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冤罪乱発の警察から強制捜査権を剥奪し、職業裁判官から市民の手に刑事裁判権を取り戻そう。予審制度と陪審制度の復活を求めます

予審制度・陪審員制度の再評価へ

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 強制された自白調書を根拠とした有罪判決が当然とされる中で、多くのえん罪事件が表面化してきました。また、それらの再審手続の中で、実は当初よりえん罪被害者が無実である証拠が警察・検察によって隠されていたことも暴露されています。そうした現実を改善するために、取り調べの可視化と全証拠開示が弁護士やえん罪をなくすために運動する市民によって要求されています。
 追いつめられた警察・検察は、一部可視化と称して取調べのうち自らの都合の良い部分を記録した資料を法廷に提出することで、そうした要求をかわそうとしています。しかし、一部可視化は証拠の一部開示と同じく警察・検察の立証のためには有効であっても、強制があったことの立証やましてや自白の強制を抑制することは絶対にできません。少なくとも米国で行われているような取調べの全面可視化、つまり取調室に入ってから出てくるまでの全時間の記録が必要です。
 もちろん、それが実現したとしても、捜査機関が捜査・取調べとは強制によって被疑者を自白させることと考え、その自白をもとに警察・検察が作文した調書を裁判所が証拠と認めている限り、えん罪は減らないでしょう。治安維持法や戦時体制を引き継ぎ、固定化した戦後刑訴法が生み出した刑事手続の構造そのものがえん罪を不可避としているのです。

戦後刑訴法を絶対視した予審制への反発

 日本でも取調べの全面可視化や全証拠開示が当然とされた時代、それどころか捜査が有罪判決獲得ための材料探しだけのためとはされていなかった時代ありました。戦前の予審制の時代です。
 捜査を訴追から切り離すために警察・検察から強制捜査権を剥奪し、予審判事と呼ばれる司法の特別の部署に再び移管すること、それが捜査を、被疑者・被告人を犯人に仕立て上げる材料探しというえん罪創出手段から、裁判のための資料を収集するという真相解明手段に代える唯一の途です。
 ところが、こうした明白な事実にもかかわらず、多くの良心的な弁護士や法学者ですら予審制と聞くだけで感情的ともいえる反感を示します。なぜでしょうか。
 戦前の刑事手続について稲垣總一郎弁護士はそのホームページで次のように述べています。

「予審判事が直接証拠収集に当たり、起訴不起訴を決めるというのですから、現在の検察官みたいなものでした」

 1941年の新治安維持法と国防保安法が、弾圧と戦時体制維持のために検察官に強制捜査権を付与して、捜査を訴追に奉仕し従属するものに変えてから4分の3世紀近く経過し、予審制とは裁判官が検察官の役割を果たすことという誤解が生じるのもしかたのないことなのかもしれません。
 確かに現状以上に制度的にも裁判官が検察官の役割を果たすのであれば、裁判の公正も当事者主義も無意味になり、とんでもない制度でしょう。しかし、捜査が訴追に奉仕し従属するという方が異常なのであり、予審制は、その異常状態を解消するための捜査と訴追の機能分離に最大の特徴があるのです。

