予審制度・陪審員制度の再評価へ
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hat**ome6ha**さんから、「調書裁判を究極まで進めた戦後刑訴法」の中の、「大正刑訴法が例外条件として被疑者の死亡など客観的事実を求めたのに対し、『とくに信用すべき』とか『任意』とか裁判官の主観的判断に委ねる現行刑訴法の規定は、原則禁止といえるでしょうか」という文章について、もう少し噛み砕いてという要請がありました。長くなりましたので、記事として独立させます。 現在、法学関係者の予審制度に対する反対論の主要な柱の一つに、 「戦前の日本の予審制度では予審判事の作成した調書(予審調書)が無条件で公判での証拠とされたから調書裁判だ。これに対して戦後の刑訴法では公判期日における供述以外は原則証拠とできない(320条)から、戦前に比べて改善されている」
というものがあります。ところが、現行刑訴法は321条から327条で数々の例外を規定し、現行刑事裁判に対しても調書裁判と批判される原因となっています。 戦前の予審制度下と現行制度下では、証拠として認められる供述調書の範囲はどう変化しているでしょうか。もし範囲や条件がせまくなっていれば現行制度では改善されたと言えますし、拡大されていればより悪くなっているということでしょう。 hat**ome6ha**さんの指摘された文章の前提には、そうした前提・問題意識があります。 現行制度でも、裁判官の前で行った供述はほぼ無条件で証拠とすることが認められていますからその点では戦前と大きな変わりはありません。 そこで、検察官が作成した調書についてみてみます。 大正刑訴法は、それを法令上の根拠なしに作成された書類(検察官に尋問権はありませんでしたから)として原則として証拠として使用することを認めていませんでした。ただ、 1)供述者が死亡した時 2)疾病その他で供述者を尋問することができない時 3)訴訟関係人の異議なき時 の3点の場合のみには例外的に証拠とすることを認めました(343条)。 ところが現行刑訴法は、そうした供述不能のときだけでなく、 公判期日に異なった供述をした時で 公判前の供述を信用すべき特別の状況がある場合 には調書を証拠にできると規定しているのです(現行刑訴法321条2項) 公判期日に前と同じ供述をしていればわざわざ自白調書を持ち出す必要はありませんから、この条項は、裁判官が「信用すべき特別の状況」があると主観的に考えれば証拠として良いということになります。 また、322条は 被告人の供述で被告人に不利益な事実の承認を内容とするもの または特に信用すべき状況でなされたもの は証拠にできる、 ただし任意にされたものでない疑いがあるときは証拠にできない と規定しています。この中には検察官だけでなく警察での自白も含まれます。 つまり、被告人が有利な事実を訴えても証拠とは認めないが、不利な自白なら裁判官が強制の証拠がないと判断すれば証拠にできるということなのです。 大正刑訴法の例外条件である死亡や疾病は客観的事実ですから、被告人が『供述可能』と反証することも可能です。ところが、現行刑訴法の「信用すべき特別の状況」とか「任意にされたものでない疑いがあるとき」というのは、裁判官の主観的判断ですから、被告人が『強制による』と訴えても見解の相違で退けられ、反証することはほぼ不可能です。
具体的に考えてみましょう。 現在の刑事裁判では、被告人が法廷でみずからの無実を訴えても、ほとんどの場合、警察・検察の取調べでつくられた自白調書の方が信用できるとして有罪判決が出されてしまいます。 これは、大正刑訴法の下での刑事裁判では絶対にありえません。大正刑訴法では、被告人が公判廷で無実を訴えたら、被告人が法廷で供述できているわけですから、検察・警察でどのような供述を行っていようとそれを有罪の証拠とすることはできないのです。 大正刑訴法が、検察官などのつくった自白調書の証拠採用を原則禁止し、実質的にも禁止しているのに対し、現行刑訴法は原則禁止としながら、実質はほぼ無制限に容認しているのです。 |





