削減・拒否する事だけだ。これは当事者主義という刑事裁判の根幹問題であり、裁判員が従う義務のある法律判断なのだから、問題は職業裁判官の側にある。
被告人控訴や再審請求で前判決を上回る量刑が許されるなら控訴や再審請求の権利は有名無実化する。今や、裁判を受ける権利そのものが有名無実化し、それを権利とは考えない日本の法制度の反近代的・非民主主義的本質が一気に表面化し始めた。
「犯罪から社会を護る」という職業裁判官の歪んだ正義感が、被告人の人権を守るという刑事裁判の存在意義を踏みにじらせている。裁判官が検察と一体となり、先走って犯罪者を断罪するのなら裁判官の独立など必要としない。実際、判検交流が示すように職業裁判官の多くは独立の必要性など感じていないようだ。
裁判員裁判は即、戦後刑事手続きの反近代性、人権侵害性を改革するわけではない。ただ、その隠蔽を不可能にする。
問題の明白化は改革の前提だ。裁判員制度にとどまるのでもそれ以前に戻るのでもなく、陪審制と予審制の再導入を当面の目標とする刑事司法の改革を始めることが必要だと私は考える。
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