刑事手続の近代化=捜査、訴追、裁判の分離

 では、戦前の予審制はどのように実現したのでしょうか。その検討は、えん罪を必然とする戦後刑訴法体制を改革し、予審制の復活を実現するために大いに役に立つと思います。
 従来、日本の刑事手続の近代化と陪審制度との関係は陪審制復活を目指す多くの研究者によって検討されてきました。しかし、陪審制と予審制は一体であり、どちらが欠落しても被疑者・被告人の人権を守るという近代刑事裁判の目的は実現できないのです。
 19世紀後半、明治維新によって国家を掌握した天皇制政府が直面した課題は、国家制度の近代化によって欧米列強に強制された不平等条約を改定し、資本主義化を進めることでした。その中心に位置したのは、捜査から訴追、裁判、刑の執行まですべてを町奉行所など一機関が掌握する徳川幕藩体制の糾問主義刑事手続の改革など司法手続の近代化です。
 明治4年、司法省が設置され、翌5年8月の司法職務定制によって司法省や裁判所、判事、検事、警察、代言人代書人、監獄などの組織や職務権限が定められました。これによって裁判権の全国的な統一と裁判所、検察、警察など刑事手続の主体の組織的分離が実現します。
 しかし、検事は犯罪予防の行政警察活動には関与しないとされたものの、
(1)各刑事、民事裁判の当否を監視し、
(2) 捜査や容疑者の拘束を指揮命令する
とされ、司法の独立や捜査と訴追の機能的分離は未達成でした。
 明治7年1月の検事職制章程では検事の裁判の当否の監視という権限が削除され、裁判所の独立が明確になりました。また、警保寮が司法省から内務省に移管されたこともあり、検事の性格が訴追機関として一歩純化しました。
 さらに、明治8年5月には行政警察と司法警察の区別が明確にされ、犯人逮捕は司法警察の職務とされました。また、検事職制章程も改定され、司法警察官への検事の監督権が削除されました。この結果、検事は捜査・訴追機関から訴追を主要任務とする機関へ性格を変え、捜査と訴追の分離はいっそう進んだのです。
 捜査の第一線は地方の司法警察官吏が担うことも明確になりました。
 一方、明治8年4月には大審院(現在の最高裁)が設置され、大審院−上等裁判所−府県裁判所という裁判システムが法令上完成します。ただ府県裁判所の実際の設置は進まず、翌9年8月には府県裁判所は複数の府県を管轄とする地方裁判所に変更されました。
 このような検事の訴追機関への純化の進行と裁判所の組織的拡充を背景に新たな犯罪捜査機構を生み出したのが、明治9年4月24日に司法省から出された、府県裁判所への糾問判事設置を内容とする「糾問判事職務仮規則」と「司法警察仮規則」です。
 この糾問判事制度が、前年からフランス治罪法の逐条講義をはじめたボアソナードの影響のもとに出されたことは、糾問判事制度が治罪法によって予審制として維持・拡充されていることから見ても明らかです。捜査と訴追の分離を制度的に実現した糾問判事−予審判事制度は、ボアソナードが目指した日本の刑事手続近代化の一つの到達点なのです。
 なお、ボアソナードが近代化のもう一つの柱として追求したのが陪審制の導入ですが、これは市民の裁判権行使に恐怖した政府によって強引に削除され、その実現には大正デモクラシーの高揚と本格的な政党政治の開始を待たなければなりませんでした。(つづく)
 hat**ome6ha**さんから、「調書裁判を究極まで進めた戦後刑訴法」の中の、「大正刑訴法が例外条件として被疑者の死亡など客観的事実を求めたのに対し、『とくに信用すべき』とか『任意』とか裁判官の主観的判断に委ねる現行刑訴法の規定は、原則禁止といえるでしょうか」という文章について、もう少し噛み砕いてという要請がありました。長くなりましたので、記事として独立させます。

 現在、法学関係者の予審制度に対する反対論の主要な柱の一つに、
「戦前の日本の予審制度では予審判事の作成した調書(予審調書)が無条件で公判での証拠とされたから調書裁判だ。これに対して戦後の刑訴法では公判期日における供述以外は原則証拠とできない(320条)から、戦前に比べて改善されている」
というものがあります。
 ところが、現行刑訴法は321条から327条で数々の例外を規定し、現行刑事裁判に対しても調書裁判と批判される原因となっています。
 戦前の予審制度下と現行制度下では、証拠として認められる供述調書の範囲はどう変化しているでしょうか。もし範囲や条件がせまくなっていれば現行制度では改善されたと言えますし、拡大されていればより悪くなっているということでしょう。
 hat**ome6ha**さんの指摘された文章の前提には、そうした前提・問題意識があります。

 現行制度でも、裁判官の前で行った供述はほぼ無条件で証拠とすることが認められていますからその点では戦前と大きな変わりはありません。
 そこで、検察官が作成した調書についてみてみます。
 大正刑訴法は、それを法令上の根拠なしに作成された書類(検察官に尋問権はありませんでしたから)として原則として証拠として使用することを認めていませんでした。ただ、
1)供述者が死亡した時
2)疾病その他で供述者を尋問することができない時
3)訴訟関係人の異議なき時
の3点の場合のみには例外的に証拠とすることを認めました(343条)。

 ところが現行刑訴法は、そうした供述不能のときだけでなく、
公判期日に異なった供述をした時で
公判前の供述を信用すべき特別の状況がある場合
には調書を証拠にできると規定しているのです(現行刑訴法321条2項)
 公判期日に前と同じ供述をしていればわざわざ自白調書を持ち出す必要はありませんから、この条項は、裁判官が「信用すべき特別の状況」があると主観的に考えれば証拠として良いということになります。
 また、322条は
被告人の供述で被告人に不利益な事実の承認を内容とするもの
または特に信用すべき状況でなされたもの
は証拠にできる、
ただし任意にされたものでない疑いがあるときは証拠にできない
と規定しています。この中には検察官だけでなく警察での自白も含まれます。
 つまり、被告人が有利な事実を訴えても証拠とは認めないが、不利な自白なら裁判官が強制の証拠がないと判断すれば証拠にできるということなのです。

 大正刑訴法の例外条件である死亡や疾病は客観的事実ですから、被告人が『供述可能』と反証することも可能です。ところが、現行刑訴法の「信用すべき特別の状況」とか「任意にされたものでない疑いがあるとき」というのは、裁判官の主観的判断ですから、被告人が『強制による』と訴えても見解の相違で退けられ、反証することはほぼ不可能です。
 具体的に考えてみましょう。
 現在の刑事裁判では、被告人が法廷でみずからの無実を訴えても、ほとんどの場合、警察・検察の取調べでつくられた自白調書の方が信用できるとして有罪判決が出されてしまいます。
 これは、大正刑訴法の下での刑事裁判では絶対にありえません。大正刑訴法では、被告人が公判廷で無実を訴えたら、被告人が法廷で供述できているわけですから、検察・警察でどのような供述を行っていようとそれを有罪の証拠とすることはできないのです。
 大正刑訴法が、検察官などのつくった自白調書の証拠採用を原則禁止し、実質的にも禁止しているのに対し、現行刑訴法は原則禁止としながら、実質はほぼ無制限に容認しているのです。

調書裁判を究極まで進めた戦後刑訴法

−現行刑訴法に残る戦時体制2−

 人権保障を明記した戦後憲法を強制された政府・権力者たちは、最高裁が様々な詭弁を弄して憲法の骨抜きを進めただけでなく、新たな法律を使って抑圧と専制の支配を維持してきました。
 その最も典型的な一つが、警察や検察という一当事者の主張にすぎない書類(司法警察員面前調書、検察官面前調書)を証拠として認めた戦後刑訴法です。当事者主義など近代裁判制度の原則に反するこうした規定が、戦時下の抑圧体制を引きついたものであることはすでに明らかにしました。

予審調書と現代の調書は違う

 戦前の予審制度下の刑事裁判に対しても、予審判事の作成した調書が証拠として認められていたことから調書裁判との批判があります。確かにそれは事実です。しかし、それは戦後の調書裁判と同質の問題なのでしょうか。
 戦前の調書裁判批判の根拠とされた予審調書は、私たちが現在の刑事裁判で接する、警察や検察側が恣意的に作文・編集したいわゆる自白調書とはまったく異なるものです。
 具体的に見ましょう。次の文章は、1910年に摘発された明治天皇暗殺計画,いわゆる大逆事件の被告人である宮下太吉氏の予審調書の一部です。
問「幸徳にも管野に話したこと(天皇暗殺計画)を話したのか」
答「幸徳には何も申しません」
問「なぜ幸徳に話さなかったのか」
答「幸徳は学問もあり筆のたつ人ですから、殺すのは惜しいと思って話さなかったのです」
 これを、現在の裁判では証拠と認められている自白調書にあたる次の検事聴取書と比較してみてください。
「一、昨年2月中、私が巣鴨の幸徳伝次郎方を訪問し、同人に対しはじめて自分の計画と決心を告げましたことはこれまで申し立てた通りでありますが…

一、私は幸徳伝次郎に初対面のあいさつをし、…?同家は表入口から向かって右手に大広間があり…」
 検事聴取書は、予審調書に比べ詳細かつ具体的、自主的に述べたかのように作成されています。しかし、「同人」とか「同家」などの用語を見ても、労働者であった宮下氏が検事の前でこの通りの発言を行ったはずのないことは明らかです。
 後述の大正刑訴法は、こうした聴取書という検事の恣意的作文を証拠とすることを認めていませんでした。
 戦前の調書裁判が、公判廷外の被告人や証人の発言記録である予審調書を証拠と認めたという問題であるのに対し、戦後の調書裁判とは、被疑者・被告人の発言記録ですらない一方当事者の警察や検察官が聴いたと称する主張にすぎないものを証拠とする問題なのです。
 当事者の主張が証拠となるなら、判決は必ずその当事者の主張の通りとなります。99%を超える有罪率の背景には一方当事者の主張を証拠と認める戦後刑訴法の構造的欠陥とそれを当然視する法曹界の病理が存在しているのです。

警察・検察の取調べ自体認めなかった明治刑訴法

 聴取書つまり現代の自白調書の取り扱いはどう変わってきたのでしょうか。
 1890年に制定された刑訴法(明治刑訴法)の下で、警察官や検事(今の検察官)が容疑者や証人などの供述を記録した文書は当初、訊問調書として作成されました。
 ところが、予審制度の下では警察・検事の強制的な尋問を認めませんので、それらの調書は違法とされたのです。そこで、警察・検事は、体裁を容疑者などが自主的に述べたようにし名称も「聴取書」と変えて、たまたま聞いた容疑者の独白の報告書のように取り繕ったのです。
 これが現代までつづく「自白調書」の出発点です。
 明治刑訴法にはこの聴取書の扱いについて明確な規定はなく、裁判官に一任されていました。当然、弁護士などからの厳しい批判がありましたが、大審院(今の最高裁)は1903年10月22日、供述人の「自由任意の承諾」によるものなら予審判事の権限も侵さず不法ではないとして、証拠と認めてしまったのです。
 「任意」云々は、自白調書の証拠化を正当化する現代の論理と共通でしょう。

聴取書の証拠化を否定した大正刑訴法

 1924年に施行された改正刑訴法(大正刑訴法)は第343条で「被告人その他の者の供述を録取した書類」で「法令により作成したる訊問調書」でないものは「左の場合に限りこれを証拠とすることを得」として聴取書を原則として証拠と認めないことを明示しました。
 この改正法案の衆議院の委員会審議では、聴取書を証拠とすることは「人権蹂躙問題の発生する根源となりはしないか」という委員の質問に、政府委員は「聴取書はまず原則として証拠にならぬということを明文で掲げた次第」と答えています。聴取書の証拠化が当時すでに多くの人権蹂躙問題を発生させていたこと、第343条がその防止のために規定されたことがこの質疑に示されています。
 そして、大審院も1924年7月22日の決定で、「検事の聴取書は…原則として証拠能力を有せざる」し、訴訟関係人の異議なき時は証拠にできるとしても「異議なきことは、公判調書の記載その他一件記録上において明確なるを要す」と証拠化を厳しく禁止しました。

治安維持法・戦時体制下での聴取書の証拠化

 しかし、戦時体制の進行とともに、弾圧と抑圧の強化を狙う権力者の反撃が始まります。聴取書の証拠化は、まず個別の治安弾圧法で進められました。
 1941年施行の新治安維持法は、それまで原則認められなかった検事による召喚・勾引・勾留状発付や、検事や警察官による被疑者への強制的な訊問を認めました。同じ年に施行された国防保安法でも同様の規定が組み込まれています。
 この結果、治安維持法・国防保安法に基づく聴取書は「法令により作成したる訊問調書」になり、証拠として認められることになりました。現代に続く逮捕・勾留制度と警察の取調室という密室での拷問的取調べの公的出発点です。
 ついで、すでに明らかにしたように1942年に施行された戦時刑事特別法は一般事件でも聴取書を証拠にすることを認めてしまったのです。

治安維持法・戦時体制を固定化した戦後刑訴法

 治安維持法などは敗戦後の1945年に廃止されました。したがって、聴取書を証拠としてはならないという大正刑訴法の規定が復活するはずでした。
 しかし、戦後憲法の広範な人権保障に危機感を持った、政府・法務官僚や職業裁判官たちは、治安維持法と戦時体制の規定の維持と全面化を実行したのです。
 「日本国憲法の施行にともなう刑事訴訟法の応急措置に関する法律」(1947年)では大正刑訴法第343条の規定は削除されました。1949年1月施行の現行刑訴法では、治安維持法などが導入した警察・検察の強制訊問権を維持しただけでなく、予審制度廃止によって警察・検察に全面的な強制捜査権を与えました。そして、聴取書についても員面調書、検面調書として法律上の文書化し、さらに証拠にできる調書などについての制限も撤廃して、明治刑訴法の「諸般ノ徴憑(証拠)ハ判事ノ判断ニ任ス」と同様の規定に戻してしまいました。警察・検察が強制捜査権・尋問権を持つ点では明治刑訴法より悪いでしょう。大正刑訴法を審議した国会が危惧した「人権蹂躙問題の発生する根源」が恒常化されたのです。
 現行刑訴法は、令状主義で警察・検察の強制捜査活動を規制しているとか、自白調書の証拠化は原則禁止されているという主張が多くの支持をえています。しかし、大正刑訴法が例外条件として被疑者の死亡など客観的事実を求めたのに対し、「とくに信用すべき」とか「任意」とか裁判官の主観的判断に委ねる現行刑訴法の規定は、原則禁止といえるでしょうか。現実を見るべきです。
(参考資料:久岡康成「大正刑訴法と供述を録取した書面」立命館法学316号)

定例学習会報告(3)「予審制度を知る」

糾問主義の問題点・防御権の否定

 日本の多くの法学者、弁護士などは「糾問主義と弾劾主義ではどちらが人権保障上優れているか」といった議論をします。しかし、糾問主義についてすでに見てきたことから明らかなように、戦後日本の刑事手続は糾問主義の人権保障レベルにすら達していないのです。このことを私たちはまずしっかり確認しておく必要があります。
 戦後日本の刑事手続に比べれば人権保障の厚い制度と言える糾問主義手続でも、18世紀以降欠点も次第に明らかになり、その改革が目指されてきました。
 欠点の第一は、被告人にほとんど防御権がないことです。
 本格的な防御権としては、有罪言い渡しや自白聴聞に必要な法定証拠が全てそろったと判断された時に、正当防衛などの放免事実の証拠を提出できるだけでした。こうした手続の背景には、被告人は無罪と推定されているから自ら無罪を立証する必要はなく、有罪証拠がそろってから反証すれば良いという考えがありました。被告人のためのはずの“無罪推定”が、防御権制限の根拠とされてしまったのです。
 戦後日本の刑事裁判でも、しばしば“無罪推定”を口実に被告人側の立証は不必要として制限されることがあります。制度的には防御権の範囲は拡大されても運用によって糾問主義の問題点をそのまま引き継いでいるのです。

糾問主義の問題点・手続の非公開

 第二は、全手続が公開されておらず、市民の監視・批判ができないことです。
 現在の日本でも公判は公開されているものの、その前提にある捜査では「密行の必要性」を口実に、捜査結果が事後になっても公開されず、取調べへの弁護士の立ち会いすら認められていません。戦後の予審制度廃止によって、取調べの記録・調書や証拠すら開示されなくなり、公開性はかえって低くなっています。

糾問主義の問題点・調書裁判

 第三は、法定証拠規則が細密・厳格になった結果、実際の運用ではそれを無視・逆行する人権侵害的取調べと誤判が頻発したことです。
 また、証拠の種類や性質・数を法律で決める法定証拠規則を前提にすると、証拠の存否を判断するためにどうしても書面審理が必要となり、捜査機関が作った書面の評価に従属して、公判廷での証言や提出された証拠をもとに判断するという直接主義が否定されてしまいます。
 したがって、法定証拠規則の対極にある自由心証主義とは、裁判官(陪審員)が、捜査機関の作った捜査書類ではなく、法定に提出された物証と公判廷での証言のみを直接見、聞きして判断するということなのです。
 ところが戦後日本の調書裁判では直接主義は無視され、自由心証主義とは、法定証拠規則を否定することで、規則では認められないようなずさんで、捜査機関によって歪曲された捜査記録を恣意的に採用する口実とされているのです。

糾問主義の問題点・拷問による取調べ

 第4は、拷問の非人道性です。
 江戸時代の日本では、石抱き、海老責めなど4種類が拷問とされ、公式に医師の立ち会いのもとに行われていました。
 拷問の廃止とはその隠蔽であってはならないはずです。ところが、日本の最高裁は「取調べ受任義務」と名づけるなどして、取調べという密室での拷問を黙認しているのです。
 糾問主義の人権保障的性格を破壊し、捜査・訴追機関の有罪獲得に便利な、人権を侵害する問題点のみを引きついでいるのが戦後日本の刑事手続なのです。
 以上の点から、私たちは捜査段階での人権侵害を防ぐために、まず予審制度の復活が必要だと考えています。
 しかし、それは第一歩でしかありません。予審制度の問題点を解決するためには、陪審制の再開も不可欠ですし、予審制度自体も戦前のような制度から改革していかなければなりません。そのためには具体的にどのような改革が必要か、それを検討していくのがこれからの学習会の課題です。(了)

定例学習会報告(2)「予審制度を知る」

立証責任は裁判所に

 糾問手続では、どのような犯罪が行われたのか(「罪体」と言います)、被告人がその犯罪を行ったのか(「罪状」と言います)の立証基準を、ある意味で現代以上に厳密・詳細に決めていました。日本で広く信じられているような、糾問手続では裁判官が罪や罰を恣意的に認定することができたというのはまったくの誤りなのです。
 糾問手続においても、有罪の立証責任は訴追側にあります。
 犯罪は犯罪行為とそれを実行した人物からなりますから、まず犯罪があったこと(罪体)を立証し、次いでその犯罪を被告人が行ったこと(罪状)を立証しなければなりません。罪体の証明に必要な法定証拠がそろっていなければ被告人が罪状を認めていても手続は打ち切られますし、罪体が証明されても罪状が証明できなければ手続は打ち切られます。

立証は証拠によって

 証明は証拠で行います。これが現在まで受け継がれる証拠裁判主義です。
 糾問手続においては、罪体と罪状の証明に必要な証拠の種類と性質、数が法定証拠規則によって決められ、一つでも欠けていれば有罪にはできません。
 現実の犯罪は種々様々ですから、有罪に必要な証拠の種類などを規則で定めると、必然的に法定証拠規則は膨大で緻密・煩雑にならざるをえませんでした。
 ではなぜそうした煩雑さに耐えてまで法定証拠規則をあらかじめ決めなければならなかったのでしょうか。それは、欧米法の背景に、権力者や裁判官など官僚は、放置しておけば何をするかわからないという権力不信が存在しているからなのです。自らの自由な判断によって有罪を認定しうるのは本来市民自身のみであって、それをやむをえず官僚(職業裁判官)に委任しなければならないのだから、その権限行使の基準をあらかじめ詳細、厳密に決めておかなければならない。これが法定証拠規則なのです。
 ですから、法定証拠規則の煩雑さ、形式主義的歪みへの反省から近代裁判制度では、証拠の評価を裁判官自身に任せる「自由心証主義」が導入されましたが、自由心証主義は“刑事裁判は有罪の認定を市民自身が行う陪審制が本来の姿”という思想と不可分なのです。
 近代日本の最初の刑事手続を定めたボワソナードも「刑事判定は最大の精神的権威を持つべき」だから人民自身が判定すべきだと述べています。
 この点は、“お上”に任せておけば悪いようにされるはずがないという日本の多くの市民の考えとの大きな違いでしょう。彼・彼女たちが求めるのは、市民と規則に忠実な代理人ではなく、自らが考える“正義”のためなら規則をねじ曲げてでも行動する大岡裁きであり、遠山の金さんという保護者なのです。

罪体の立証は物証のみで

 法定証拠規則によると、どのような犯罪が行われたのかという罪体の証明は原則として物証に限られました。故意か過失かも物証のみで証明しなければならず、例えば刺殺の故意の証明には通常複数個所の刺し傷が必要でした。一カ所だけでは過失かもしれないからです。重過失のケースでは裁判官の裁量により故意犯より軽い刑を科すことができましたが、その認定にも物証が必要でした。
 このように、罪体の証明に必要な証拠が詳細・緻密に法定されていたということは、犯罪を構成する要素(犯罪構成要件)も証明対象として詳細・厳密に法定されていたことを意味します。
 現代の日本で、北陵クリニックえん罪事件や東住吉えん罪事件のように、医療過誤や失火の可能性を検討せずに一方的に犯罪が行われたと決めつけ、犯人を仕立て上げることが頻発しています。日本の刑事手続は、罪体についての立証責任を訴追側に負わせる糾問手続のレベルにすら達していないのです。

証拠なしに自白は聴けない

イメージ 1 物証のみによって罪体が立証されて初めて罪証の証明に入ることができます。
 罪状の証明には、物証以外に証言や自白を証拠とすることができました。
 しかし、自白を聴くにはそれが許されるために必要な法定証拠が全てそろっていなければなりません。
 日本の現行刑訴法301条の「自白は犯罪事実に関する他の証拠が取り調べた後でなければ取調べ請求できない」という規定は、糾問手続のこの証明手順を受け継いだものなのです。
 世間の信望を得ている人物(良質な証人)二人以上が個別に証言し、その話が細部まで一致し、物証とも完全に符合している(完全証拠)場合には、自白を聴かずに有罪を言い渡せました。
 予審制度では証言の一問一答を書記が記録するのですから、日本の現行制度のように取調官がつじつまを合わせて作文するわけにはいきません。それゆえ完全証拠がそろうことはまれで、ほとんどの場合には自白を聴くために必要な証拠(相当・熱烈な証拠)がそろっているかを調べます。
 例えば、一人の良質な証人の良質な目撃証言があり、いくつかの物証がそろっている場合には、自白を聴くことが許されます。それがなければ、たとえ予審段階で自白していてもそれを証拠にするどころか、自白を聴くこともできず、釈放するしかありません。
 自白を聴くことが許される場合、自白しなければ1回に限り拷問が許されました。しかし、拷問は気の弱い善人を無実の罪に陥れるものとの批判の高まりの中で大革命前夜には廃止されます。
 証拠がないからと多くの容疑者を次々に任意同行や逮捕し、長期間の密室での拷問的取調べによって警察の都合の良い犯行ストーリーに沿った自白をさせ、物証とのつじつま合わせに成功した容疑者を犯人に仕立て上げる現代日本の捜査・立証手法に比べれば、一体どちらが人権に配慮したやり方なのでしょうか。
 「物的証拠がないことは被告が完全犯罪をねらったからだ」とうそぶいて死刑判決を下した波崎事件のようなえん罪事件は、このような糾問手続では存在することが非常に困難でしょう。

現代に受け継がれる証明手順・予審制度

 罪体を物証のみによって立証できなければ罪状の証明に入れないという糾問主義の証明手順は、英米仏の近代刑訴法に受け継がれています。とくにフランス法では、捜査手続全体がこの証明手順に対応する二段階構造となっています。
 まず、初動捜査では物証により犯罪が行われたこと(罪体)を確認します。それが確認できれば被疑者が不明でも、検察官は直ちに予審判事に予審を請求しなければなりません。この請求がフランスでは公訴の提起=起訴で、その後は裁判所が予審を行います。予審の結果、嫌疑が固まれば予審裁判所が公判の請求を行います。
 つまり、誰が犯罪を行ったのか(罪状)の捜査は予審裁判所の専権なのです。この点についてボワソナードは、検察官は原告だから、自分で調べて自分で訴えることはできない、そんなことをすれば民事原告人が自分で貸金証書を作ってその返金を訴えるのと同一だと説明しています。戦前の日本の法学者も、「検事は公判に於いては、原告官として攻撃の立場にあり、故に検事の集取したる証拠を以て裁判の資料と為すことは、公平を維持する所以に非ず」「検事、司法警察官には強制権を許さざるを原則とする」(小齋甚治郎『刑事訴訟法概論』1942年)と述べています。
 長期勾留を背景に、そうした不合理が横行しているのが戦後日本の捜査手続ですから、捜査機関が犯人と断定すればほぼ自動的に有罪判決が出るのは当然で、99%を超える有罪率や途絶えることのないえん罪の発生は、そうした人権侵害システムが必然としているのです。

「自白さえあれば」という日本での歪曲

 「自白は証拠の女王」と言われます。しかし、それは日本でしばしば理解されているような“自白さえ奪えば他に証拠がほとんどなくても有罪”という意味ではありません。他の証拠によって99%まで立証が進んだときに初めて、おもむろに最後の1%をつめるために登場するのが自白という意味なのです。
 ですから、日本国憲法で規定されている「自白だけを証拠にして有罪にしてはならない」という規定も、「自白には補強証拠が必要」という最高裁を筆頭にした検察官や多くの弁護士、法学者の理解するようなものではなく、「自白は他に有力な有罪の証拠がある時に、それを補強する証拠としてのみ用いられる」という意味なのです。
 そしてその場合でも、フランスの手続では捜査段階(予審段階)で行われた自白は絶対に証拠とはならず、証拠となるのは公判廷での自白だけです。

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